岡野雅行さんは、元サッカー選手。
1995年から1999年には、
日本代表選手として活躍しています。
今回の話題は、岡野雅行さんの嫁です。
このページでは、
「岡野雅行の嫁は超美人!」「子供は娘1人?」「馴れ初めは?」
「破局復縁からの結婚だった!」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
岡野雅行のプロフィールと経歴
- 名前:岡野 雅行(おかの まさゆき)
- 生年月日:1972年7月25日(2022年11月現在-50歳)
- 出身地:神奈川県横浜市港北区
- 学歴:松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)⇒ 日本大学 (3年次中退)
- 現在の仕事:ガイナーレ鳥取代表取締役GM
横浜市立日吉台西中学校を卒業後には、
岡野雅行さんはブラジルへのサッカー留学を希望していました。
しかし、
家族には大反対されます。
その後、今でも語り継がれる高校時代を送ることになりました。
親戚にすすめられて岡野雅行さんは、
鳥取県の松江日本大学高等学校へ進学。
親戚の話では、
鳥取県は高校の数も少ないから、4回ぐらい勝てば選手権に出られるし、
そうすれば名前を売れるんじゃないか、
ということでした。
(初めての練習試合の相手もクローズみたいな学校だったそうです)
しかし当時の松江日本大学高等学校の様子について、
荒くれ者の集まりで、そういうやつらを更生させるところだったんです。
入学式で、みんな特攻服を着てました。
と岡野雅行さんは言っています。
入学してみると、サッカー部員は先輩1人。
その先輩と2人で、
寮の入り口に案内を出したり声を掛けたりして、
20人ぐらいの部員を集めたそうです。
その様子は「激レアさんを連れてきた。」で紹介され、
竜星涼さん、浅香航大さん、稲葉友さん、
勝村政信さん、矢野聖人さんらの出演でドラマ化もされています。
日本大学時代に、
Jリーグの6チーム(クラブ)からスカウト。
「大学を辞めてでも来てくれ」と言われて岡野雅行さんは、
日大を3年で中退して浦和入りしました。
岡野雅行の嫁は超美人!子供は娘1人?
岡野雅行の嫁は超美人!
2017年10月2日放送の「人生が変わる1分間の深イイ話」に、
岡野雅行さんは家族で出演していたそうです。
その際に妻の名前は裕子さんと紹介され、
芸能活動をしていたという話も明かされていたという情報があります。
ネット上で見られる「岡野雅行の嫁は超美人!」の顔画像は、
こちらです。
画像の1番右側が岡野雅行さんの嫁(妻)です。
この画像はまだ結婚する前のものなので、岡野雅行さんも奥さんも若いですね!
でもかなり美人なので、2022年現在も美人のままでしょうね。
「cinemacafe.net」に掲載されている画像には、
次のようなツーショットがありました。
子供は娘1人?
娘さんの名前は、「セナ」と広まっています。
2人目、3人目が誕生したという話はありません。
「ジョホールバルの歓喜」(1998年ワールドカップ・アジア第3代表決定戦)のあとに、
岡野雅行さんは結婚したという話なので、
「セナ」さんは1999年以降に生まれたと推測することができます。
そう考えると、
娘さんは20歳くらいの大人になっているかもしれませんね。
岡野雅行と嫁の馴れ初めは?
Jリーガと言うのが嫌だった岡野は八百屋と偽っていた?
岡野雅行さんと嫁の馴れ初めについては、
「どこで出会ったか」「いつ出会ったのか」という話は見つかりません。
2017年10月2日放送の「人生が変わる1分間の深イイ話」では、
次のようなことが語られていたそうです。
チャラいイメージのJリーガと言うのが嫌だった岡野雅行さんは、
八百屋と偽って交際して3年後に結婚した。
ここだけの話が切り取られているので、
当時の裕子さんが岡野雅行さんのことを知らなかったかどうかは不明です。
結婚した時期は?
「人生が変わる1分間の深イイ話」関連で出てくる話によると、
妻の裕子さんが現在住んでいる鳥取に慣れるまでは、
3年くらいかかったということでした。
岡野雅行さんの移籍にともなって、
妻の裕子さんもついていったようです。
岡野雅行さんのクラブ(チーム)の移籍歴を確認すると、
- 1994年に浦和入り。
- 岡野雅行さんの奇跡のゴールがあった「ジョホールバルの歓喜」は1997年。
- 1999年には、浦和在籍のままオランダのアヤックスに参加。
- 2001年9月から、ヴィッセル神戸に期限付き移籍。
- 2002年12月に完全移籍(ヴィッセル神戸)
- 2004年に、浦和に再び完全移籍。
- 2009年2月、香港リーグ1部の天水圍飛馬(TSWペガサス)に移籍。
- 2009年7月31日、ガイナーレ鳥取に移籍。
となっています
「交際して3年後に結婚」と「ジョホールバルの歓喜のあとに結婚」だとしたら、
岡野雅行さんと裕子さんは1995年(Jリーグ入りの翌年)あたりに出会って、
1998年には結婚したと推測。
ヴィッセル神戸時代以降は、
岡野雅行さんと裕子さんは結婚生活を送っていたようです。
香港は短い期間なので、単身赴任だと思われます。
岡野雅行と嫁は破局復縁からの結婚だった!
破局復縁からの結婚は奇跡のゴール?
「岡野雅行と嫁は破局復縁からの結婚だった!」という話は、
ネット上にある情報です。
もしかしたら、
「人生が変わる1分間の深イイ話」でトークされていたのかもしれません。
破局理由は不明ですが、
裕子さんがテレビに映っている岡野雅行さんを見たことで、
復縁から結婚となったという話です。
それは、
「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる試合で、
岡野雅行さんが奇跡のゴールを決めた瞬間のことでした。
岡野雅行さんのシュートによって、
ワールドカップ日本初出場となったのです。
そのあとには、
留守電に「裕子さんの声」が入っているのを岡野雅行さんを知ります。
「ゴール見ました」
これがきっかけとなり、
岡野雅行さんと裕子さんは復縁。
二人にとっては、
これこそ奇跡のゴールとも言える結婚につながります。
復縁のきっかけとなった「歴史的ゴール」とは?
岡野雅行さんと嫁(妻)が復縁したきっかけとなった「歴史的ゴール」は
1997年、ワールドカップ最終予選・第3代表決定戦で、
日本代表をワールドカップの切符に導く決勝ゴールのことです。
当時の動画はこちらです。
当時の岡野雅行さんは秘密兵器として、最後の延長戦でやっと出場。
しかし、緊張で普段のプレイができず、
何度も中田英寿さんからのパスをムダにしてしまいます。
それでも外しまくる岡野雅行さんに、
年下の中田英寿さんが『お前しかいないから!』と何度も言ってくれたそうです。
その甲斐もあって、
岡野雅行さんはいつもの調子にもどって、
「歴史的ゴール」を決めたのです。
奇跡のゴールの重荷からの解放
「ジョホールバルの歓喜」の奇跡のゴールは、
岡野雅行さんにとっては重荷にもなっていたそうです。
メディアばかりではなく、
どこに行っても「Vゴールの岡野」と持ち上げられるたびに、
他の選手の活躍が無かったかのようになり、
岡野雅行さんは申し訳なく思っていたと言うのです。
- 自宅前には常に報道陣。
- 買い物に出ても注目。
- 疎遠になっていた友人の激増。
人間不信に陥る状態。
そんな岡野雅行さんを救ったのは、
裕子さんと結婚して生まれた娘でした。
歴史図鑑を見ていた娘から「パパが出てる」と言われて、
「ジョホールバルの歓喜」が紹介されているのを知ったそうです。
それから岡野雅行さんは、
講演会などで自分の当時の思いをありのまま語ろうと思えたという話でした。
まとめ
岡野雅行さんにとって、
「ジョホールバルの歓喜」のゴールは人生を変えた奇跡でした。
現在はガイナーレ鳥取代表取締役GMを務めながら、
妻と鳥取で暮らしています。