女優、歌手、実業家としての活動を展開しながら、
社会課題に対するメッセージを発信しつづける柴咲コウさん。
今回は、北海道の拠点の話。
「北海道の別荘はどこ?」「北海道のファームはどこ?」
「北海道に移住した理由は?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
柴咲コウの北海道の別荘はどこ?東川町?
柴咲コウの北海道の別荘はどこ?東川町?
デイリー新潮が東川町と記事にしている
デイリー新潮は2021年8月16日付のネット記事で、
「柴咲コウが北海道の小さな町に“別荘”」
このような見出しで柴咲コウさんの別荘のある場所について伝えていました。
この記事の冒頭当たりには、
「どこなのかは謎に包まれたまま」と書いてあります。
しかし読み進めると、
柴咲コウさんの別荘のある場所について、
少しずつ具体的な話が出てきます。
「冬はマイナス20度になることもあって」と、
地元の人のコメントが記事の文中に使われているのです。
結局は、このデイリー新潮の記事では、
柴咲コウさんの別荘のある場所を特定できていることが明らかになっています。
赤い線を引いたところにあるように、
- 東川町の一角
- 旭川空港から車で15分ほど
となっていますよね。
そればかりか、
「柴咲邸」は、鬱蒼とした白樺の森に囲まれた30坪ほどの一軒家だ。
と冒頭の「どこなのかは謎に包まれたまま」とは矛盾した情報が出てきます。
記事が伝えようとしているのは、
「地元民」は「別荘民」のことをよく思っていないということのようでした。
遠回しに、
柴咲コウさんの活動(社会課題の解決の懸け橋になる)への皮肉かなという印象です。
YouTubeチャンネルで見られる生活の様子
「レトロワグラースch.」の「薪で暖を取る│柴咲コウ 〜Solitude 森の暮らし〜」では、
柴咲コウさんの次のような生活が見られます。
こちらは、3月にアップされた動画です。
東川町について調べてみた!
旭川の東川町で検索してみると、
「東川町に住んでみませんか?」という取り組みをしていることがわかりました。
町の特徴については、
- 北海道のほぼ中央に位置している。
- 日本最大の自然公園「大雪山国立公園」の区域の一部になっている。
ことが紹介されていました。
柴咲コウの北海道のファームはどこ?安平町?
柴咲コウの北海道のファームはどこ?安平町?
徹子の部屋で紹介された?
柴咲コウさんの北海道のファームの場所について、
ネット上で多くの人が言っているのは、
2021年6月4日放送の「徹子の部屋」で「安平町」と紹介されていたという話です。
実際には、
POLO(競技)ができるフィールドのあるファームの様子の映像は流れていましたが、
柴咲コウさんから「安平町」と口にしている場面や、
テロップが出ている場面を確認するのはむずかしい感じ。
一瞬だけですが、
柴咲コウさんが安平町という場所を言うところがありました。
あらためて、
じっくりと説明する感じではないです。
参考までに、
POLO競技場は一般的にサッカーコート6面から9面の広さ。
柴咲コウさんの「レトロワグラースch. (YouTube)」では、
サッカーコート9個分と説明されています。
とにかく、広いです!
共同経営者のSNS情報で「安平町」と判明?
さらに、
柴咲コウさんの北海道のファームが安平町にあるのかを調べてみました。
有力な情報としては、
柴咲コウさんの共同経営者「フウ・フェイフェイ氏」のSNSに、
「北海道ホームファーム」という名前が出てくるというのを発見。
フウ・フェイフェイ氏は、
柴咲コウさんの「レトロワグラースch. (YouTube)」で、
POLO(競技)ができるフィールドのあるファームの広さを説明している人です。
フウ・フェイフェイ氏のFacebook情報をチェックしてみると、
一般社団法人日本ポロ協会の創始者&代表理事であることがわかりました。
フウ・フェイフェイ氏のFacebookにリンクされている情報をたどっていくと、
「Hokkaido Polo Club」が見つかります。
この「Hokkaido Polo Club」をGoogleで検索すると、
「Hokkaido Home Farm」が出てきました。
所在地は、
「北海道安平町早来富岡295-11」です。
安平町は、「あびらちょう」と呼びます。
この安平町は
競走馬の生産牧場「ノーザンファーム」のある地域です。
柴咲コウが北海道に移住した理由は父親と関係?
柴咲コウが北海道に移住した理由は父親と関係?
北海道出身の父親のため
「柴咲コウが北海道に移住した理由は父親と関係?」については、
2021年6月4日放送の「徹子の部屋」で語られていました。
柴咲コウさんは、
北海道出身の父親のために家を建てたことを明かしています。
黒柳徹子さんとのトークでは、
母親が他界したあと、
柴咲コウさんが19歳のころから、
父親と二人暮らしだったというエピソードも交えていました。
実際には「父親が北海道の家に足を運んだのは1度だけ」と柴咲コウさんは、
黒柳徹子さんに話しています。
厳密には完全な移住ではなく、
柴咲コウさんは東京と北海道の2拠点生活で、
父親は東京に在住という説明もしていました。
北海道暮らしのエピソードとして、
春や秋には地面からの腐葉土(微生物)のぬくもりを感じることや、
水道はないので湧き水を使っていること、
キツネやリスが家の前までやってくる様子など
を柴咲コウさんは語り、
黒柳徹子さんを驚かせる場面もあります。
不自由なこととしては、
冬は雪が多くて買い物にはいけない話もしていましたが、
柴咲コウさんの表情はイキイキと輝いていました。
社会課題への啓発活動
柴咲コウさんは環境省の環境特別広報大使を務めながら、
社会課題への啓発活動にも取り組んでいます。
これまで、
国立公園の魅力を国内外に伝える活動や、
荒れ果ててしまった森を美しい森へと再生するイベントなど、
自然と向き合う活動を続けてきました。
2つ目の拠点として北海道を選んで、
「Hokkaido Home Farm」を作ったのも、
柴咲コウさんの「自然と調和するライフスタイル」の表れなんでしょうね。
まとめ
社会課題や環境問題の取り組みは政治や法律も絡んでくるので、
柴咲コウさんの発言や投稿には批判の声も上がります。
それでも、
しっかりとした足取りで柴咲コウさんは自然と調和する生活を推進しているようです。