錦野旦さんは、昭和のスター歌手。
デビュー当時はアイドルでした。
今回の話題は、錦野旦さんの若い頃。
このページでは、
「錦野旦の若い頃がイケメン!」
「若い頃は大麻が原因で逮捕された?」
「若い頃は借金作って失踪してた?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
【画像】錦野旦の若い頃がイケメン!
【画像】錦野旦の若い頃
昭和のスター歌手・錦野旦さんは、
1970年代はアイドル的な存在でした。
若い頃のイケメン画像は、
「映り方の良さ」をポイントに選んでみました。
1970年9月21日発売のシングル「愛があるなら年の差なんて」のジャケット。
1973年7月1日発売のシングル「僕はもう泣かない」のジャケット。
「DREAM PRICE 1000 にしきのあきら 空に太陽がある限り」のジャケット。
錦野旦さんが活躍していた芸能人の運動会。
錦野旦のプロフィール
- 芸名:錦野 旦(にしきの あきら)
- 本名:錦野 明(にしきの あきら)
- 生年月日:1948年12月14日(2022年10月現在-73歳)
- 出身地:大分県大分市
- 出身高校: 大分県立芸術短期大学附属別府緑ヶ丘高等学校
- 身長:177cm
- 体重:71kg
- 特技:スポーツ全般(特にゴルフ、水泳)
- 職業:歌手(歌謡曲)
- デビュー年:1970年(昭和45年)
- 所属事務所:株式会社伝元(デンゲン)
- 公式サイト にしきのあきら企画ホームページ
【デビューまでの経歴】
高校2年生までの錦野旦さんは、
体操のオリンピック選手をめざしていました。
自分の体格が体操に相応しくないと痛感した錦野旦さんは、
高校3年生のときに吹奏楽部に転部。
高校を卒業したあとは、
別府のナイトクラブ『ナポリ』で活動。
そのころの錦野旦さんは、
トランペット第三奏を吹いたりコンボ編成のベースを弾いたりしていたそうです。
創業者に声をかけられて『キャバレー・エンパイア』の専属になった錦野旦さんは、
やがて作曲家の浜口庫之助さんを紹介されます。
上京した錦野旦さんは浜口庫之助さんのもとで住み込みの運転手をしながら、
プロの歌手になるためにレッスン。
浜口庫之助さんの作詞作曲の「もう恋なのか」を1970年5月1日にリリースして、
「にしきのあきら」の芸名でCBSソニーよりアイドル歌手としてデビューしました。
1971年の「にしきのあきら」さんのヒット曲「空に太陽がある限り」は、
浜口庫之助さんの作詞作曲です。
錦野旦の若い頃は大麻が原因で逮捕された?
2018年1月放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(2時間スペシャル)に、
錦野旦さんは出演して、
「大麻取締違法容疑で逮捕」の真相を話しています。
番組では、
実名を出さない形で「女優B」としながら逮捕当時の様子を説明。
錦野旦さんと女優Bは、映画の共演者でした。
錦野旦さんが「趣味のクレー射撃の話」を女優Bにしゃべると、
「あなたが射撃をしているのを見てみたい」と言われたそうです。
二人で出かけたクレー射撃の帰り、
女優Bは車の中で錦野旦さん逮捕につながる行動をとります。
しくじり先生で話した内容は、
「スポニチ Sponichi Annex」の配信記事でも伝えられました。
女優Bは、
車の助手席でパイプを吸い始めます。
それを大麻と知らない錦野旦さんの口元に、
女優Bは押し付けたのだそうです。
先に逮捕されたのは、女優B。
取り調べで、
「錦野さんに大麻を用意しろと言われた」と証言。
当時の新聞報道では、
女優Bは名前を発表されています。
Wikipediaのほうでは、
ポルノ女優から大麻を譲り受けた疑いによって大麻取締法違反で逮捕された(後に不起訴)
となっています。
しくじり先生では、
逮捕について錦野旦さんは以下のように語っていました。
- 家宅捜索の結果、錦野旦さんの自宅から大麻は発見されなかった。
- 「隠していることはないか?」と問われた。
- 錦野旦さんは「ピストル(撮影用の精巧なモデルガン)があります」と返答。
大麻を譲り受けた疑いと、模造拳銃を所持していたとして、
大麻取締法違反容疑と銃刀法違反容疑で逮捕。
新聞記事の見出しとは真逆?
最終的には不起訴処分。
「しくじり先生」の出演で錦野旦さんは、
次のように振り返っています。(「スポニチ Sponichi Annex」の配信記事)
「もっと年をとっていれば“弁護士さんを呼んでください”と言えたけど、何をしていいか分からない。警察署に連れて行かれて“口もとにパイプを当てられたということは、吸ったということになる”と言われ、無知だった僕は“そんなことになるのか”とぼう然。大麻について追及されても何も言えなくなり、否定することができなくなってしまった」と回想していた。
https://www.sponichi.co.jp/ 引用
錦野旦の若い頃は借金作って失踪してた?
「錦野旦の若い頃は借金作って失踪してた?」というのは、
錦野旦さん本人の話ではなく、
マネージャーによる横領の話だと思われます。
これについても錦野旦さんは、
2018年1月放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」で激白していました。
錦野旦さんは、
「お人好しで騙されて気がついたら大変な目にあっちゃった先生」として登壇。
デビューした1970年から1975年までの錦野旦さんは、
紅白歌合戦に連続出場するほどのスターになっていました。
そんな錦野旦さんを裏切ったのは、
超売れっ子になるまでに育てくれたマネージャーだったそうです。
敏腕マネージャーが横領した金額は、
現在の価値に直すと1憶円という話でした。
Wikipedia等の裏情報によると、
その問題のマネージャーは
「錦野旦さん」さんの名義で多額の借金を作ったあと失踪したそうです。
そのあと錦野旦さんは、
だんだん売れなくなっていきます。
現実的に錦野旦さんのヒット曲と呼べるのは、
1971年2月10日発売の「空に太陽がある限り」のみでした。
いわゆる一発屋状態。
紅白歌合戦も1975年を最後に、
錦野旦さんの出場は途絶えてしまいます。
「しくじり先生」の放送で錦野旦さんが語ったエピーソードには、
その日の生活費にも困って、
知人に頭を下げて借金する日々を過ごすことになった。
という話もありました。
さらに錦野旦さんは、
再び騙されて「財産差し押さえ」となったこともあるそうです。
「しくじり先生」の後半で錦野旦さんは、
「どん底人生救ってくれたのは、とんねるずの2人」と明かしていました。
今で言うなら水曜日ダウンタウンのクロちゃんやパンサー尾形さんのように、
「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」でドッキリをしかけられて、
錦野旦さんはいじられキャラとしてバラエティー番組の出演が増えたのです。
まとめ
大麻の件もマネージャーの横領も、
錦野旦さんは完全に裏切られた側です。
そのようなスキャンダルがなければ、
芸能生活も違ったものになっていたかもしれませんね。