今まで見せてこなかった表情も多くなり、菅義偉さんの人気がアップしていますね。
今回お伝えするのは、
「菅義偉さんの経歴と学歴を調査!いちご農家出身の苦労人だった!」です。
どうぞ、ご覧ください。
目次
菅義偉の経歴は?
菅義偉さんのプロフィールと経歴は以下の通りです。
プロフィール
- 名前:菅 義偉(すが よしひで)
- 生年月日:1948年12月6日
- 出生地:秋田県雄勝郡秋ノ宮村
- 衆議院議員になるまで:
高校卒業後、上京して就職。
働きながら大学を卒業。
サラリーマン時代(26歳)に「人生を政治にかけよう」と志を立てる。
代議士秘書、横浜市議を経て、1996年に衆議院議員になる。
自由民主党所属の衆議院議員(8期)
選挙区は神奈川第2区
初当選は1996年の第41回衆議院議員総選挙(自民党公認で出馬)
菅義偉さんの安倍内閣時代は、
どのようなことをしてきた?
安倍内閣時代
- 内閣官房長官(第79代・第80代・第81代)
第2次安倍内閣(2012年12月)~第4次安倍内閣(2020年9月13日現在) - 沖縄基地負担軽減担当大臣
第2次安倍内閣(2012年12月)~第4次安倍内閣(2020年9月13日現在) - 拉致問題担当大臣
第4次安倍内閣(2018年10月~) - 国家安全保障担当
第2次安倍内閣(~2016年8月)
菅義偉さんの政治家人生の経歴をまとめてみました。
おもな経歴
- 1975年:衆議院議員小此木彦三郎秘書
- 1984年:通産大臣秘書官
- 1987年:横浜市会議員(2期)
- 1996年:衆議院議員(初当選/以降8期連続当選)
- 1997年:自民党横浜市支部連合会会長
- 2001年:自民党副幹事長
- 2002年:国土交通大臣政務官
- 2003年: 経済産業大臣政務官
- 2004年:国会対策委員会副委員長
- 2005年:総務副大臣
- 2006年9月:総務大臣、郵政民営化担当
- 2006年12月:内閣府特命担当大臣、地方分権改革担当
- 2007年6月:自民党神奈川県支部連合会会長
- 2007年8月:自民党選挙対策総局長
- 2007年10月:自民党選挙対策副委員長
- 2010年:衆議院 議院運営委員会筆頭理事
- 2011年:自民党組織運動本部長
- 2012年:自民党幹事長代行
菅義偉の学歴は?
菅義偉の学歴
菅義偉さんの学歴は、まとめると以下のようになります。
- 雄勝町立秋ノ宮小学校(現、湯沢市立雄勝小学校)
- 雄勝町立秋ノ宮中学校(現、湯沢市立雄勝中学校)
- 秋田県立湯沢高等学校
- 法政大学法学部政治学科
学歴にある通り、
菅義偉さんは高校生までは出生地である秋田県で過ごしています。
菅義偉の学歴にまつわる学生時代のエピソード
菅義偉さんの学歴にまつわる学生時代には、
さまざなエピソードがあります。
順番に、ご覧ください。
北海道教育大学を受験失敗はデマ?
「フライデー」によって、
『高校時代は特に目立った成績ではなく、
姉が進学した北海道教育大学を受験したが不合格となった』と報道されました。
しかし、菅義偉さんは否定。
菅義偉さんは当時、
教員にだけはなりたくないと考えていたそうです。
北海道教育大は受験失敗ではなく、受験さえもしていないとのこと。
父親の勧めた進路も断る
菅義偉さんは、
父親からは農業大学への進学を勧められていたそうです。
しかし本人は自分の意志を貫き、高校卒業後は上京します。
父親の勧めも断ったのは、
「東京で自分の力を試してみたい」
「東京へ行けば何かが変わる」と思っていたからです。
(地方暮らしが嫌だったのでしょうね)
上京して仕事に挫折から、法政大学法学部政治学科へ進学
東京では板橋区の段ボール工場で働きます。
「東京へ行けば何かが変わる」ことはなく、
現実の厳しさを痛感(思い描いていた生活とは違った)して2か月で工場を退職。
「視野を広げるため、大学で学びたい」という思いもあり、
築地市場の台車運びなどのアルバイトをしながら、
アパートに帰れば試験勉強という生活を2年間続けます。
「授業料がもっとも安かった」という理由で、
菅義偉さんは当時、
法政大学法学部政治学科へ進学しました。
菅義偉はいちご農園出身の苦労人?
菅義偉はイチゴ農家出身
自民党総裁選で主要派閥に推される中で、
菅義偉さんは「叩き上げ」「苦労人」「庶民派」というイメージで注目を集めています。
今や菅義偉さんの紹介は、
どこで聞いても何を見ても「いちご農家(農園)の生まれ」という物語付きです。
菅義偉さんの故郷は秋田県雄勝郡秋ノ宮村
秋ノ宮村は合併(雄勝郡内の秋ノ宮村、院内町、横堀町)して「雄勝町」となり、
さらに2005(平成17年)年4月に湯沢市に編入されています。
湯沢は、人気のブランド米「あきたこまち」の産地として有名なところです。
父和三郎「これからは米だけでは食っていけない」
父の和三郎さんは、
終戦から間もなく「これからは米だけでは食っていけない」と考えます。
それで、いちごの栽培を始めたのです。
地元のこまち農業協同組合に対抗して、いちご生産集出荷組合を創設します。
和三郎さんは、「秋ノ宮いちご」の生産に投入。
「ニューワサ」というブランドで秋ノ宮いちごを売り出した。
湯沢は、いちごの産地といて有名なわけではありませんでした。
豪雪地帯の寒冷地だったからです。
それで出荷を遅らせて、
本人の名前(和三郎)から付けた「ニューワサ」というブランド名で、
秋ノ宮いちごを売り出しました。
これが大成功!
和三郎さんは、
いちご組合の組合長として、独自の生産、出荷・販売ルートを築きます。
苦労人だけど恵まれていた?
さて、お気づきでしょうか?
菅義偉さんが苦労したという話が出てこないのです。
さっそく週刊文春が打ってきました!
「集団就職はフェイクだった」というのは、
昔からジャーナリストさんたちが指摘してきたことです。
客観的な情報を整理すると以下のようになります。
父親の和三郎さんは成功者。
母親は教師。
姉二人も教師。
菅義偉さんは教員にだけはなりたくなかったと、
北海道教育大学を受験した事実はないとコメントしています。
父親の和三郎さんが勧めた「農業大学への進学」も断って、
菅義偉さんは自分の意志で東京へ出たのです。
これでは、
「集団就職」で苦労したとは言えないのでは?
というのがジャーナリストさんたち(週刊誌)の主張です。
菅義偉さんの大きな意味で「集団就職」だと考えているようで、
『高校(学校)から就職を紹介してもらって、
東京へ出てきています。
それが(板橋の)段ボール会社です。』
と回答したことがあるそうです。
苦労したことは間違いないのですが、
不遇(恵まれない立場)だったわけではないするのが妥当でしょうか。
まとめ
「集団就職はフェイクだった」「苦労人というのはイメージ戦略」と、
蓮舫さん辻元清美さんに野次られそうですね。
菅義偉さんは、どのように回避するのかが見ものです。
https://feizeus.com/sugayosihide-kodomojidai/