元サッカー日本代表の岡野雅行さん。
高校時代から現在まで、数々の伝説があります。
伝説がすごすぎて、「野人」という称号が得るほど。
では、いかにすごいのか、岡野雅行さんの伝説をご覧ください。
目次
岡野雅行のwikiプロフィール!あだ名は「野人」

- 名前:岡野雅行(おかの まさゆき)
- 誕生日:1972年7月25日
- 出身:神奈川県横浜市
- 身長:175cm
- 高校:松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)
- 大学:日本大学(中退)
- 職業:ガイナーレ鳥取代表取締役GM
岡野雅行さん元サッカー日本代表です。
ポジションはミッドフィールダー、フォワード。

人並み外れたスピードで走り、長髪を振り乱しながら駆け回る姿や、
足元の技術が拙いとされている事などから、「野人」のあだ名で親しまれました。
祖父は、書家で文化功労賞の手島右卿(てしまゆうけい)さん。
- 浦和レッドダイヤモンズ
- ヴィッセル神戸
- ガイナーレ鳥取
現在、岡野雅行さんはガイナーレ鳥取代表取締役GMを務めています。
岡野雅行の伝説!高校時代~現在の野人エピソード

岡野雅行の伝説! 叔父に騙されて(?)ヤンキー高校に入学

岡野雅行さんは横浜生まれの横浜育ち。
小学校1年の時に親に勧められサッカーをはじめます。
小学校3年の時からサッカーに本格的に興味を持ち中学でもサッカー部に入部しますが、
遊びやゲームの時間が多くなりサッカーが疎かになりました。
中学校卒業後はブラジルへサッカー留学を希望しますが、両親から反対されます。
親戚の叔父さんから
「皆礼儀正しくハキハキしていて、近所の評判も良く全寮制でサッカーに打ち込める」
と、島根県松江市の松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)を薦められ入学します。
しかし実は、全国からヤンキーが集まった高校でした。
岡野雅行の伝説! 高校時代
まずは岡野雅行さんの高校時代の伝説をざっくりご紹介しますね。
- 入学式でまわりの生徒は特攻服にマスク姿(ヤンキーばかり)。
- 門限(18時)を守らなかった為、前歯4本を折られた。
- 職員や先生、先輩は神様。
- 1年生はとにかく挨拶!職員や先生、先輩とすれ違う時には必ず挨拶しなければならずトイレにもたどり着けないほど。
- 年間の脱走者数は約100人!
- 脱走者が出ないようにトイレの窓を開けただけでブザーが鳴る。
- 朝4時は掃除の時間。
- 1時間ただただ立ち続ける「不動」という授業がある。
- サッカー部はなかったが岡野雅行が理事長にかけあってサッカー部を創設した。
- サッカー部に経験者はほとんどおらず岡野雅行が監督兼選手でひっぱる。
岡野雅行さんの高校時代は全寮制の松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)で過ごしました。

当時はヤンキーばっかり集まる学校でしたが、全寮制のため門限も定めてありました。
門限を守らなかっただけで前歯4本も折られるなんて…恐ろしいですね。
2017年12月、岡野雅行さんがバラエティ番組「激レアさんをつれてきた。」では、
自身の高校について「更生させられる学校」と語っていました。
また、叔父に勧められたこの高校ではサッカー部がなかったのです。
岡野雅行さんは血気盛んな不良たちを集めてサッカー部を立ち上げ、
県内有数の強豪校にまでしました。
「激レアさんをつれてきた。」に出演した岡野雅行さんのエピソードをもとに、
ドラマ『激アツ!! ヤンキーサッカー部』まで放送されたのです。
岡野雅行の伝説! 大学時代
岡野雅行さんは日本大学に入学しましたが、大学3年生にとき「浦和レッズ」に入団するため中退しています。
大学に入学した当初、岡野雅行さんは「洗濯係」でした。
なぜなら日本大学のサッカー部は特待生や推薦でなければ入部は許されなかったからです。

『テスト生募集』という張り紙を見て、岡野雅行さんはダメ元で受けたら、見事に合格。
合格後にサッカー部の先輩から『洗濯係かマネジャーのどっちがいい?』と聞かれて、
岡野雅行さんは迷わず洗濯係を選んだそうです。
なんと、大学1年生のときは本当に、洗濯係オンリーだったそうです。
しかし、大学2年生になると、
いきなり大学に呼び出されて『岡野君、君を特待生にします』と言われたそうです。
なぜなら、岡野雅行さんの足の速さは学校でも有名だったのです。
100m走のタイムは10秒7!
めちゃめちゃ速いので、それはサッカー部も学校もほっておくわけがないですよね。
岡野雅行の伝説! 現役時代

岡野雅行の点の取り方
サッカーでは普通、味方からのパスを受けてシュート、ドリブルで切り込んでシュートなどから得点します。
しかし岡野雅行さんは、自分で遠くへ蹴ったボールに走って自分で追いつきシュートを決める方が楽だと気付きプレースタイルを変更したそうです。
肺に穴 自然治癒で治った?
浦和レッドダイヤモンズに入団した年。
ヴェルディ川崎戦中に岡野雅行さんは、相手のゴールキーパーと衝突してしまい救急車で運ばれました。
肺に穴があいており3ヶ月入院と告げられたのですが、翌日医師がレントゲンを見たら治ったそうです。

Vゴールでワールドカップ初出場を決める
1998年フランスワールドカップの予選で一度も試合に出ていなかった岡野雅行。
当時の監督である岡田武史さんに「どうして出してくれないんだ」と直談判したところ
岡田監督に「お前は秘密兵器だ」と言われたそうです。
延長戦での出場を言い渡される岡野雅行さんですが、
緊張のせいでなんども決定機をはずしましたが、
決勝Vゴールを決め見事ワールドカップ初出場を果たしました。
岡野雅行の伝説! 引退後~現在

現在の岡野雅行さんは、
ガイナーレ鳥取の代表取締役GMとして、その人気や知名度を活かし、
地元の商品をガイナーレ鳥取と野人・岡野の名前を使ってPRするなど、
鳥取県全体をPRしています。
さらに、
広島県の非営利団体・NPO法人『スポーツオフィスワン』の副理事長も務めているそうです。
NPO法人『スポーツオフィスワン』は、
スポーツを通じて健全育成と福祉の増進を目的とした組織だそうで、
ガイナーレ鳥取GM以外にも、スポーツに関する仕事であれば積極的に取り組んでいるようです。
【動画】岡野雅行のスピードが「野人」並!伝説のゴール集

岡野雅行さんといえば、「野人」のような足の速さが有名です。
大学時代の体育学科の授業で100メートルのタイムを計る際に、
周囲の生徒がスパイクを履いていたなか、岡野雅行さんだけはバスケットシューズで参加
「それで走るの!?」と驚かれたものの、
陸上部から「一緒に走ってくれない? 早いほうがやりやすいから」と誘われて走ったところ勝利。
しかもタイムは「10秒7」で、本人も「俺ってそんな足速いんだな」とびっくりしたそうです。
じつはマラドーナが好きで、アルゼンチンのサッカーを観ていたという岡野雅行さんは、
100メートル走のタイムが同じく10秒7だったというクラウディオ・カニージャの走り方を研究したそうです。
そんな岡野雅行さんのゴールはまさに「爆走伝説」ですね。
まとめ
岡野雅行さんの伝説を調査しました。
やはり1番インパクトがあったのは、高校時代のエピソードですね!
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