大橋マキさんは、
元フジテレビのアナウンサー。
1999年~2001年と在籍期間は短くも、
当時は超人気者でした。
今回は、大橋マキさんの退社の話。
このページでは、
「大橋マキのプロフィール」「大橋マキの退社理由」
「大橋マキは現在、葉山在住?最近の活動は?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
大橋マキのプロフィール
【大橋マキさんのプロフィール】
- 名前:大橋 マキ(おおはし マキ)
- 生年月日:1976年10月30日(2023年3月現在-46歳)
- 出身地:神奈川県鎌倉市
- 学歴:私立森村学園中等部・高等部⇒聖心女子大学文学部を卒業
- 配偶者:志伯健太郎CMディレクター
- 現職:アロマセラピスト(英国IFA認定アロマセラピスト資格所持)
- 前職:フジテレビ(1999年~2001年)⇒共同テレビ(2001年~2003年)
森村学園時代は、歌手の一青窈さんと同級生でした。
大橋マキさんは、剣道部。
一青窈さんは、美術部とバスケットボール部。
テレビ東京の水原恵理アナウンサーとは大学時代からの友人。
聖心女子大では毎日放送の松川浩子アナウンサーが同期。
1999年のフジテレビ入社の同期には、内田恭子さんや長谷川豊さんらがいました。
フジテレビの最終兵器とも呼ばれた大橋マキさんは、
2000年4月から 2001年3月までプロ野球ニュースを担当するなど、
当時は人気アナウンサーだったのです。
2001年3月にフジテレビアナウンサーを退職したあと、イギリスに留学。
帰国してから就職活動をする中で電通社員の志伯健太郎さんと知り合い、
2002年に結婚。
2022年8月6日Instagram投稿の夫婦のツーショット。
フジ退社後は系列会社の「共同テレビ」(日本のテレビ制作プロダクション)に在籍して、
2003年からBSフジの『日本の試験大全』でカムバックするも、
その年には契約解除。
放送メディアでの仕事も再開しながら、
アロマセラピストとして病院でも活動(6年間)。
【当時のメディアの仕事】
- 早稲田塾Presents 大橋マキのCrossroads (TOKYO FM)
- LOHAS SUNDAY(J-WAVE)(2006年4月~2007年9月)
- 就職戦士ブンナビ!(文化放送)(2005年11月~2006年3月19日(2006年11月1日~2007年3月)
2008年1月13日、女児を出産。
2009年3月より家族とともにオランダ在住。同年10月13日、帰国。
2011年12月25日、男児を出産。
画像は、
2016年1月28日配信の「ELLE」の記事より。
大橋マキの退社理由は側弯症やストレスなど3つ?
「大橋マキさんのフジテレビ退社の理由」について、
脊柱側弯症やストレスなどを含む、3つの話を探ってみました。
退社理由【身体上の問題】脊柱側弯症だから?
Wikipedia情報には、
アナウンサー時代の激務が、
この持病(脊柱側弯症)を抱えていることもあってつらかったという。
と書いてある箇所があります。
しかし、出典はなし。
それとは別に、
同僚アナウンサーの宇田麻衣子、荒瀬詩織と同時期にフジテレビを退社したが、
当時の日枝久社長から「大橋君には残ってほしい」と慰留された。
という話もエピソードとして紹介されています。
その続きは、
「健康上の理由などで退社を決意したい」と伝えると日枝社長に了承された。
となっていました。
この情報をもとに、
「脊柱側弯症だったからフジテレビを退社した」と広まっています。
しかし前後の話を考えると、
宇田麻衣子さんと荒瀬詩織さんは退社したのに、
自分(大橋マキさん)だけ辞めさせてもらえそうにないから健康上の理由とした
とも推測することはできます。
退社理由の強い材料として、
「脊柱側弯症」を利用したのではないでしょうか。
アロマ系のサイト「フレグラボ」のインタビューでは、
大橋マキさんは脊柱側弯症の記憶について次のような話をしています。
「高校生の頃、脊柱側弯症という成長期の病気で、日中や就寝時のコルセット治療とあわせて、母が背中をさすってくれていたのですが、ある夜、母が背中に手を置いたまま寝てしまい、その時、母の手の温もりと辛い治療が相まって、涙が溢れたのでした。その瞬間の記憶が突然に蘇ったんです。驚きましたね」
引用元:https://frag-lab.com/special_interview/02_01.html
これは、
放送局勤務時代に情報番組の取材でアロマテラピーサロンを訪ねた際の話。
「成長期の病気」としながら「高校時代を思い出した」となっているので、
「アナウンサーの激務が(脊柱側弯症)を抱えていることもあってつらかった」とは、
結びつかない感じはします。
退社理由【ストレス】やりたいことがやれていなかった?
「やりたいことがやれていなかった?」については、
日経xwomanの記事「人気絶頂なのに2年でフジTV退社、涙の理由」で、
大橋マキさんが語っている言葉から見えてきます。
アナウンサーを目指したのは、
「取材で見聞きしたことを自分の言葉で伝えたい」という情熱があったから。
当時の夢は、報道に携わること。
しかし入社して1、2年で報道の仕事が回ってくることはなく、
バラエティ番組などが中心でした。
さらに、
自分の意志とは関係なく落ち続ける涙。
「仕事が辛い」「辞めたい」と思っていたわけではないのですが、
心は限界だったのかもしれません。
とも大橋マキさんは言葉にしていました。
退社理由【アロマとの出会い】人生の方向性が変わった?
第三者の立場で大橋マキさんの様子を見ると、
結果的に「アロマとの出会って」人生の方向性が変わったように思えます。
アロマとの出会いは「フジテレビ時代の取材の仕事」だったという話は、
いろいろなインタビューで大橋マキさんは紹介しています。
こちらは、
サントリー天然水スパークリング特設サイトのインタビューでの画像。
アナウンサー時代、若くて未熟過ぎて、伝えるっていうことができていなかったんですね。
どうしたら自分の言葉で伝えられるんだろう?って自分を見つめた時に、
何もないことに気づいたんです。
その時期にアロマセラピーサロンを取材があって、
「誰かを開くっていうのは、すごいコミュニケーションだな」と思ったと説明。
決定的な言葉としては、
次のような箇所がありました。
大橋マキは現在、葉山在住?最近の活動は?
大橋マキは現在、葉山在住?
大橋マキさんが家族で神奈川県の葉山に移住したのは、2009年。
一般社団法人「はっぷ」(葉山つながりプロジェクト)を立ち上げて、
地域に根ざした活動をしています。
画像は、セラピスト誌オフィシャルサイト「セラピスト ONLINE」より。
ご主人の仕事の関係によるオランダのアムステルダムでの生活期間中に、
「日本に帰国したら、空が広くて水辺が近い場所に住みたい」
と大橋マキさんは考えていたそうです。
鎌倉生まれの大橋マキさんは、
小さい頃は祖母と一緒に由比ヶ浜で遊んでいたこともあり、
昔から身近に感じていた土地だったから。
ということで葉山に移住を決めたとインタビュー等で話しています。
大橋マキの最近の活動は?
大橋マキさんの現在の肩書には、
「アロマセラピスト」「アロマスペースデザイナー」「aromamora主宰」
「一般社団法人はっぷ 代表」などがあります。
大橋マキさんが仕事で手掛けているのは、
- イベント、コンサート、ショップ等でのアロマ空間演出。
- 香りによる企業ブランディング。
- 介護のためのアロマ。
- 精油の地産地消の仕組みづくり。
- 社会福祉×学生×自然農園でのソーシャルファーミング。
- 園芸農法を用いた認知症ケアや地域振興。
などのプロジェクト。
空間演出の過去の例(1)
世界中のお母さんと赤ちゃんを救うチャリティーイベント『Mode for Charity』では、
オープニングとクロージングで、
大橋マキさんがブレンドした香り「Mother」で演出されました。
空間演出の過去の例(2)
「歯科矯正歯科クリニック」の待合室&診察時のアロマプロデュース。
空間演出の過去の例(3)
ヴァイオリニスト吉田恭子さんと、
五感で愉しむクラシックコンサート「香音の時」シリーズ。
商品開発プロデュース(例)
「Erboristeria Kamakurayama」の『Holy basil aroma water』を調合。
2023年月12日開催のイベント
カルチャー&ライフスタイルマガジン「SHONAN TIME」編集長の富山英輔さんと、
大橋マキさんの公開対談です。
まとめ
大橋マキさんはフジテレビ退社後に結婚。
オランダのアムステルダムでの生活を経て、
現在は葉山で暮らしています。