戸塚優斗さんは、スノーボーダー。
北京オリンピックには、
スノーボード男子ハーフパイプ日本代表として出場。
今回は、家族の話です。
このページでは、
「戸塚優斗の家族構成!両親はどんな人?」「兄が事故死?」
「戸塚優斗と柳原真央の絆エピソード」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
戸塚優斗の家族構成!両親(父母)はどんな人?
戸塚優斗の家族構成!
戸塚優斗選手は、
両親との3人家族です。
出身地は神奈川県横浜市保土ケ谷区と、
2018年平昌オリンピックのころからニュース記事等で明かされています。
プロフィールは以下になります。
- 名前:戸塚 優斗(とつか ゆうと)
- 生年月日: 2001年9月27日(2022年2月現在、20歳)
- 出身地:神奈川県横浜市
- 学歴:日本体育大学・在学中
- 所属:ヨネックス
両親(父母)はどんな人?
戸塚優斗選手が所属している「ヨネックス」のプロフィールページには、
両親の影響で3歳と物心つく前からスノーボードを始め、
小学3年生の時にHPの練習を始めてのめり込む。
と紹介されています。
ネット上には「『親に無理やりやらされた』と言っていた」という話もあったので、
検索してみたら、
日本体育大学スキー部 YouTubeチャンネル「日体大スキー部ファイト!」で、
そう思わせるような発言をしている戸塚優斗選手が見つかりました。
ここの「3歳から親に履かされてはいて」というのは、
「すでに」という意味のようです。
ネットに出回っている「強制だった(無理やり)」という話ではないみたいですね。
本格的に始めたのはいつごろですか?という質問で「高校生」と答えていて、
それまではやらされていたというか…やらなきゃいけないという感じがあった。
ナショナルチームで片山來夢選手といっしょに滑ったときに「楽しいなぁ」と思った。
そこから(スノーボードが)好きになった。
と競技人生の転機について語っています。
幼少期から始めているということでは、
「両親もスノーボーダーだったのか?」と多くの人は推測しています。
しかし具体的に、
「選手名」で両親の情報が出てくることはありません。
名前や職業は公表されていないので、
戸塚優斗選手の両親は一般人なのでしょう。
「両親の影響で3歳から始めた」という表現ですが、
戸塚家は横浜在住なので、
そこから雪のある地域までわざわざ連れて行くほどに、
スノーボードに思い入れがある両親だとは考えらえますね。
戸塚優斗に兄弟いないけど「兄」が事故死?
” 戸塚優斗に兄弟いないけど「兄」が事故死? “というのは、
兄のように慕っていた柳原真央さんが亡くなったことが実際の話です。
事故があった当時、
『スノーボーディング WEBメディア SBN FREERUN JAPAN』で、
次のような報告がありました。
柳原真央さんが亡くなったのは、17歳のとき。
画像は、こちらがありました。
プロフィール形式で、
柳原真央さんのことを紹介しておきます。
- 名前:柳原 真央(やなぎはら まお)
- 生年月日:1994年11月17日
- 没年月日:2011年12月3日 (享年17歳)
- 活動:JSBA公認プロスノーボーダー、SAJ全日本国内強化選手、2014年のソチオリンピックの候補選手
事故の様子は、
関係者の人たちの言葉からまとめてみました。
- 事故が発生した日:2011年12月3日
- 場所:岡山県倉敷市児島柳田町(瀬戸中央自動車道下り線)
- 天候:小雨(道路が凍結していたかどうかは不明)
- 状況(1):大会に出場するために移動中。
- 状況(2):乗車していた自動車がガードロープに衝突。
- 状況(3):自動車は数回スピン。
- 状況(4):柳原真央さんは自動車から道路に転げ落ちてしまった。
- 状況(5):後続の大型トラック2台にひかれてしまう。
運転していたのは、
柳原真央さんの母親だったそうです。
それ以上のことはわかりませんが、
ショックは癒えてないでしょうね。
柳原真央さんの事故が発生したときは、
戸塚優斗選手は10歳くらいでした。
先輩のプロスノーボーダーの新井昌也さんは、
毎年12月の初旬に、
柳原真央さんの墓参りをしているそうです。
戸塚優斗と柳原真央の絆エピソードが泣ける!
「戸塚優斗と柳原真央の絆エピソードが泣ける!」は、
2018年平昌オリンピックのときに、
メディアによって伝えられたものです。
二人の関係をイメージしやすいように、
年齢を確認しておきますね。
戸塚優斗選手は、2001年9月27日生まれ。
亡くなった柳原真央さんは、1994年11月17日生まれでした。
年齢差は7歳。
柳原真央さんが事故で亡くなったときは、17歳。
戸塚優斗選手は、10歳でした。
こちらの記事によると、
二人が出会ったのは、
戸塚優斗選手が小学校の低学年のころのようです。
ニュースの記事には、
レッスンイベントなどで知り合い、
小3のときに西東京市にあるサポートショップにも紹介してもらった。
と書かれていました。
そのサポートショップの代表である中本健太郎さんによって、
戸塚優斗選手と柳原真央さんの関係性が明かされています。
- 「お店のチームの中での師弟関係という感じだった」
- 「元々はうまいお兄さんという感じ」
- 「真央の滑りを見ながら、優斗もここがカッコいいとか盗んでいたんじゃないかな」
ある日、
「もし真央くんが生きていたら一緒に五輪に出られたかもしれないね」
と戸塚優斗選手は言っていたそうです。
このように子供時代からの物語がある中で、
戸塚優斗選手と柳原真央さんの絆エピソードとしては、
ステッカーの話が際立っています。
こちらの画像は、
2018年のニュース記事に掲載されていたもの。
戸塚優斗選手は、
ずっと自分のスノーボードに貼っていたそうです。
2022年北京オリンピックでは、
戸塚優斗選手は決勝に進出しました。
まとめ
2018年平昌オリンピック決勝では、
戸塚優斗さんは着地で転倒して11位でした。
2022年北京では、
どこまでいけるかが注目されています。