陸上100m走で9秒95の日本記憶を樹立した山縣亮太選手は、
一気に日本陸上界の主役に躍り出ましたね。
これまで日本人選手が9秒の壁を破ることができませんでしたが、
近年は9秒台を叩き出す選手が目立ってきました。
そこでスポーツ店社長の山縣亮太選手の父親、
美人と評判の山縣亮太選手の母親を調査していきます。
目次
山縣亮太の家族構成!兄弟はいる?
山縣亮太の家族構成!兄弟はいる?
山縣亮太選手の家族構成は両親と兄の4人家族です。
名前と2021年現在の年齢は以下になります。
- 父親:山縣浩一(60歳前後)
- 母親:山縣美津恵(64歳前後)
- 兄:山縣昌平(31歳前後)
- 山縣亮太(29歳)
兄の顔画像はこちら。
山縣亮太選手より2歳年上で、
2人ともイケメンなところが共通点ですね。
幼少期の画像はこちら。
左が兄、右が山縣亮太選手です。
本当にイケメン兄弟ですね。
兄のFacebookによると、
2019年に「秋から北海道」という投稿がありました。
結婚して北海道に行くのか、転勤で北海道に行くのか、
北海道にいく理由は不明ですが、
2021年現在も北海道在住かもしれませんね。
山縣亮太と兄のエピソード
山縣亮太選手が陸上を始めたのは兄がきっかけで、
当時、兄が学校の代表で、
100m走の大会に出場し入賞しました。
兄が入賞して表彰状をもらった姿を見た山縣亮太選手は、
「僕も来年その大会に出る」と決意し、
本当に翌年同じ大会に出場します。
結果は2位を大きく引き離しての優勝ということで、
ここから山縣亮太選手の陸上人生がスタートしました。
そして山縣亮太選手の走りがクラブ関係者の目に留まり、
本格的に陸上を始め日本を代表する選手へと成長していきます。
もし兄が入賞せず表彰状をもらっていなければ、
山縣亮太選手の現在の活躍はなかったかもしれませんね。
山縣亮太と家族のエピソード
今でこそ陸上選手として活躍している山縣亮太選手ですが、
生まれたときは超未熟児で集中治療室に入り、
命の危険もありました。
命の危機を乗り越え退院した後も身体は弱く、
1年間外出禁止した後に再び緊急入院するなど
厳しい状況が続きました。
山縣亮太選手も自分が命の危機にあったことを知っていて、
現在まで両親への感謝を忘れず、
朝起きたら故郷の広島に向かって手を合わせるそうです。
普段は生きていることへの感謝を忘れてしまいがちですが、
平凡な毎日がいかに幸せかを再確認させられましたね。
山縣亮太選手の家族全員が深い絆で結ばれていて、
本当に温かい家庭を絵に書いたような家族だなと思います。
【顔画像】山縣亮太の父親は社長!実家はスポーツ店?店の場所は?
【顔画像】山縣亮太の父親の職業はスポーツ店社長!
山縣亮太選手の父親の浩一さんは、
広島でスポーツ店を経営している社長です。
山縣亮太選手の試合にも駆けつけることが多いので、
メディアに登場する機会も多くダンディーな顔立ちが印象的な方です。
浩一さんは2021年時点で61歳になりますが、
全く年齢を感じさせない若々しさで、
山縣亮太選手にも負けない色気があります。
山縣亮太の父親の店の場所はどこ?実家と同じ場所?
お店の名前は「株式会社ニシヒロ」といいます。
気になるお店の場所は。
広島県広島市西区南観音8丁目12−20で、
ネットで検索すれば詳しいお店の情報も公開されています。
株式会社ニシヒロは、
- スポーツ用品の販売
- スポーツ用品の各種メンテナンス
- 学校体操服の販売
などの事業を行っています。
従業員20名のスポーツ用品専門店で、
お店の入り口には山縣亮太選手の写真や
新聞の切り抜きが貼られています。
株式会社ニシヒロのホームページには、
主要納品先のトップが
サッカーJリーグのサンフレッチェ広島と書かれています。
まさに広島を代表するスポーツ店なのは間違いなく、
地域に密着したお店として愛されているのは間違いありません。
ただ、実家と同じ住所かどうか不明です。
山縣亮太の父親はなぜいつも帽子かぶってる?
山縣亮太選手の父親がメディアに登場する際、
必ず帽子をかぶっています。
「髪の毛の量が少ないからでは?」という声がありますが、
実は、浩一さんは若い頃から帽子を愛用しています。
父親はとくに帽子をかぶる理由を明かしていないのですが、
単に若い頃から帽子が好きで、
トレードマークにしてきたからでしょう。
山縣亮太と父親のエピソード
父・浩一さんは子育てについて、
「褒め続ける」ことを常に意識し、
陸上に関して山縣亮太選手を怒ったことは一度もないそうです。
浩一さんは山縣亮太選手が100m走で日本新記録を樹立したときも、
試合会場で観戦し「本当に親孝行」と話しています。
父・浩一さんは日本新記録が出る映像を夢見ながらレースを見るそうで、
実際に日本新記録が出たときは、
頭が真っ白で現実を受け入れられなかったと話していました。
今でも浩一さんは山縣亮太選手と釣りに出かける関係で、
気兼ねない親子の会話が山縣亮太選手のストレス発散のようですね。
【顔画像】山縣亮太の母親は60代美女!
【顔画像】山縣亮太の母親は60代美女!
山縣亮太選手の母親の美津恵さんは、
2021年時点で64歳ですが、
とても60代とは思えない美女で若々しい方ですね。
美津恵さんは大のお酒好きとの情報もありますが、
山縣亮太選手は初任給で美津恵さんに梅酒をプレゼントしたそうです。
お酒の中でも梅酒が大好きということで、
山縣亮太選手にプレゼントされた梅酒の味は格別だったと思います。
親孝行したい気持ちがあっても照れくさい部分もあるので、
親孝行しないまま過ごしてしまう人も多いはずです。
しかし、山縣亮太選手は素直に両親への感謝を話せるところも、
陸上選手として一人の人間として本当に立派ですね。
山縣亮太と母親のエピソード
山縣亮太選手が東京オリンピック出場が決まったとき、
美津恵さんは山縣亮太選手さんに手紙を送っています。
美津恵さんの手紙には、
「こんなに恵まれた母は世界中のどこを探してもいないと思います」
と書かれていて、
山縣亮太選手も
「母親の言葉は心に刺さります。本当に嬉しかった」
と話しています。
山縣亮太選手は料理を作るのが趣味ということなので、
両親に手料理を振る舞うこともあると思うと羨ましい限りです。
これまでの山縣亮太選手は怪我に悩まされ続けた陸上人生で、
一時は引退も考えるほど精神的にも肉体的にも追い込まれていました。
度重なる怪我に苦しめられても逆境をチャンスとして捉え、
怪我を克服し数々の逆境にも負けない精神力の強さも魅力です。
山縣亮太選手にコーチはいないので、
付き添いはトレーナーとマネージャーだけで、
常に自分自身を分析し走りの向上を目指し続けています。
「走る哲学者」とも称される山縣亮太選手の基礎を支えるのは、
間違いなく両親の温かい愛情があってこそだと思います。
まとめ
山縣亮太選手の両親とも若々しい姿が印象的で、
爽やかな山縣亮太選手の両親だと誰もが納得すると思います。
山縣亮太選手は陸上ができるのは両親のおかげと話し、
それを聞いた両親とも涙していた姿がとても印象的でした。
東京オリンピック男子100m走で山縣亮太選手が決勝に進めれば、
今回のオリンピックで最大の衝撃になるのは間違いなさそうです。