静岡放送と静岡新聞の2つの会社を束ねる大石剛社長。
創業者は祖父で、大石剛さんは3代目にあたるそうです。
なんと、静岡新聞社は1941年に創業され、静岡放送は1952年に開局。
2つの会社とも長い歴史をもっていますね。
そんな大石家はみんなどんな方なのか、気になりますよね。
では、大石剛さんの息子や嫁、弟、祖父などの家族を調査しました。
【顔画像】大石剛(静岡放送社長)のwikiプロフィール&経歴

「静岡新聞」を発行する静岡新聞社は、
1941年の創立以来、
地域と情報をつなぐ存在として役割を果たしてきました。
また、時代のニーズに合わせて、
インターネットとの連携強化を図った新型の新聞電子組版システムを稼働させるなど、
常に時代を先取りしてきました。
さらに、紙面のカラー印刷を最初に取り入れたのも静岡新聞社だそうです。
そんな静岡放送と静岡新聞社を束ねる、
大石剛社長のwikiプロフィールと経歴を見ていきましょう。
- 名前:大石剛
- 誕生日:1969年
- 出身:東京都
- 職業:静岡新聞社・静岡放送社長
- 前職:電通
- 大学:成蹊大学法学部
経歴は以下になります。
1992年:成蹊大学を卒業。電通に入社。
1998年:静岡新聞社・静岡放送に入社。
2009年:静岡新聞社の取締役に就任。
2011年:静岡新聞社の常務に就任。
2012年:静岡新聞社・静岡放送の社長に就任。
【顔画像】大石剛の息子が可愛い!嫁も美人?
大石剛さんは2021年現在、51歳になります。
結婚はいつされたのか、詳しい時期はわかりませんが、
嫁と息子1人がいるそうです。
現在は静岡県内の豪邸で3人で暮らしているそうですよ。
息子さんの顔画像ですが、大石剛さんのFacebookに載っていました。
大石 剛さんの投稿 2017年11月8日水曜日
投稿は写真のみでしたが、おそらく息子さんだと思われます。
サングラスをかけていますが、かわいいですね!
一方、嫁さんの顔画像ですが、
先程の投稿のコメント欄に「大石香子」という方ではないかと思われます。

顔画像を拡大すると、美人な方だということがわかります。

大石香子さんは「これはずいぶん前のだねぇ。」とコメントしていますね。
一方、大石剛さんはこのコメントに返信していません。
大石剛さんは基本、投稿にコメントしてくれた方に返信やいいねなどのリアクションをしています。
しかし、大石香子さんにはSNS上では、とくに反応をしなかったのです。
自身のSNSに家族がコメントしたときって、わざわざ返信しない方は多いのではないのでしょうか。
したがって、大石香子さんは大石剛さんの奥さんかもしれませんね。
ただ、あくまで推測なので、同じ名字の友達だということも考えられます。
大石剛の弟など家族も調査!
大石剛さんを検索すると、「大石剛 弟」という検索ワードが出てきます。
そこで、弟について調べたところ、とくに情報はありませんでした。
一方、祖父の情報はありました。
祖父の名前は「大石光之助」さん。

この画像は「大石光之助の生涯と教え」にあったものです。
写真のとなりにうっすら大石光之助と書かれています。
もしかしたら、このおじいちゃんが大石剛さんの祖父かもしれません。
では、大石剛さんの祖父について少しご紹介したいと思います。
大石剛さんの祖父は昭和期に活躍した新聞経営者です。
1986年年9月9日、静岡市に生まれ、
上京して徳富蘇峰の書生になり、その薫陶を受けながら日本大学に入学。
1920年卒業すると、徳富の「国民新聞」に入社し、
1920年9月から1922年3月まで新聞調査および経営研修のため欧米に派遣されました。
1928年、大石剛さんの祖父は静岡民友新聞社の総支配人になりました。
当時の「静岡民友」は部数3000部の弱小地方紙にすぎなかったのですが、
1941年12月1日、戦時新聞統合により県下6紙を統合して「静岡新聞」が創立されるや初代社長となったのです。
その後、放送界にも進出。
1952年に「静岡放送」を設立し、社長となり新聞、放送一体化の合理的経営を成し遂げました。
2021年現在、大石剛さんは大石家の3代目として、静岡放送と静岡新聞社を束ねています。
まとめ
大石剛さんの家族について調査しました。
息子さんは可愛かったですね。
嫁さんについては、もし息子さんの写真にコメントした方が奥さんなら、美人ですね。