東京パラリンピック2020の中でも注目されるのが陸上走り幅跳びの山本篤選手。
パラリンピック界の歴史を塗り替え続けてきた姿は、
多くの人に勇気と希望を与え続けてきた選手ですね。
そこで山本篤選手の結婚した妻についてや、
高校時代の事故の原因や義足の値段などを調査していきます。
目次
山本篤のwikiプロフィール&経歴
山本篤のwikiプロフィール
- 名前:山本篤(やまもと あつし)
- ニックネーム:アツシ
- 生年月日:1982年4月19日
- 出身地:静岡県 掛川市
- 居住地:大阪府泉佐野市
- 所属:新日本住設
- 身長:167cm
- 体重:59kg
- 大学:大阪体育大学体育学部
- 大学院:大阪体育大学大学院体育学博士課程
- 種目:走り幅跳び100m・200m
- クラス:T63
- 主な戦歴:パラリンピック北京大会 走り幅跳び銀メダル
パラリンピックリオ大会 走り幅跳び銀メダル・4×100mリレー銅メダル
山本篤選手は2019年にアラブ首長国連邦(UAE)で
開催された世界パラ陸上大会走り幅跳びで3位となり、
見事に東京パラリンピック2020出場権を獲得しています。
山本篤の経歴
高校2年生で事故
幼い頃からスポーツをすることが大好きな山本篤選手は、
小学生の頃は野球チームに所属し、
中学から高校までバレーボール部に所属していました。
しかし高校2年生の春休みに単独事故で脚を強打し、
左脛骨を粉砕骨折し入院後に壊死が進行し、
大腿から左足を切断してしまいます。
左足を切断後は義肢装具士を目指していたものの、
関係者から競技の方を進められパラリンピック出場を目指します。
大学時代に北京パラでメダル
アテネで開催されたパラリンピック出場は叶いませんでしたが、
大阪体育大学に進学後は陸上部に所属し、
2008年のパラリンピック北京大会で銀メダルを獲得しています。
パラリンピック北京大会で、
日本人初となる義足選手として初のメダリストに輝き、
2016年リオパラリンピックでも銀メダルを獲得しました。
これまでの数々の実績から
「パラリンピック界の鉄人」と称され、
身体能力の高さだけでなく、
大学院で運動力学を専門的に研究する緻密さも兼ね備えています。
さらに山本篤選手の活躍は陸上競技だけに留まらず、
2017年1月に「スノーボードで平昌に挑戦」を発表し、
世間を驚かせます。
「平昌オリンピック出場は無理」との声を覆し、
平昌でスノーボードクロスで出場を叶えた姿は
今でも印象深い出来事です。
【顔画像】山本篤が結婚した妻は美人!子供は1人?
【顔画像】山本篤が結婚した妻は美人!
山本篤選手の妻の幸子さんは小学校の先生をしており、
目鼻立ちがはっきりした美人で笑顔が印象的な方ですね。
奥さんの名前は「山本幸子」さんです。
料理上手な方で、
山本篤さんと一緒にYoutubeに出演しています。
ちなみに山本篤選手の好きな食べ物は
「魚の煮付け」ということで、
幸子さんの手料理も勝利の原動力ですね。
気になる馴れ初めや結婚時期の情報は見つけられませんでしたが、
当然ながら家族の存在が山本篤さんにとって、
大きなモチベーションなのは間違いありません。
【顔画像】山本篤の子供は1人?
山本篤選手の子供は1人です。
2018年に第一子である息子”駿太(しゅんた)くん”が誕生しました。
何となく目元は山本篤選手に、
鼻と口元は奥様に似てる気がしますよね。
息子の駿汰くんは2021年現在3歳半という年齢で、
山本篤選手は、
「駿汰くんの存在が競技を続けるモチベーション」
と話しています。
山本篤の夢は息子とウイニングラン
山本篤選手の夢は、
「駿汰くんとウイニングランをすること」だそうです。
レースなどで、優勝者がゴール後にコースを1周すること。
プロのパラアスリートとして活動する山本篤選手ですが、
自ら恵まれた環境を捨てる覚悟でプロになりました。
以前は実業団に所属していた山本篤選手でしたが、
パラスポーツ界の発展も考え、プロに転向し、
強い選手になるためプロになり退路を断ちます。
すでにプロ転向したときには、
妻・幸子さんと1児の父親でもあり、
勝たないと契約が打ち切られる厳しい世界で自分を磨き続けています。
なので、山本篤さんは息子とウイニングランするため、
まだまだ現役で頑張れる目標があるのは羨ましい限りです。
山本篤の事故の原因や義足の値段は?
山本篤の事故の原因
山本篤選手は高校2年のときに
スクーターを運転中に事故を起こし、
左足を複雑骨折し細菌が増殖し左足を切断しています。
左足を切断した日は一晩中泣いていたと話していますが、
誰でも自分の足を切断する選択は、
本当に辛いのは言うまでもありません。
しかし、山本篤選手は左足を切断しても、
常に前向きです。
「障害を持ったことでハッピーになった」と明るく話しています。
とある小学校で講師を務めたときに
子供からの質問で、
「なぜ足を切断してもスポーツをしたかったのか」と質問されました。
質問に山本篤選手は「スポーツが好きだから」と即答し、
左足を失った悲壮感を全く感じさせないのも大きな魅力ですね。
山本篤の義足の値段は?
山本篤選手に限らず、
義足は競技用と日常生活用の2種類があります。
競技用の義足は通称「板バネ」と呼ばれ、
地面からの反発を利用し走ったり跳ぶことができます。
競技用義足と日常用義足を固定するネジは同じものなので、
想像しているよりも簡単に義足の履き替えが可能なようです。
膝から下のカーボン部分は1年ごと交換
気になる競技用義足の価格は想像以上に高額で、
膝から下のカーボン部分は、
1年ごとに30万円ほど費用がかかります。
膝の部分は2年ごと交換
さらに膝の部分についても2年ほどで交換が必要で、
2年ごとに30万円前後の交換費用がかかるのは驚きですね。
足を入れる部分は2~3年ごと交換
そして足を入れる部分も2~3年ごとに交換が必要ということで、
こちらは交換費用が40万円前後と高額になります。
これらを合わせても100万前後の費用がかかりますが、
山本篤選手は数多くのスポンサーがサポートしてくれています。
しかし、スポンサーがつかない選手は自己負担になるので、
競技をするまでに義足を準備するだけでも困難を極めます。
まだまだ障害のある人と健常者の壁も大きいと感じますし、
様々な面でサポートが足りないと実感しましたね。
まとめ
高校のときに事故で左足を切断した山本篤選手ですが、
どんな状況でも明るい性格で苦難を乗り切る姿は尊敬しかありません。
しっかり起きた現実を受け止め前に進み続けることは、
頭では理解できても実行できる人は少ないと思います。
東京パラリンピック2020で山本篤選手にメダル獲得の期待よりも、
自分が納得する走りをしてほしいのが一番ですね。