芸能

善竹富太郎のwikiプロフィールや経歴は?狂言界の申し子だった!

2020年5月1日(金)大蔵流狂言師の善竹富太郎さんが4月30日午後7時54分、新型コロナウイルス感染に伴う敗血症のため東京都渋谷区の病院で死去というニュースが入りました。

まだ、40歳という若さで亡くなられた善竹富太郎さんにご冥福をお祈りします。

今回は善竹富太郎についてリサーチしていきたいと思います。

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善竹富太郎のwikiプロフィール

  • 名前:善竹富太郎(ぜんちくとみたろう)
  • 本名:茂山富太郎(しげやまとみたろう)
  • 生年月日:1979年8月10日
  • 出身地:東京都
  • 学歴:学習院大学文学部
  • 職業:狂言師

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善竹富太郎の経歴は?

幼少期

善竹富太郎さんは3歳のころから稽古を始めました。

5歳のときには狂言「靭猿」(うつぼざる)の小猿役で初舞台に上がりました。

狂言師の家の者達は公演第一主義で学校を休んで狂言の公演に出演しているというイメージがるようです。

ただ、善竹富太郎さんの生まれた東京善竹家としては祖父の故善竹圭五郎、父の善竹十郎の教育方針が学業優先という考えでした。

そのため、善竹富太郎さんは多くの狂言師の家とはことなり学校生活を送る事が出来ました。

そして、狂言の世界にも抵抗なく入って行くことが出来ました。

狂言師としての仕事

その後、1999年、20歳になると「三番三」(さんばそう)、

2001年、22歳で「那須」(なす)、

2003年、24才で「釣狐」(つりぎつね)を披(ひら)きました。

※「披(ひら)く」の意味:役者として一つの節目であり、いわば「試験に合格した」「大きな資格を取得した」「昇進した」といった慶事であり、とても晴れがましい事。

通常は能楽堂で演じることがメインの仕事になります。

その他は学校狂言と称して全国の小・中・高校で狂言を行います。

また、幼稚園やそれぞれの地域の人達に狂言ワークショップを行ったり、

カルチャースクールの狂言講師も行ったりもします。

学習院大学や早稲田大学など各大学で狂言を指導されることあるそうです。

昭和音楽大学では講師としてミュージカル学科の生徒達に狂言を教えていました。

狂言という日本の伝統文化を広く普及させていたの一人が善竹富太郎さんだったのです。

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善竹富太郎は狂言界の申し子だった!

善竹富太郎さんは狂言界の申し子と言われています。

その理由は善竹富太郎さんの曾祖父の彌五郎が狂言界で初めて人間国宝になった偉大な方ということ。

善竹富太郎さんにもその血が流れていることで狂言という日本の伝統文化を普及させていくことに責任感を感じていました。

曾祖父・彌五郎の息子は5人。

五男が善竹富太郎の祖父の圭五郎です。

次男が先代の宗家、彌右衛門だそうです。

そういった偉大な東京善竹家の一人として日々狂言に尽力されていました。

善竹富太郎は次のように意気込みを語っています。

「大勢の先人が守ってきた伝統を、恥ずかしくないように継承して、さらに新しい風を吹かすのが私の使命だと思い日々狂言を演じております。」

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まとめ

今回は『善竹富太郎のwikiプロフィールや経歴は?狂言界の申し子だった!』についてまとめてみました。

善竹富太郎さんのご冥福をお祈り致します。

最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。


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