滝沢カレンさんは、
バラエティー番組で大活躍のハーフタレント。
モデル活動の他にも、
女優としての仕事ぶりも評価は高いです。
今回は、滝沢カレンさんの両親と国籍の話。
このページでは、
「滝沢カレンはハーフで国籍はどこ?」「母親は美人通訳」「父親の職業は?」
「日本語が変な理由は母親のせい?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
滝沢カレンはハーフで国籍はどこ?
滝沢カレンのプロフィール
- 名前:滝沢 カレン(たきざわ カレン)
- 生年月日:1992年5月13日(2022年12月現在-30歳)
- 出身地:東京都出身。
- 所属事務所:スターダストプロモーション
幼いころからファッションモデルに憧れ、
渋谷でスカウトされてから事務所に所属しモデルとして活躍されています。
2008年ティーンズ雑誌「Seventeen」のモデルオーディション
「ミスセブンティーン2008」でグランプリを獲得し、
人気モデルの仲間入りをしました。
『ミスセブンティーン2008』グランプリ。
ハーフならではの綺麗な顔立ちなので、
当時から人気が高かったです。
高校卒業と同時に「Seventeen」を卒業され、
2011年4月~2019年7月には、
ファッション雑誌「JJ」の専属モデルとして活躍されていました。
2009年からは女優としても活躍され、
現在ではそのキャラを生かしてバラエティー番組でも活躍されています。
【専属モデル歴】
- Seventeen(2008年8月~2011年3月)集英社
- JJ(2011年4月~2019年7月)光文社
- Oggi(2020年9月~)小学館
滝沢カレンはハーフ
滝沢カレンさんはウクライナと日本のハーフです。
両親については、
いくつかのテレビ番組で明かされています。
滝沢カレンさんの父親がウクライナ人で、
母親が日本人と言われています。
ウクライナは、
地図で見ると次のように日本から離れた場所にあります。
滝沢カレンさんの母親はバレリーナの宮沢さゆり(宮澤さゆり)さんです。
母親の顔画像はこちら。
宮沢さゆりさんは、ソビエト連邦に留学経験があります。
ウクライナはかつてソビエト連邦を構成する一国で、
宮沢さゆりさんが留学した時に滝沢カレンさんの父親と知り合ったと思われます。
滝沢カレンの国籍
滝沢カレンさんの国籍は、日本。
東京で生まれて、東京で育っているので、
滝沢カレンさんはウクライナ国籍になることはなかったようです。
しかしハーフであることから滝沢カレンさんは、
小学生時代に男の子たちから「国に帰れ」などと言われ、
「いじめ」を受けていた時期がありました。
滝沢カレンさんは学校から泣きながら家に帰って、
『なんで髪が茶色いんだ』『なんで目が茶色いんだ』と、
育ててもらっていた祖母に悲しい気持ちをぶつけていたというエピソードがあります。
両親が早くに離婚して、
仕事で忙しい母親の代わりに、
幼少期から滝沢カレンさんは祖母に育ててもらっていたそうです。
(「本音でハシゴ酒」で紹介された画像)
ハーフであることは、
「周囲の子供たちよりも身長が大きい」という悩みにもつながり、
小学校5年生の滝沢カレンさんは次の画像のような状態でした。
滝沢カレンさんが芸能界に入りたいと思ったのは、
竹内結子さんの演技に感動したことがきっかけ。
祖母は、
「そんな子に育てたつもりはない」「芸能界に進むなら縁を切る」と反対。
あきらめなかった滝沢カレンさんは、
渋谷でスカウトされてモデルとして芸能界入りします。
滝沢カレンの母親は美人通訳で父親の職業は?
滝沢カレンの母親は美人通訳!
滝沢カレンさんの母親の名前は、宮沢さゆりさんです。
2018年の7月にガンで亡くなっていたことは、
メディアを通して伝えられています。
享年56歳だったそうです。
滝沢カレンさんの母親の宮沢さゆりさんは、
テレビ番組に出演していました。
通訳の仕事については、
次のように紹介されていました。
ロシア語の通訳ができることについては、
一般の投稿者の情報では、
その経緯の説明はありません。
母・宮沢さゆりさんは元バレリーナで、
バレエスタジオ『RYBINA(リビーナ)』(ロシアバレエ)を経営していたことも、
「ロシア語の通訳」の仕事につながったことが考えられそうです。
そこで詳細を知るために、
宮沢さゆりさんの経歴を調べていると、
「代表・スタッフ紹介」のページを見つけることができました。
そのページには、
宮沢さゆりさんがロシア語を習得した話も明かされています。
こちらの後半のほうに、
次のような文章がありました。
壁にぶつかってしまって、親に相談したら、
「今バレエやってるみたいだけど、
バレエをやめればロシア語を習わせてあげる」と言われました。
その経緯をまとめると次のような話になります。
- 親に内緒でバレエを習っていた。
- 「ボリショイバレエ」を見た影響で、ロシア語を独学し始めた。
- 独学では限界があると感じた。
- 「バレエをやめればロシア語を習わせてあげる」と言われて、バレエをやめればロシア語を学ぶほうを選んだ。
その後、当時のソビエトへ留学。
留学から帰ってきて初めての仕事は、
ロシアバレエの先生のレッスン通訳だったと失敗談といっしょうに振り返っています。
どうやら通訳の仕事が先で、
宮沢さゆりさんがバレエスタジオ『RYBINA』をオープンしたのはあとだったようです。
父親の職業は?
滝沢カレンさんが生まれる前に両親は離婚していたということで、
ウクライナ人の父親の職業は不明です。
ネット上に出回っている話では、
母親(宮沢さゆりさん)の妊娠中に、
父親は浮気をしたままウクライナに帰国してしまったそうです。
滝沢カレンさんは「一生会うことはない」とテレビ番組で語っていました。
妊娠中の浮気は良くないですよね。
滝沢カレンさんが怒るのも無理もないと思います。
滝沢カレンの変な日本語は母親の仕事のせい?
滝沢カレンの日本語が変なのは母親のせい?
滝沢カレンさんの日本語は、
ずっと「おかしいまま」ですよね。
いろいろありますが、こんな感じで。
「滝沢カレンの日本語が変な理由は母親のせい?」については、
テレビ出演していた宮沢さゆりさんが次のようにコメントしていました。
(滝沢カレンさんの変な日本語は)「小さい頃から染み付いていた」というのは、
宮沢さゆりさんの通訳の仕事が関係していたようです。
ある番組では、
次のようなイラスト図で説明されていました。
宮沢さゆりさんが仕事で通訳する中では、
ロシヤの人が「カタコトの日本語」を話すことも多かったそうです。
それが子供だった滝沢カレンさんに、
「染み付いた」という母・宮沢さゆりさんの見解でした。
(娘の成長には)「環境が悪かったと後悔している」とも、
宮沢さゆりさんは話しています。
あらためて、
滝沢カレンさんの変な日本語がテロップに出ている画像をチェックしてみました。
おばあちゃんがアライグマにエサをあげていたと言いたかったと思うのですが、
滝沢カレンさんの日本語は次のようになっています。
このままだと「おばあちゃんが残り物」という意味になってしまいますが、
「あげたエサは人間が食べた残り物」ということのようですね。
おばあちゃんの様子を伝える話では丁寧語にならずに、
タメ口っぽい日本語になっていました。
時には、
詩的な表現になることもあります。
そんな滝沢カレンさんは、
独特な日本語のままで説明している料理(レシピ)本を出版!
こんなふうになっています。
本の帯に糸井重里さんは、
この人は、日本語をこわしているのではない。
あたらしい日本語をデザインしているのだ。
と書いています。
糸井重里さんは、
「ほぼ日刊イトイ新聞」で滝沢カレンさんと対談もしていました。
日本生まれ・日本育ちのハーフでも日本語が苦手というキャラもなかなかいないですよね。
そんな特殊なキャラを生かして、滝沢カレンさんはモデル業だけではなく、
最近ではバラエティ番組で大活躍されています。
滝沢家の家訓「勉強は無視」
滝沢家の家訓は「勉強は無視しろ」だったそうです。
中学時代の成績は体育は5でしたが、
他の教科は平均1.75だったといわれています。
でも国語は先生より、
「答えはひとつじゃない」と言われていたので好きだったそうです。
現在の滝沢カレンさんの自由な発想には、
その先生の言葉が聞いているのかもしれませんね。
滝沢カレンさん自身も自分の日本語が変だという事には気づいていたそうで、
19歳の時にはアナウンサー養成所にも通った経験があったそうです。
早口言葉なども訓練を行っていたこともあり、確かに滑舌はきれいですよね。
まとめ
滝沢カレンさんについてまとめてみました。
- 滝沢カレンさんは父親・ウクライナ人、母親・日本人のハーフだが、滝沢カレンさんが生まれる前に両親が離婚したたため、父親とは会ったことがない。
- 滝沢カレンさんは日本生まれの日本育ち。国籍も日本。
- 幼い頃は母親が多忙だったこともあり、母方の祖父母が滝沢カレンさんの面倒を見てくれていた。
- 2019年に滝沢カレンさんの母親は他界している。
- 滝沢カレンさんの日本語が変なのは、母親がロシア語の通訳をしており滝沢カレンさんの周りにはカタコトな日本語を話すロシア人が多くいたから、自然とカタコトな日本語を覚えた。
最後までお読み頂きありがとうございました。