「社会のぞうきんになって社会をきれいにする生き方がしたい」という言葉を掲げ、
衆議院として活躍されている山井和則さん。
2021年3月1日に行われた衆院予算委員会の集中質疑での山井和則さんの発言が、
注目を集めていますね。
そんな山井和則さんはご結婚されているようですが、嫁(妻)とは姓が違うようです。
今回は、山井和則さんの奥さんの顔画像や子供、夫婦別姓の理由などについて調査しました。
目次
【顔画像】山井和則が結婚した嫁(妻)は大学教授?馴れ初めは?
山井和則の嫁(妻)は大学教授?
立憲民主党所属の衆議院議員である山井和則さん。
2021年3月1日に行われた衆院予算委員会の集中質疑での山井和則さんの発言が、話題になっています。
そんな山井和則さんは、京都大学出身の超エリートです。
実はご結婚されていて、奥さんも優秀な方なのです。
奥さんは、斉藤弥生さんという方で大阪大学で教授をされています。
1964年東京生まれ。
学習院大学法学部政治学科卒業後は、
- スウェーデン国立ルンド大学政治学研究科(行政学修士)
- 大阪大学学術博士(人間科学)
- 大阪外国語大学大学院地域文化学科助手、講師、助教授
を経て、
現在は大阪大学大学院人間科学研究科教授、放送大学客員教授をされているそうです。
専攻は社会福祉学、行政学(高齢者政策)。
主著に
- 『スウェーデンにみる高齢者介護の供給と編成』(単著、大阪大学出版会、2014年
- 「第16回損保ジャパン記念財団賞受賞」(2015年)
- 『体験ルポ日本の高齢者福祉』(共著、岩波新書、1994年)
等があります。
本も出されているということは、優秀な教授なのでしょう。
山井和則と嫁(妻)の馴れ初めは?
山井和則さんとは、松下政経塾で知り合ったのだそうです。
松下政経塾とは、
パナソニックの創業者である松下幸之助さんが、1979年(昭和54年)に設立した政治塾です。
国会議員・地方首長・地方議員などの政治家を中心に、
経営者・大学教員・マスコミ関係者など、各界に人材が輩出している塾のようです。
山井和則さんは第7期生で、斉藤弥生さんは第9期生だったようです。
斎藤弥生さんも政治学科を専攻していて、政治塾にも通われていたので、
元々政治に興味があり意気投合したのでしょうね。
山井和則に子供はいる?夫婦別姓の理由は?
山田和則さんと斉藤弥生さんの間にお子さんがいるのか調べたところ、
松下政経塾の卒業生プロフィールに、2020年10月時点で
家族 妻と2人暮らし(京都府宇治市在住)
引用:https://www.mskj.or.jp/profile/yamanoi.html
と書かれていたので、
お子さんはいらっしゃらないようです。
また、苗字が違いますが、
夫婦別姓を取り入れてるからのようです。
山井和則さんといえば選択的夫婦別姓制度導入に賛成の立場ですので、
自身でも実践しているようですね。
山井和則のwikiプロフィール&経歴
山井和則のwikiプロフィール&経歴
- 名前:山井和則(やまのいかずのり)
- 生年月日:1962年1月6日
- 出生地:京都府京都市
- 出身校:京都大学工学部工業化学科、京都大学大学院工学研究科修士課程
- 職業:政治家、立憲民主党所属の衆議院議員(7期)
- 前職:立命館大学講師、奈良女子大学専任講師、やまのい高齢社会研究所長
- 所属政党:(旧民主党→)(民主党→)(民進党→)(希望の党(前原G)→)(旧国民民主党→)(無所属→)立憲民主党(小勝会)
- 称号:工学修士
- 趣味:卓球、猫の世話、写真撮影、美味しい緑茶や抹茶を飲むこと、入れること
- 好きな言葉:千里の道も一歩に始まる、和を以て貴しとなす、使命
- 尊敬する人物:キング牧師、マザー・テレサ
- 家族:妻と2人暮らし(京都府宇治市在住)
山井和則さんは京都市生まれで、高校は洛南高校だったようです。
洛南高校は、偏差値70オーバーの京都最難関校です。
高校卒業後は、京都大学工学部工業化学科に進学しています。
大学時代は福祉施設でのボランティアを手がけるサークルに入っていたそうです。
おばあちゃんが寝たきり生活の末に亡くなったことがあり、
その経験から福祉に興味を持つようになったようです。
無事卒業し大学院に進まれ、
1986年京都大学大学院工学研究科修士課程を修了し、工学修士号を取得しました。
将来は工学部の専攻を活かすべく「化学研究者になるか」迷った挙句、
最終的に”福祉を考える生き方”を選んで政治家を志すようになったのだそうです。
そのため松下政経塾に入塾(第7期生)し、卒塾後は京都ボランティア協会に勤務していました。
スウェーデンのルンド大学福祉学部研究科への留学を経て、
1994年から立命館大学政策科学部で講師を、
1995年からは奈良女子大学生活環境学部専任講師を務めていました。
1996年から、第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で京都6区から立候補し、
政治家として活動をはじめます。
しかし、新進党公認の玉置一弥さんに敗れ、次点で落選してしまいました。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では、比例近畿ブロック単独で民主党から立候補し、初当選を果たしました。
2019年7月26日から、立憲民主党会派に正式に参加し、衆議院議員として活躍しています。
山井和則が高校の担任の影響で政治家になった
山井和則さんが政治家を志したのは、高校時代の担任からの教えが大きかったようです。
山井和則さんは掲げている、
「社会のぞうきんになって社会をきれいにする生き方がしたい」
という言葉は高校の担任先生が毎日言っていた言葉だそうです。
自ら汚れてでも社会をきれいにする「ぞうきん」の教えは深く心に刻まれたそうです。
「ぞうきん」の教えを受け、
大学に進学してから母子生活支援施設(当時の「母子寮」)でのボランティアに励んでいたそうです。
貧困や家庭崩壊、虐待で苦しむ子どもたちの遊び相手をしながら「政治の力を最も必要とする人々は、政治から最も遠いところにいる」と強く思った。
酵母菌をテーマに修士論文を書き、企業への就職も考えたが、「ぞうきん」の教えが政治の道を志す決め手になった。
政治家になってからも先生は人生の師。
今でも先生から頂く手紙やファックスは私のバイブルだ。
先日頂いたファックスは「障害があろうと貧しかろうと弱者は一人一人が国の宝です」という教えだった。引用元:http://yamanoi.net/archives/post_7964.html
山井和則さんが掲げている「社会のぞうきんになって社会をきれいにする生き方がしたい」という言葉は、
高校時代の恩師からの言葉だったのですね。
まとめ
今回は、山井和則さんの奥さんや夫婦別姓の理由などについてまとめました。
夫婦ともに優秀なのですね。
家庭でも政治や福祉について意見を交わすのでしょうか。
お二人とも福祉に精通した方なので、互いに意見交換や相談ができて良いですね。