芸能

野口健は登山家ではないと言われる理由3つ!エベレストでの遭難エピソードは?

野口健は登山家ではない

野口健さんは、

「七大陸最高峰登頂」と「エベレスト登頂」を果たしています。

今回の話題は、野口健さんは登山家ではないと言われる理由。

 

このページでは、

「野口健は登山家ではないと言われる理由」

野口健はエベレストに何回登った?

「野口健のエベレストの遭難エピソード」などについてお伝えします。

 

どうぞ、ご覧ください。

スポンサーリンク




野口健は登山家ではない?言われる理由3つ

野口健は登山家ではない画像引用元:https://emi-japan.org

野口健のプロフィール

はじめに、

野口健さんのプロフィールを確認していきます。

【野口健さんのプロフィール】

  • 名前:野口 健(のぐち けん)
  • 生年月日:1973年8月21日(2023年8月現在 – 49歳)
  • 出生地: アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン
  • 所属:野口健事務所 

問題行動を繰り返していた少年時代は「フダ付きの不良だった」ことについては、

野口健さん自身が著書等で明かしています。

 

登山を始める切っ掛けは、

高校時代の停学中に「植村直己の著書『青春を山に賭けて』」を読んだことでした。

 

16歳のときには、

「七大陸最高峰登頂」を目指していたという話も有名です。

登山家ではないと言われる理由3つ

1999年に当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新しながらも、

「野口健は登山家ではない」と言われる向きがあります。

 

その理由について、

インタビュー記事やSNS情報から探ってみました。

 

理由(1)日本山岳会との対立イメージ?

 

野口健さんには、

日本山岳会と対立イメージが定着しています。

その影響もあってのことでしょうか、

次のようなSNS投稿がありました。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://twitter.com/ki84type4/status/1206544427553939456

 

日本山岳会との対立の話は、

BOOKSCAN(ブックスキャン)のインタビューで野口健さんが話しています。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://www.bookscan.co.jp/interviewarticle/209/all

上記の内容の重点を箇条書きにまとめました。

  • エベレストの清掃(活動)…「お前に自分の国を否定された」と言われる。
  • 日本語のゴミも散乱しているから、どうしても公表するしかない。
  • その言葉が独り歩きして、攻撃的な言葉に変わっていく。
  • ある週刊誌は「野口健、日本山岳会に挑戦状をたたき付ける」って…。
  • それで結局、山岳会との関係が完全に崩壊しました。
  • あのころは日本山岳協会から推薦状をもらえないとエベレストの入山許可証がネパールで申請できなかった。
  • 山岳会からの圧力で出発直前になっても推薦状がもらえない…。

 

理由(2)登山家として3.5流評価

 

服部文祥さんから「情熱大陸」等のテレビ番組で、

「登山家として3.5流」

「(マラソンに例えると)栗城君や野口君は市民ランナー」

と言われています。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://crag.naturum.ne.jp/e1110485.html

 

さらに、

「野口君もアルピニストと言うけど、

本当にアルピニストを目指している人を侮辱している」

と発言されています。

 

これについては、

野口健さんはSNSで次のように投稿していました。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://twitter.com/kennoguchi0821/status/1575483216773124099

 

【話の肖像画】アルピニスト・野口健<28>3.5流の登山家「面白いじゃない」

の産経ニュースの記事では、

野口健さんは次のように語っています。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://www.sankei.com/article/20220929-RYL32WYXBZNGZPZI2ECTA3UYCU/

 

理由(3)活動やメディア露出(出演)への批判

 

「野口健は登山家ではない」につながるポイントとして、

野口健さんの活動やメディア露出(出演)への批判もあります。

 

野口健さんは、

産経ニュースの特集記事で次のように語っていました。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://www.sankei.com/article/20220929-RYL32WYXBZNGZPZI2ECTA3UYCU/

 

バラエティー番組に出演することにも、

野口健さんは言葉にしています。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://www.sankei.com/article/20220929-RYL32WYXBZNGZPZI2ECTA3UYCU/

スポンサーリンク




野口健はエベレストに何回登った?

野口健は登山家ではない画像引用元:https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/30996/report

「野口健はエベレストに何回登った?」については、

本人の公式サイトとWikipediaに参考にします。

 

登頂成功ということでは、

  • 1999年5月(25歳のとき) エベレスト (8,844m)登頂(アジア大陸)ネパール側
  • 2007年5月(33歳のとき) エベレスト (8,844m)登頂(清掃登山)チベット側

の2回の記録が見られます。

 

1999年5月の25歳でのエベレスト(8,844m)登頂では、

七大陸最高峰登頂の世界最年少記録樹立(当時)となりました。

 

2007年のエベレスト(8,844m)登頂では、

ネパール、チベットの両方からの登頂成功者となり、

日本人では8人目という記録になっています。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://post.tv-asahi.co.jp/post-164998/

 

1999年のエベレスト (8,844m)登頂成功の前には、

野口健さんはエベレストに挑戦しています。

 

1997年5月の23歳のときには、

「エベレスト」(中国)山頂まで1000メートル地点で登頂を断念。

1998年10月の25歳のときには、

「エベレスト」(ネパール)に国際隊で挑むも天候悪化のため登頂を断念。

 

エベレストには、

清掃活動でも野口健さんは登っています。

記録としては、

  • 2000年3月「エベレスト清掃登山」実施。
  • 2001年3月「エベレスト清掃登山」実施。
  • 2002年3月「エベレスト清掃登山」実施。
  • 2003年3月「エベレスト清掃登山」実施。
  • 2007年3月「エベレスト清掃登山」実施。
  • 2008年3月「エベレスト清掃登山」実施。
  • 2011年3月「エベレスト清掃登山」実施。

などがブログ等で確認できました。

 

どのルートを登ったのか、どの高さまで登ったかについてや、

滞在期間などの詳細はチェックするのはむずかしかったです。

 

清掃活動では、

ヒマラヤ山脈に属する「マナスル(標高8163 m世界8位)」でも、

2006年、2007年、2019年に実施しています。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://okavangomoremi.web.fc2.com

スポンサーリンク




野口健のエベレストの遭難エピソード

野口健は登山家ではない画像引用元:https://www.noguchi-eko.com/photo/20230420231.html

『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に出演したとき、

野口健さんは「エベレストで3回死にかけた」という話をしています。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://youtu.be/d7Ws3aDB6J8

雪崩で死にかける

最初に明かされたのは、

エベレストの標高6600m付近を登っていたときの話。

 

クレバス(雪渓などにできた深い割れ目)を迂回するために細い道を歩いていると、

雷のような音が聞こえてきたそうです。

すぐ横にある1500mほどの壁を見上げると、巨大な雪崩。

 

「何もしないよりかは抵抗しよう」と、

登山隊のメンバーは四つん這いになって腕を組んだそうです。

 

「自分を殺す雪崩はどんな雪崩か」見てみると、

「こいつが俺を殺すんだ」と思った瞬間に雪崩に襲われてしまいます。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://youtu.be/d7Ws3aDB6J8

 

雪崩の中に埋まったときは、

どちらが上か下かわからない状態。

 

息ができず意識が遠のいたときに1つの光が見えて、

初めて上がわかり、

自力で雪の中から脱出できたそうです。

 

野口健さんは、

口の中いっぱいに入った雪を吐きます。

その瞬間に、無意識のうちに自撮り。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://youtu.be/d7Ws3aDB6J8

 

「自分が生きてるっていうことを多分残したかったんですね」と、

野口健さんは自己分析していました。

気絶

「七大陸最高峰登頂」もかかっているエベレスト1回目の挑戦では、

標高7800m付近で、

野口健さんは気絶してしまったそうです。

 

そのときの様子については、

「もう十分がんばった。寝てもいいよ」という声と、

「寝たら死ぬよ」という声が交互に聞こえてきたと明かしています。

 

シェルパ(ネパール・ヒマラヤの登山時に雇用される案内人)に、

何度も殴られてようやく意識を取り戻すも、

「オレはもうだめだから、先に降りていいよ」と野口健さんは吐露。

 

シェルパの一人から「終わるぞ(死ぬぞ)」とネパール語で怒鳴られ、

「突然、死にたくない」という思いになり、

シェルパのダウンジャケットをつかみながら「助けて」と目で合図を送ったそうです。

 

ロープで引きずられながら10数時間かけて下山する途中も、

何度もあきらめかけては、

シェルパたちに引っぱたかれて気持ちを奮い立たせるという状態だったと明かしています。

スポンサーリンク




彼女の香水で助かる

「七大陸最高峰登頂」もかかっているエベレスト2回目の挑戦では、

ネパール側にルートを変更。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://youtu.be/Bdz5N2HdMmg

 

第3キャンプのところで、

ほぼ直感で予定を変更して下山。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://youtu.be/Bdz5N2HdMmg

 

その夜に雪崩が起きて、

「第3キャンプ」はすべて流されたそうです。

(1回目の失敗の教訓が生きた形になります)

 

再び山頂を目指し、

順調に「最終キャンプ地点」に入ることができます。

野口健は登山家ではない画像引用元:https://youtu.be/Bdz5N2HdMmg

 

しかし残り400m、あと2時間のところで、

雷もともなう、猛吹雪が直撃。

 

ここで下山すると、

1000万円の費用がパーになるという状況でもありました。

 

頭皮や頬にはピリピリとした感覚があったため、

被雷の可能性を下げるため持っていたピッケルを捨てて、

登山隊は岩陰に避難。

 

そこに到達するまでに、

「遺体となった登山家が凍ったままの状態」になっている横を歩いています。

 

それでも、

野口健さんは「(山頂まで)行ってしまおうか」と思ったそうです。

 

一旦落ち着こうと、

ポケットから彼女にもらった香水を取り出して香りを嗅ぐと、

どこからか「帰ってきて」と聞こえてきたと言います。

 

野口健さんは下山を決意。

相方は「俺は行く」と山頂へ。

 

相方は途中で遭難して、登頂はできず。

他の登山隊に助けられるも、

手が凍傷で真っ黒になり切断したそうです。

スポンサーリンク




まとめ

野口健さんは登山だけではなく、

ヒマラヤ・富士山での清掃活動といった環境保護への取り組み、

遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」、

ヒマラヤでの学校建設・森林づくり、

第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動をしています。

野口健の現在の嫁は加藤靖子!前妻はネパール人で児童婚だった?登山家・野口健さんといえば、 「七大陸最高峰」や「エベレスト」登頂など 輝かしい実績をお持ちですよね。 そんな野口健さんには、...
野口絵子wiki野口健の娘
野口絵子(野口健の娘)wikiプロフィール!慶応大学で高校は海外の難関校?野口絵子さんは、 登山家・野口健さんの娘です。 今回は、野口絵子さんの話。 このページでは、 「野口絵子wikiプロフィール...

スポンサーリンク