東京五輪組織委員会の森喜朗会長の「後任人事」で注目が集まっている橋本聖子さん。
橋本聖子さんは元オリンピック選手だったのですが、
幼少期から父親にオリンピック選手になるために育てられたそうです。
父親の教育はとても厳しいものだったそうで、人によっては虐待と、とられかねないものだったそうです。
今回は、そんな橋本聖子さんの実家、父親や家族について調査しました。
目次
橋本聖子の実家は牧場?場所は?
橋本聖子の実家は牧場?場所は北海道のどこ?
橋本聖子さんの実家では牧場を経営されているそうです。
実家の牧場は競走馬を育成する「橋本牧場」で、
無敗の名馬「マルゼンスキー」を育てるなど競馬ファンにも知られた牧場だったようです。
牧場の広さは、東京ドーム20個分と言われています。
橋本牧場は、北海道勇払郡安平町早来守田にあるようです。
橋本聖子さんの出身地・北海道安平町と一致するので、
実家は橋本牧場で間違いないようですね。
橋本聖子の実家は莫大な借金があった?
ズボラな融資が原因で莫大な借金?
実はこの牧場、莫大な借金を抱えたことがあったようです。
「聖子さんの父・善吉さんは90歳を過ぎてなお健在ですが、バブル期の前後には地元の『千歳信用組合』から、本来の融資限度額の2倍以上である16億円余りもの融資を受けていました。ところが返済が滞り、そのあおりで千歳信組は99年に経営破綻。翌年には、債権回収を行なう整理回収機構が、信組の元理事長ら4人を相手取り、3億円の損害賠償を求めて提訴したのです」(地元関係者)
デイリー新潮 引用
訴状では経営陣の責任が追及され、
なかでも橋本牧場に対する融資は極めて杜撰(ずさん)だったようです。
「善吉さんは地元の名士であり、信組側も無担保で融資を続けていた。実際に訴状には『本件融資はおよそ許されざる融資である。それを敢えて融資したのは、橋本の倒産による貸付金の回収不能の顕在化を恐れたものであると言わざるを得ない』とありました」(地元関係者)
デイリー新潮 引用
借金は全部返済した?
裁判は結局、
2004年に4被告が計5千万円の和解金を支払うことで終結しているようです。
しかし、
その後も橋本牧場の経営難は続いていたようで、
知人からはお金を借りていたこともあったようです。
「06年には、聖子さんの選挙資金と称して善吉さんが知人から2千万円余りを借り、一部を返済せずに訴訟で返済命令が下ったことが明るみに出ました。この件はひとまず解決しましたが、あわせて善吉さんには借金が20億円以上あるとも報じられたのです」(地元関係者)
デイリー新潮 引用
家屋や一部の土地は、すでに他人の手に渡っているようですが、
現在橋本聖子さんのお兄さんの息子さんが後を継いでいるようです。
橋本聖子の家族構成!父・母とのエピソード
橋本聖子さんの実家の家族構成は、両親と子供四人の六人家族です。
橋本聖子さんのお父さんは、とても厳しい方だったようです。
後に、
「子供は可愛い、だからこそ将来、辛い思いをさせないためにお父さんは厳しく接した」
とお母さんから聞かされたそうです。
しかし、それは人によっては虐待と、とられかねないものだったそうです。
父のエピソード
家のルールが厳しい
父親はとにかく厳格な方で、
- 挨拶の時は、正座をして三つ指をつかなければいけない。
- ご飯を給仕して父に手渡すときは、必ずお茶碗に両手を添えて渡さなければ許されない。
- 胃薬でも父が薬のビンに手をかけた間に、水の入ったコップを出さないと強い口調で怒られる。
などのルールがあったそうです。
また、北海道なので冬は吹雪になるため、ガレージの扉は開けておくそうなのですが、
外出した父親が帰宅した時は父親の車のヘッドライトが遠くに見えると、家族は急いで外に出て、ガレージの扉を開いていたそうです。
父親の運転する車が一度も止まらずに、ガレージに入れるようにしなければ怒られたそうです。
父親は絶対に妥協を許さない人で、出来て当たり前で出来ない時は厳しかったそうです。
汚い言葉で叱責さたり、時には言葉の前にいきなり手が出て殴られることもあったそうです。
名前の「聖子」は、父親が命名した
父親は「聖子」と名付けたぐらい、
橋本聖子さんをオリンピック選手にしたかったそうです。
そのため、将来どんな競技をやるにしても、
オリンピック選手になるための反射神経や感覚を身に付けさせるためには、馬に乗ることがいいだろうと、
牧場の馬場で私は幼稚園に入る前から、ポニーという小さな馬で乗馬の訓練をしていたそうです。
橋本聖子さんがちょっと油断をした瞬間に、
父親がいきなりポニーに鞭を入れる、
驚いたポニーが思い切り走り出す、
それでも落馬しない
という訓練をずっとやられていたようです。
そのため、橋本聖子さんは小学校に上がる前から、
ロデオのような荒馬でも落ちずに、しがみついていることが出来ていたそうです。
父に鞭で叩かれることも
馬場の下は砂地なので落馬しても、大したケガはしないようですが、
父親には激しく叱られ、鞭で叩かれることもあったそうです。
鞭で叩くのは痛い…
しかし、橋本聖子さんは痛さよりも、
「父を怒らせてしまった」
「どうしてちゃんと出来ないのか」
「父の思う通りにちゃんとやらなければ」
という気持ちのほうが強かったそうです。
家族の誰かが父親に叩かれても、助けに入ることは許されていなかったそうです。
「お父さん止めて」と助けに入ると連帯責任で、
家族みんなに父のヤキが入るため、助けちゃいけないことになっていたそうです。
父親は自分にも、家族以外の人にも厳しい
さらに父親は家族だけでなく、牧場の実習生や従業員にも厳しかったようです。
しかし、ただ人に厳しいだけでなく、自分にも厳しい方だったようです。
「自分が出来ないことを厳しく言っても、人はついて来ない」という考えを持っていて、
馬の扱い方に一つとっても、誰にも負けない技術を持っていたそうです。
父親の馬の扱い方が天才的
動物は人を見るため、新米の従業員だと暴れ馬は言うことを聞かないそうです。
しかし、
父親が手綱を持った瞬間、どんな暴れ馬でもピタッとおとなしくなり、何でも言うことを聞いたいたそうです。
また、父親は朝は3時ぐらいから牧場に出て自分も走り回り、馬場で馬のトレーニングをしたりしていたそうです。
そのため、橋本聖子さんは父親に微塵も反発心が起きなかったそうです。
それは父自身の含めて、厳しさが中途半端なものじゃなかったからだといいます。
父親は厳しいだけじゃない
橋本聖子さんは幼い頃から、
庭で飼っているガチョウの世話や畑仕事の手伝い、厩舎の掃除等々、
家の手伝いをたくさんしてきました。
父親が「よくやっているな」と褒めてくれることが何より嬉しかったそうです。
このように育てらてたためか、
橋本聖子さんはオリンピック選手になるために、
中学時代からコーチの家に下宿をした際は、
「目標に向かっている人間が、ふつうの高校生のように友だちと遊ぶなんてことは、許されない」
と思っていたそうです。
そのため、休みの日があると、何か悪いことをしているような感覚に陥り、ストレスを発散できずにいたそうです。
ストレスに体が蝕まれ、高校3年の時に突然、呼吸が出来なくなる病に襲われ、生死をさ迷ったことがありました。
それでも選手を辞めずに、退院をして実家に帰ると、トレーニングの現場に戻ったそうです。
父親の背中を見て育ったことで、「何事も死ぬ気でやる」という精神が身についたのですね。
母のエピソード
お母さんは、父親が厳しかった分、子供たちをフォローしてくれていたそうです。
牧場と子供たちだけのために生きたような母だったそうです。
母親は父親に一切逆らわず、
父親の後を三歩下がってついていく、
子供にはいつでも不思議なぐらい優しい人だったそうです。
従業員の人たちからも、「母さん、母さん」と呼ばれ、慕われていたそうです。
父親は橋本聖子さんが泣くことを許さないようですが、
母親は、
「泣けるうちは泣いた方がいい」
「人間っていうのは、本当に悲しかったり辛かったりしたら、涙が出ないもんだ」
と言ってくれたそうです。
幼い頃、何か無性に悲しくて、とても母親に甘えたくて、涙が止まらなくなった時には、
横で「もっと泣ける、もっと泣ける」と泣き疲れるまで、笑顔で応援してくれたこともあったそうです。
橋本聖子さんのご家庭は、亭主関白を絵に描いたような家庭だったのですね。
橋本聖子と兄弟とのエピソード
橋本聖子さんは、兄が一人、姉が二人いるようです。
名前は次の通りです。
- 長男:橋本善一さん
- 長女:高橋睦さん
- 次女:小熊あさ子さん
長男の橋本善一さんは、父親の牧場を継ぎ、オーナー・馬主として活躍しているようです。
長女の高橋睦さんは、元衆議院議員の高橋辰夫さんの奥様だそうです。
次女の小熊あさ子さんは、橋本聖子さんの政治活動のお手伝いをされているようです。
四人兄弟の末っ子ということで、とても可愛がられたのでしょうね。
まとめ
今回は、橋本聖子さんの父親や家族についてまとめました。
橋本聖子さんは、本当に厳しい父親に育てられたのですね。
だからこそ、オリンピック選手としても政治家としても活躍されているのでしょうね。
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