「情熱大陸」では、
歌手デビュー54年目の和田アキ子さんの密着が実現されました。
今回は、旦那の話。
このページでは、
「和田アキ子の現在の旦那の飯塚浩司は何者?」「和田アキ子の元夫は社長?
「和田アキ子に子供はいる?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
和田アキ子の現在の旦那の飯塚浩司は何者?
現在の旦那の飯塚浩司の身分や職業
和田アキ子さんの再婚がニュースになったころは、
現在の旦那の飯塚浩司さんはテレビカメラマンでした。
現在、
飯塚浩司さんは「株式会社エー・アンド・ケイ」のCEOを務めています。
こちらに名前が出ている和田現夫さんは、
和田アキ子さんの弟のようです。
事業内容の「タレント・アーティストのプロデュース・マネジメント」について、
確認してみたところ、
具体的に業務提携している人物名は掲載されていませんでした。
Wikipediaやその他のネット情報によると、
1980年代には美容院を経営していたそうです。
2007年4月10日には、
東京・西麻布に和食屋「わだ家」をオープン(和田アキ子さんは監修という立場)して、
経営は「株式会社エー・アンド・ケイ」が行っています。
現在は、次のように店舗を展開。
会社概要は、以下の通りです。
入籍と顔写真
こちらの画像にある通り、
和田アキ子さんと飯塚浩司さんの入籍は1981年6月1日。
出会いは、
1980年放送のフジテレビの(ライオン奥様劇場)「ひまわり戦争」。
このドラマで、
飯塚浩司さんはテレビカメラを担当していたそうです。
主演だった和田アキ子さんの一目ぼれによって、交際8か月での結婚。
顔画像のアップは、こんな感じです。
さすがに、
このころは和田アキ子さんも若いですね。
和田アキ子さんの「夫・飯塚浩司さんへの感謝のコメント」には、
次のような言葉があります。
「私が病気になったり、ケガしたりしたときも
『俺は(本名の)飯塚現子より和田アキ子が好きだから、
和田アキ子のファンだから真摯に歌って欲しい』と励まされた。
和田アキ子の元夫は社長?
和田アキ子の元夫は社長?
和田アキ子さんの元夫は、小林 甫(こばやし はじめ)さんです。
現在は、株式会社ティアンドケイ・ミュージックの代表取締役社長。
小林 甫さんの事務所に所属しているタレントには、
坂本冬美さんと森山愛子さんがいます。
元夫との結婚生活は8か月
元夫との出会いから結婚まで
和田アキ子さんと小林甫さんが結婚したのは、1976年。
お二人は、
同棲生活5年を経ての結婚だったそうです。
小林甫さんは、
和田アキ子さんのマネージャー(ホリプロ)でした。
小林甫さんが和田アキ子さんのマネージャーになったのは、
1969年4月25日に発売された「どしゃぶりの雨の中で」のときからです。
和田アキ子さんにとっては、
2枚目のシングルレコード。
その後、
和田アキ子さんと小林甫さんは、
所属事務所であるホリプロの社長に、
1971年8月に一度は結婚の許可を求めています。
しかし、
時期尚早ということで、
ホリプロの社長は和田アキ子さんと小林甫さんの結婚を認めませんでした。
その後も交際は続き、
和田アキ子さんと小林甫さんは、
5年間の同棲を経ての結婚となりました。
わずか8か月の結婚生活で離婚
出会ってから長い時間がかかって、
認めてもらえない状況を乗り越えるという形で結婚できたのに、
和田アキ子さんと小林甫さんは、
わずか8か月の結婚生活で離婚となります。
小林甫さんは和田アキ子さんの担当マネージャーを外れていたので、
忙しくなった和田アキ子さんとは、
すれ違いが多くなったそうです。
和田アキ子さんは、
離婚を発表する会見については、
新聞の見出しは、
次のように「ささいなケンカが積み重なる」となっていました。
子供がほしかったという和田アキ子さんでしたが、
すれ違いの結婚生活の中では願いは叶わなかったようです。
和田アキ子に子供はいる?
和田アキ子に子供はいる?
和田アキ子さんには子供はいません。
子供をたくさん産んで、
将来は子供とデュエットするという夢もあったそうですが、
小林甫さんとの初婚のときも、
飯塚浩司さんとの再婚後も出産することはできなかったのです。
子供を産めない!和田アキ子の号泣エピソード
飯塚浩司さんと再婚して、
その2か月後に和田アキ子さんは子宮がんを患います。
夫の飯塚浩司さんは、
医師から告げられた内容を和田アキ子さんに次のように伝えたそうです。
「手術しないと命に関わる。ただ、子供が産めない体になる」
このエピソードは、
日本テレビ系「1周回って知らない話」の再現VTRでも伝えられました。
2017年10月18日に放送があったあとには、
多くのネットニュースが和田アキ子さんの姿の反響を伝えました。
こちらの記事でも伝えられている通り、
放送中に和田アキ子さんは、
当時の感情がよみがえったように涙を流したようです。
それほど和田アキ子さんにとっては、
子供を産めなくなることは受けとめられないことだったのだと思います。
こちらのマイナビニュースのほうの記事には、
子宮がんが判明したときに、
和田アキ子さんと夫の飯塚浩司さんが交わした言葉も伝えらていました。
飯塚浩司さんが医師から聞いた子宮がんの状況を伝えると、
和田アキ子さんは、
- 「そんなん嫌や!」
- 「もう別れてもええで」
- 「こうちゃんの子供産んであげられへんし」
- 「もう死にたい」
と号泣したそうです。
夫の飯塚浩司さんは、
「俺は子供のために結婚したわけじゃない。俺はアコが好きなんだ」
と言葉を返してくれたそうです。
以上の話の通り、
和田アキ子さんに「子供はいない」のは、
子供を産みたくても産めなかったという運命からでした。
まとめ
和田アキ子さんは、
事務所の方針で子宮がんを公表しないまま仕事に復帰しています。
芸能人にとって昭和という時代は、
犠牲にすることが多かったことがわかるできごとですね。
離婚するときもホリプロの社長に相談。
27歳だった和田アキ子さんは、
「私がかわいい女じゃなかったということ」と泣いたそうです。
そのときの小林甫さんの心境を表す言葉として、
「憎しみ合わないように別れたい」というコメントが残っています。