大泉洋さんは、
「CREATIVE OFFICE CUE」所属のエンターテイナーです。
今回は、大泉洋さんの兄弟と両親の話。
このページでは、
- 「大泉洋の両親は教師で兄は市長!」
- 「大泉洋の祖父は銀行員?」
- 「大泉洋と家族のエピソードは?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
大泉洋の両親は教師?
大泉洋のプロフィール
はじめに、
大泉洋さんのプロフィールを確認していきます。
【大泉洋さんのプロフィール】
- 名前:大泉 洋(おおいずみ よう)
- 生年月日:1973年4月3日(2024年1月現在 – 50歳)
- 出身地:北海道江別市
- 所属事務所:「CREATIVE OFFICE CUE」
- 業務提携:「アミューズ」
地元北海道での「水曜どうでしょう(1996年10月9日~2002年9月4日」は、
全国デビューのきっかけの一つとなった番組。
その後は東京へ進出し、
映画・テレビ・舞台作品で活動を展開してきました。
近年は「NHK紅白歌合戦」の司会を2020年から3年連続で務めたことで、
大泉洋さんは新しい展開を見せています。
2023年には、
「第74回NHK紅白歌合戦」では歌手として出場しました。
【北海道テレビ・札幌テレビ – おもな出演番組】
- 『モザイクな夜V3』
- 『水曜どうでしょう』
- 『どうでしょうリターンズ』
- 『水曜どうでしょうClassic』
- 『水曜どうでしょうプレミア』
- 『1×8いこうよ!』
- 『いばらのもり』
- 『ドラバラ鈴井の巣』
- 『ハナタレナックス』
- 『おにぎりあたためますか』
大泉洋の両親は教師?
大泉洋の両親の顔画像
大泉洋さんの両親は、
北海道のテレビ番組には登場しています。
「水曜どうでしょう」や「ハナタレナックス」を見ているファンの人たちは、
名前も顔もよく知っているようです。
ということで、
「TEAM NACS」ファンのブログ情報をたよりに、
大泉洋さんの両親の顔画像を探してみました。
大泉洋さんの父親・恒彦さんの顔画像は、こちら。
「ちょいのり!」は、「ハナタレナックスEX-特別編」だったようです。
大泉洋さんの母親・正子さんの顔画像は、こちら。
大泉洋さんの両親が教師であるかどうかも、ファンによる情報をチェック。
年齢的に、おそらく現役ではないでしょう。
大泉洋の両親は教師
大泉洋さんの父親・恒彦さんは、国語の教師だったそうです。
その後の経歴としては、
「北海道特別支援学校退職校長会会長」
「札幌中村記念病院付属看護学校 非常勤講師」
「北海道七重養護学校校長」
という情報がありました。
北海道の大泉洋さんファンの人たちは、
2012年に父親・恒彦さんが「瑞宝双光章」を受賞していることを記事にしています。
それとは別に、
大泉洋さんの父親・恒彦さんの経歴について次のような話がありました。
恒彦さんは、
北海道七重養護学校や北海道高等盲学校の校長を歴任。
福祉に関する造詣が深く、北海道における盲教育の先駆者。
校長退職後も専門学校の講師を務めて
「点字」を教えていた。
大泉洋さんの父親・恒彦さんが講演している画像もありました。
また、教師時代は国語の先生でしたが、お固い感じはなく、
大泉洋さんと同じくユーモアセンスに溢れた方だそうです。
たとえば、
大泉洋さんの実家にあった家訓「食べられるか食べられないか、食べて判断する」との家訓は、
父親の恒彦さんが決めたそうです。
とりあえず食べてみて判断するという独特の家訓からも、
父親の恒彦さんは面白い方というのが想像できますね。
大泉洋さんの母親・正子さんは旭川の出身で、
中学校の英語教師をしていたそうです。
参考までに、
大泉洋さんも教員免許を持っていることを明かしています。
大泉洋の兄弟は何人?兄は公務員?
大泉洋の兄弟は何人?兄は公務員?
大泉洋さんは2人兄弟で、7歳上の兄がいます。
メディアでも有名になった兄は元函館市役所職員(地方公務員)で、
第10代函館市長の「大泉 潤(おおいずみ じゅん)」さんです。
兄(潤さん)の見た目は大泉洋さんに似ていることでも話題で、
函館では知らない人はいないくらいの有名人ですね。
【大泉 潤さんのプロフィール】
- 名前:大泉 潤(おおいずみ じゅん)
- 生年月日:1966年3月20日(2024年1月現在 – 57歳)
- 学歴:江別市立大麻東小学校 ⇒ 江別市立大麻東中学校 ⇒ 北海道札幌北高等学校 ⇒ 早稲田大学法学部卒業
- 所属政党:無所属
兄は「函館市役所の影の支配者」と呼ばれていて、
将来は函館市の市長候補になるのではとも言われています。
現在は函館市役所で保健福祉部長としてコロナ対策に尽力し、
函館市のコロナ感染者の会見に出席し話題になりましたね。
【函館市役所(公務員時代)】
- 1995年:函館市役所入庁
- 2011年:総務部秘書課課長
- 2015年:保健福祉部次長
- 2017年:観光部部長、北海道観光振興機構理事
- 2019年:保健福祉部部長
- 2022年7月31日:退職
大泉洋の祖父は銀行員?家族のエピソードは?
大泉洋さんの祖父は元銀行員として勤務していて、
見た目は大泉洋さんよりキリッとした男前な印象を受けますね。
それでは、大泉洋さんと家族のエピソードをチェックしました。
エピソード(1)現在も両親をパパ、ママと呼ぶ
大泉洋さんと家族のエピソード(1)は、
「現在も両親をパパ、ママと呼ぶ」という話です。
こちらは、
2017年11月28日放送の「徹子の部屋」で当時47歳の大泉洋さんが明かしています。
さらに、実家への電話の話。
80歳の父親も「『はい、パパでした』って。今でも(言う)」と話していました。
エピソード(2)両親のケンカの話
大泉洋さんと家族のエピソード(2)は、
両親のケンカの話です。
こちらは、
2023年8月30日放送の「徹子の部屋」で大泉洋さんが明かしています。
大泉洋さんが北海道に帰ると、
両親のテンションが上がってしまうそうです。
その様子を次のように話していました。
僕がいるとうれしいからかケンカするんですよ。
あれがめんどくさい。
父は耳が遠くなってくる、お袋は忘れちゃう。
お互いできないことでケンカするんじゃないよって時間差で僕が説教するわけですけど…“
すると、
「ケンカしながら仲良くやってんだ!」と返されるそうです。
それで、
「トムとジェリーかって」
と大泉洋さんは自分でツッコミを入れていました。
昭和世代にしかわからない例えですけどね。
エピソード(3)父親の影響で「捨てられない」もの
大泉洋さんと家族のエピソード(3)は、
父親の影響で「食べ物を捨てられなくなってしまった」という話です。
こちらは、
2023年9月16日放送のテレビ朝日「1泊家族」でのトークで出たエピソードでした。
父親の影響については、
両親の会話を紹介して明かしています。
- 母親「パパ、この肉腐ってるけど食べる?」
- 父親「お前、そんな勧め方あるか?」
- 母親「じゃあ捨てるよ」
- 父親「待て!食えるか食えないかは食って確かめる」
- 一口確かめたのちに父親「ダメだ!捨てろ」
大泉洋さんは、
笑いを取りたかった感じでした。
エピソード(4)出演映画に母から感想のひと言
大泉洋さんと家族のエピソード(4)は、
出演映画「騙し絵の牙」についての母から感想のひと言です。
母親からは、
「こういう映画に出なさい」と言われたと明かしていました。
その前フリがあって、
大泉洋さんは次のように笑わせていました。
48歳こそは立派な大人になって、かっこいい映画にたくさん出たい!
かっこいい大人になるべく『水曜どうでしょう』を辞めます!
エピソード(5)母からのビンタ
大学浪人時代に腰が痛くて寝てばかりだった大泉洋さんは、
トイレに行くために立ち上がった瞬間にめまいに襲われ意識を失います。
大泉洋さんの意識が戻ったときに母親が馬乗りでビンタを連発していて、
ビンタで意識が戻るも動けず救急車を呼ぶことになります。
救急車を呼んでホッとしたからか大泉洋さんの腰は回復し、
救急車が来たときには普通に歩けるゆになっていたそうです。
救急車に自分で歩いて乗って救急隊員に怒られてしまい、
母親にビンタはされるわ怒られるわ災難な一日ですね。
エピソード(6)大泉洋の両親の教育方針
両親は大泉洋さんに勉強を強制することはなく、
教育に厳しい両親という感じではなく自由にさせていたようですね。
大泉洋さんも高校の地理と歴史の教員免許を取得しているので、
両親に憧れて教師を目指していたのかなと思いますね。
ちなみに大泉洋さんの名前の由来もユニークで、
「洋」と書いて「ひろし」じゃ面白くないということで「よう」になったそうです。
子供の名前を決めるのに「ひろしじゃ面白くない」という理由で名前を決めるところも、
大泉洋さんの両親はセンス抜群で間違いありませんね。
エピソード(7) 祖父のヤジが独特
幼少期の大泉洋さんは大声で歌うことが大好きな少年だったそうで、
実家の2階で中学生の頃にサザンオールスターズを歌っていたそうです。
しかし当時の大泉洋さんの歌声は微妙だったこともあり、
1階にいた祖父からヤジが飛ぶことは日常茶飯事だったようですね。
祖父のヤジは独特で「味噌に下手な歌を聞かせると味噌がくさる」と言われたそうで、
大泉洋さんのユーモアセンスは祖父譲りで間違いなさそうです。
歌が下手くそだったのに実家で大声で歌う大泉洋さんも立派ですし、
負けじと下から強烈なヤジを飛ばす祖父も立派ですね。
エピソード(8)祖父が亡くなったとき
大泉洋さんの祖父は銀行員で両親は教師だった家系ながら、
大泉洋さんは芸能界の道に進んだのは運命としか考えられません。
祖父はが1999年に亡くなられたとき大泉洋さんは番組ロケの真っ只中で、
大泉洋さんはロケが終わってから祖父の元に帰ると話したそうです。
おじいちゃんっ子だった大泉洋さんはショックを受けつつも、
番組を続行させようとした気概はプロ魂そのものです。
しかし番組スタッフが説得し祖父の待つ札幌に戻ったそうで、
後日ロケを再開し視聴者に中断したことをわからないようにしていますね。
エピソード(9)いとこのみっちゃんは車売る人
大泉洋さんのいとこで通称「みっちゃん」は自動車販売をしていて、
支店長として車を売るやり手のセールスマンのようです。
大泉洋さんは「みっちゃん」のエピソードを語ることが多く、
大泉洋さんの昔からのファンならいとこの「みっちゃん」は有名人ですね。
幼少期から大泉洋さんと「みっちゃん」は仲良しだったそうで、
よくプロレスごっこをして遊んでいたと大泉洋さんも話しています。
また、いとこの「みっちゃん」はよく大泉洋さんに車を売りつけるそうです。
大泉洋さんが車を購入して1年ちょっとなのに車の購入を迫るそうで、
これには大泉洋さんもタジタジな感じですね。
さらに「みっちゃん」は大泉洋さんの車が初めて車検を取る時にも、
新車を買えと大泉洋さんに迫ったそうです。
「みっちゃん」は支店長になってからも大泉洋さんに車を買わせて、
当初は車の色も「みっちゃん」のゴリ押しで大泉洋さんに選択権はありませんでした。
大泉洋さんは「みっちゃん」の口車にまんまと乗せられた感は否めませんが、
「みっちゃん」のユーモアセンスは大泉洋さんも大絶賛していますね。
「みっちゃん」から車の電話が頻繁にかかってくるので、
大泉洋さんは電話に出ず放置すると、実家に電話が行くそうです。
なので大泉洋さんは、
ほとんど車に乗る前に新車に変わっていることは当たり前だそうです。
そんな「みっちゃん」ながら、大泉洋さんは憎めないと話していますね。
「みっちゃん」の巧みな話術には大泉洋さんも完敗で、
支店長にまでなったいとこの「みっちゃん」のセールス能力は超一級品です。
大泉洋さんがいとこ「みっちゃん」について話す様子はこちら。
初めて大泉洋さんのみっちゃんネタを音声以外で見れた(笑) pic.twitter.com/FTyxEj1k1n
— キンブリス (@Kinburisu) January 11, 2019
まとめ
大泉洋さんの両親は教員でした。
兄は、メディアでも有名になった第10代函館市長の大泉潤さん。
家族のエピソードは、
芸人なみに笑わせるものが多いです。