フィギュアスケート界の絶対王者、
羽生結弦選手をご存知ない方はいませんね?
これまでの功績は言うまでもありませんが、
羽生選手のご家族については、
あまり知られていないのではないでしょうか?
そこで今回は、
『姉さや&母親は美人で顔写真は?』
『父親は校長で学校はどこ?』など、
羽生選手のご家族を徹底調査していきたいと思います!
目次
羽生結弦の家族構成!姉さやは美人で結婚してる?
羽生結弦選手は4人家族です。
- 父親:羽生秀利さん
- 母親:羽生由美さん
- 姉:羽生沙耶さん(4歳年上)
- 羽生結弦選手(本人)
羽生選手のお姉さんは、「さや」さんといいます。
年齢は羽生選手の4歳上ということで2022年現在では、
31歳もしくは32歳だということがいえます。
姉は羽生結弦が競技を始めるきっかけ?!
このさやさんも羽生選手同様に
フィギュアスケートの競技経験があり、
羽生選手がフィギュアスケートを始めたのも
先に始めていた、さやさんの姿に憧れたからだそう。
選手として優秀だったようで、
ジュニアとして競技に取り組んでいた当時は
ダブルアクセルができたのだとか。
そんなさやさんの姿を見て、
「自分もできるようになりたい!」と
羽生選手は技を磨いていったんですね。
羽生選手にとって姉であるさやさんの存在は、
かけがえのない存在といえますね!
姉・さやは美人?!
羽生結弦選手がフィギュアスケートを始めるきっかけとなったさやさんですが、
一般人であるため、あまり多くの情報は明かされていません。
そのため、ネット上では、
さやさんが美人だと噂になっていますが、
現在の画像は見つかりませんでした。
上の画像は、羽生選手が4歳の頃のものですから、
さやさんは7歳もしくは8歳だと推測されます。
羽生選手同様、華奢で色白で美人になりそうな容姿ですね!
スタイルも良いため、とてもモテるのではないでしょうか!
姉・さやは結婚している?!
こちらも一般人のため、公表されていません。
ちなみに、さやさんは2015年時点で
アイススケートリンクの職員として働いています。
羽生選手のように競技を続けなかった理由は、
羽生選手のことを思ってとのことです。
というのも、フィギュアスケートは
続けるのに費用がかなりかかるため
羽生選手とさやさんの二人とも続けていくのは家計的に厳しかったようです。
そうした状況を察した羽生選手は、
「フィギュアスケートを辞める。」と言いましたが、
さやさんが「結弦が辞めるなら私が辞める。」と現在に至っています。
さやさんは羽生選手ならオリンピックを狙えると考え、
続けることを譲ったとのことで
大変家族思いであることが分かりますね!
このような人柄のさやさんですから、
結婚したら家族のために全身全霊尽くす
素敵な奥様になりそうですね!
【顔写真】羽生結弦の母親も美人!息子にべったり?
羽生結弦選手のお母さんのお名前は、羽生由美さんです。
こちらも一般人のため年齢は明かされていません。
由美さんは、現在専業主婦として生活していますが、
過去には、百貨店の紳士服売り場や
クリーニング店でパートとして働いていたようです。
上の画像を見る限り、
二人の成人のお子さんがいるとは思えないほど綺麗なことが分かりますね!
羽生選手が綺麗な顔立ちをしているのも頷けます。
金メダリストを支えた母親・由美さんですが
羽生選手のために、とことん尽くしてきたようです。
ここでは、由美さんが羽生選手を支えてきたエピソードについて紹介していきます!
羽生結弦の衣装を手作り!
フィギュアスケートといえば、
注目が集まるのがダイナミックな技だけでなく
煌びやかな衣装かと思います。
羽生選手の衣装はシニアになる2010年まで
母・由美さんが手作りしていました。
由美さんは、羽生選手の衣装を作るときの心境を
「衣装つくる時にやっぱり気持ちが入るというか、それで頑張ってもらえればいいなと思っています、毎回。」
とドキュメンタリー番組で語っています。
フィギュアスケートの衣装は、
注文すると100万近くかかるといいますから
家族のために、そして羽生選手のために愛を込めて作っていたんですね!
本当に献身的なお母様だなと感心してしまいますね!
羽生結弦と一緒に海外へ!
羽生選手は高校3年時、
ブライアン・オーサーという有名な指導者のもとで
トレーニングを積むため、カナダのトロントへ旅立ちました。
このとき、由美さんもカナダまで同行し海外生活を送りました。
さらに、金メダリストの韓国代表、
キム・ヨナさんを指導した経験のある
ブライアン・オーサー氏に指導をお願いしたのも由美さんだとか。
のちにオーサー氏は、由美さんの熱量に押し負けて指導を承諾したことを明かしています。
コーチへの直談判だけでなく、異国の地で生活をサポートするなど
息子のために一番の環境を与えようとする熱量は凄まじいものがありますね!
羽生結弦の父親は校長?経歴をまとめ
羽生選手の父親の名前は、羽生秀利さんといいます。
秀利さんの職業は公立の中学校校長ということで、
2021年には宮城郡利府町立利府西中学校に校長先生として赴任されています。
専門とする教科は数学で
野球部の顧問を担当することが多かったようです。
主な経歴を以下にまとめます。
- 1985年4月~1988年3月:東松島市立鳴瀬二中:3年(23~26歳)
- 1988年4月~1995年3月:宮城郡利府町立利府中:7年(26~33歳)子供二人生まれる
- 1995年4月~2003年3月:黒川郡大和町立吉岡中(現・大和町立大和中学校):8年(33~41歳)
- 2003年4月~2012年3月:富谷市立富谷中:9年(41~50歳)
- 2012年4月~2014年3月:石巻市立湊中学校(教頭):2年(50~52歳)
- 2014年4月~2016年3月:宮城郡利府町立しらかし台中学校(教頭):2年(52~54歳)
- 2016年4月~2021年3月:多賀城市運営の塩釜市立第三中学校(校長):5年(54~59歳)
- 2021年4月~:宮城郡利府町立利府西中学校(校長)(59~歳)
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/nanmin/1617587020/625 引用
最後に、羽生選手と秀利さんのエピソードを紹介したいと思います!
羽生結弦の名付け親!
羽生選手の名前を決めたのは秀利さんです。
結弦(ゆづる)という名前は、
弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい
という願いが込められているそうです。
秀利さんの願い通りに凛として競技に向き合う姿が見られていますね!
さすが教育者といったところでしょうか!
羽生結弦に野球をやらせたかった?!
前述の通り、秀利さんは野球部の顧問をしておりましたので、
やはり羽生選手にも野球をやらせたかったようです。
羽生選手が幼い頃は、
ボールにかなり慣れ親しんでいたようですので
野球をやらせようと期待していたようですが、
喘息持ちだったため諦めたようです。
喘息を克服するためにフィギュアスケートを始めましたので、
これも運命だったのかもしれません。
自分の思いを押し付けることなく、
息子の最善を考えてやりたいことを
やらせてあげる所に秀利さんの人柄を感じますね!
まとめ
今回は羽生結弦選手のご家族について紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
全員が家族想いで、羽生選手は家族に支えられてここまで上り詰めていたことが分かりましたね!
素敵なご家族なだけにこれからも応援したくなりましたね!
ここまで読んでいただきありがとうございました。