1月に行われた大相撲初場所で優勝し、大関昇進を果たした御嶽海関。
御嶽海関の母親・マルガリータさんと一緒に
バラエティ番組に出演し話題にもなりましたね。
それでは父親の方はどうなのかと気になりましたので、
今回御嶽海関の父親について迫っていきたいと思います!
では、
『御嶽海の父親の職業(仕事)は建築会社の社長?』
『再婚の噂があるけどデマ?』
について、どうぞご覧ください。
目次
御嶽海の父親の職業(仕事)は建築会社の社長?
御嶽海関の父親ですが、
名前は大道春男(おおみち はるお)さんと言います。
年齢に関してですが、
御嶽海関が2018年に初優勝したインタビュー記事を見てみると、
父春男さん(69)、母はフィリピン出身のマルガリータさん(48)。
引用元:日刊スポーツ
と書いてありましたので現在(2022年時点)73歳ということですね。
仕事に関しては大道春男さんは建築会社の社長?という噂が。
御嶽海関は地元が長野県で、そこには
『木曽協和産業株式会社』という会社があります。
木曽協和産業株式会社は、製材業・林業・建設業を営む会社で、
リノベーションや製材の加工・販売を行う官公庁の仕事をメインに扱う企業です。
その会社が長野県の建設業協会長表彰を
受賞した際の受賞者リストの中に
『大道春男』という名前がありました。
ただこちらの情報は2004年時点の情報ですので、
2004年時点では常務取締役だったということですね!
また2010年にも同様の記事があり、
「代表者に表彰状を授与」とありますので、
この時点では代表取締役になっていた可能性があります。
現在(2022年)は、
代表者の名前が変わっていましたので引退されたのかと思います。
御嶽海の父親は再婚?
御嶽海関の両親は年の差21歳の国際結婚で結ばれた夫婦になります。
現在の奥さんと出会う前に結婚されていたのか調べてみるも、
再婚という情報はどこにもありませんでした。
恐らく長い間仕事に打ち込んでいたんでしょう。
代表者にもなるほどですからね。
両親の馴れ初め
お二人の馴れ初めは名古屋での出会いに遡ります。
マルガリータさんは仕事でフィリピンから日本は名古屋に来ており、
ガールズバンドを組んで活動されていました。
その時たまたま名古屋に来ていた春男さんと出会い、
春男さんが一目惚れし猛アタックしたそうです。
晴れてお付き合い、そして結婚されたという経緯になります。
このとき春男さん40手前、マルガリータさん20歳という親子ほど年が離れていました。
愛に年齢は関係ありませんもんね!
御嶽海関の生まれたエピソード
結婚されて、2年後に御嶽海関が生まれました。
マルガリータさんは出産に合わせてフィリピンに帰国していたそうですが、
1992年の12月25日の深夜、出産までもう少しといった状態だったマルガリータさんは、
クリスマスパーティーに参加していました。
すると腹痛が始まり、
「豚の丸焼きの食べすぎかな?」と感じたそうですが、
陣痛が始まりそのまま御嶽海関を出産されました。
医療費が高額なフィリピンでは、
クリスマスだけは医療費が無料になるそうで、
マルガリータさんは御嶽海関のことを「とても親孝行の息子」と話しています。
また、クリスマスというタイミングにちょうど生まれたということで、
御嶽海関のミドルネームを『ジャスティン』と名付けたそうです。
そのまま御嶽海関4歳までフィリピンで暮らし、
その後日本に一緒に帰国してからは、
長野県の上松町で日本での生活を始めました。
御嶽海関は帰国子女だったんですね!
ちなみに父親とは日本語ですが、母親とはタガログ語で話すそうです。
美人と話題の母親はスナック経営者
なんともほんわかするエピソードをお持ちのマルガリータさんですが、
長野県でスナックを経営されています。
『ナイト・イン・マルガリータ』という名前で長野県木曽町にあります。
35人収容できる大きさで日本人とフィリピン人のスタッフが4人ほどいます。
かなり大きいスナックですね。
御嶽海関もサプライズで来店されたこともあるそうです。
ただその時カラオケで歌を歌われたそうですが、
「(御嶽海関が)2曲歌って。何でも歌えるけど、上手ではないね」
とマルガリータさんが話しています。
また、スタッフ一緒に
『御嶽海』とプリントされたTシャツを着て、
応援しにいくこともしばしば。
2022年の大相撲初場所で優勝した際には、
大喜びしたマルガリータさんとスタッフ達がテレビに写りました。
そこからマルガリータさんがTwitterでトレンド入りするほど人気になった訳です。
ちなみに御嶽海関は話題になっている母親を見て、
「おれより有名になるなよ」と言ったらしいです。
御嶽海関からしてもこの盛り上がりは予想外だったでしょうね。
御嶽海と父親のエピソード
御嶽海関と春男さんのエピソードがありましたのでいくつか紹介していきます。
御嶽海関の幼少期
御嶽海関が幼い頃はとてもわんぱくな子供だったそうで、
休日には春男さんと一緒に、山でタラやキノコを採りに行ったり、
川で魚釣りして塩焼きで食べたり、泳いだりしていたそうです。
長野県の自然豊かなところで遊び回る御嶽海関に付いて行くのは大変だったでしょうが、
春男さんからしたら遅くに生まれた初めての子供ですから嬉しかったのでしょうね。
相撲を始めたきっかけは相撲大会
御嶽海関が相撲を始めたきっかけは、
小学生の頃の相撲大会がきっかけだったそうです。
小学生1年生の時に隣町の大桑村で開催された相撲大会に出場しました。
初めて挑戦した相撲で自分より体が小柄な子に負けてしまいました。
既に負けず嫌いだったという御嶽海関はとても悔しい思いをし、
地元の木曽少年相撲クラブに入ることを決め、
ここから相撲人生がスタートしました。
やるからにはとことんやりきれという事で、
小学生ながら春男さんと約束し、
実家の庭石の上で毎日400回の四股(しこ)を踏んでいたそうです。
びっくりですよね。
小学生ですよ!
子供なら遊びたい一心でしょう。スターになる人は取り組み方が違いますね。
当初は角界入りする予定はなかった?
御嶽海関は小学5年生の時に全日本小学生相撲大会で2位、
中学時代では3年生の時に全国大会でベスト8の成績、
高校時代には国体少年の部で3位という素晴らしい成績を収めています。
そのため何度も相撲部屋を見学する機会が多かったですが、
「厳しそう」と感じており、角界入りは考えていませんでした。
その後大学進学することとなり、東洋大学の相撲部の濱野文雄監督から、
「低迷している相撲部を復活させるために力を貸してほしい!」と熱烈な勧誘があり、
東洋大学法学部企業法学科に入学することとなります。
御嶽海関の力もあり、力強い突き押しを武器に個人タイトル15冠、
学生相撲とアマチュア相撲のタイトルを獲得し、
史上3人目の幕下10枚目格付け出しデビューの資格を得ています。
それでも御嶽海関はプロ入りの意向はなく、
アマチュア相撲の強豪・和歌山県庁への就職が内定しており、
家族を呼んで一緒に生活することを考えていました。
しかし、濱野監督の知人のから部屋を紹介され出羽海親方から、
「今は名門と言えないが再興していきたいと思っているので力を貸してほしい」
と説得され、プロ入りの方に気持ちが傾いていきます。
しかし春男さんはプロ入りに反対していました。
安定した仕事に就いてほしいという思いから和歌山県庁への就職を勧めていたそうです。
春男さんとしても会社の代表者としての地位を得るまでに
いくつもの困難を乗り越えてきたでしょうから、
言葉の重みが違うのでしょう。
しかし、御嶽海関は、
大学時代に良い勝負をしていた相撲相手がプロとして活躍しているのを見て、
自分の中に沸々と湧き上がるものがあったと言っています。
その後、
「勝負の世界に絶対はないが、あのとき就職していれば良かったと思いたくない、内定辞退した県庁の皆様にも申し訳ないという思い、から行くからには絶対に結果を出す。」
という決意を持って角界に入門します。
親としては成功するかどうか分からない世界に飛び込ませるのは不安ですよね。
春男さんの葛藤と親としての愛情が感じられるエピソードですね。
まとめ
いかがだったでしょうか。
御嶽海関の父親・春男さんの詳細やエピソードについて調査しました!
まとめると、
- 御嶽海関の父親は長野県で建設会社の代表者をしていた!
- 話題の奥さんとは21歳差の国際結婚!
- 情報がなく不明であるが、父親は初婚の可能性が高い!
- 2人の馴れ初めは名古屋で出会い、父親の猛アタック!
- 父親は当初御嶽海関の角界入りに反対だった!
現在、もっとも勢いのある相撲取りの御嶽海関。
今後もますます活躍してくれるでしょう!
今度はマルガリータさんだけでなく春男さんも含めて家族揃った姿も見てみたいですね!