美川憲一さんのキャラクターには、
芸能界のご意見番という見られ方があります。
若い世代の人たちにとっては、
謎が多い存在の一人です。
今回の話題は、美川憲一さんのオネエキャラ。
このページでは、
「美川憲一の性別は男?」「オネエキャラはいつから?」「オネエキャラになった理由」
「結婚願望と子供ほしい願望があった?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
美川憲一の性別は男?オネエキャラはいつから?
- 名前:美川 憲一(みかわ けんいち)
- 本名:百瀬 由一(ももせ よしかず)
- 生年月日:1946年5月15日(2002年3月現在、75歳)
- 出身地:長野県諏訪市
- デビュー:古賀政男さんの指導を受けて、1965年に歌手デビュー。
本名は?性別は男?「バイキング」出演で断言?
美川憲一さんの本名は、
『百瀬 由一(ももせ よしかず)』と明かされています。
おおよそ、男性の名前ですね。
「性別は男?」については、
「バイキング」出演で本人が断言しているときがありました。
ネットニュース記事が取り上げたのは、
使用するトイレの話です。
記事の内容を確認していくと、
「(美川憲一さんの)初恋の相手は女性だった」
このようなトークも展開されていたことがわかりました。
【生い立ち】生みの母親と育ての母親
美川憲一さんの生い立ちでは、
「生みの母親」と「育ての母親」の存在の話が
鍵となるエピソードになっています。
「生みの母親」は、
妻子ある交際相手との間に美川憲一さんを出産したのです。
やがて、
「生みの母親」は肺結核を患います。
その時期(2歳)に、
母の姉(育ての母親)夫婦に引き取られたというのが美川憲一さんの生い立ちです。
【若いころの画像】オネエキャラはいつから?
こちらの西郷輝彦さんとのツーショット画像は、
美川憲一さんのInstagramに投稿されたものです。
過去のエピソードを調べてみる限りでは、
昔の美川憲一さんは、
美少年として注目されていたようでした。
「オネエキャラはいつから?」という時期の話は、
次の話題(テーマ)になっている「オネエキャラになった理由」と深く結びついています。
切り離して伝えるのは難しいので、
ここでは、
幼少期からの環境の中で、
だんだんと女性っぽくなっていった。
と簡単にまとめておきますね。
このあと、
「美川憲一がオネエキャラになった理由」で、
「オネエキャラはいつから?」の真相もチェックしてください。
美川憲一がオネエキャラになった理由
美川憲一がオネエキャラになった理由
幼少期からの環境?
「生みの母親」と「育ての母親」は実の姉妹で、
「両者とも女優にスカウトされるような美人だったわ」
と美川憲一さんは明かしています。
幼いころから美川憲一さんは、
2人の母に派手で綺麗な服や靴を与えられていたそうです。
銀座を歩いたときは2人の母から、
「あんたが綺麗だから(道行く人に)見られるの」
「いつも綺麗に着飾っていないとダメよ」
と言われる美川憲一さん。
母たちに子供のころから歌舞伎や宝塚歌劇を連れて行かれたことを振り返り、
- 宝塚は女性が男装し、歌舞伎は男性が女装するでしょう?
- 私の中では男と女がゴチャゴチャになるわけよ。
と言っているインタビュー記事もありました。
芸能界でのキャラ変更?おだまりと言ったのがきっかけ?
有名なディレクターから、
「君は個性がないから売れないよ」と言われていた美川憲一さん。
そのころのエピソードをご紹介します。
歌を聞かずに会話に夢中だった観客を「おだまり!」と注意したとき、
『あ、ひょっとしたら化けるかもね、私』と予感があったそうです。
ものまねで有名な「さそり座の女」の歌い方の原点は?
ものまねされることで有名な「さそり座の女」の歌い方の原点は、
『柳ヶ瀬ブルース』のころだったことも美川憲一さんは話しています。
(『柳ヶ瀬ブルース』のエピソード)
オネエキャラは『おんなの朝』のころから出し始め、
「『さそり座の女』ではモロ出しよ」とも美川憲一さんは明かしていました。
衣装の変化
美川憲一さんの「衣装の変化」は、
レコードジャケットで確認。
オネエの歌い方の原点となった『柳ヶ瀬ブルース』。
1966年4月1日発売。
オネエキャラを出し始めた『おんなの朝』。
1970年12月25日発売。
人気を確立した「さそり座の女」。
1972年12月20日発売。
中性的なイメージを出したジャケットの「だってさ」。
1986年4月5日発売。
衣装が一気に派手になった「火の鳥」。
1992年4月23日発売。
このあたりから、
衣装の華やかにもこだわりが出てきた感じです。
小林幸子さんとの紅白歌合戦の衣装対決があったのは、
1991年から2009年まででした。
美川憲一に結婚願望と子供ほしい願望があった?
美川憲一に結婚願望と子供ほしい願望があった?
テレビ番組の特番で、
何度か美川憲一さんの結婚が話題になったことがありました。
ここでは、
2018年9月19日放送の『梅沢富美男のズバッと聞きます!』(フジテレビ)での、
「結婚を考えた相手がいた」
「人工授精と代理出産を依頼した」
「子供をあきらめた理由」
などのエピソードトークを伝えさせていただきます。
結婚を考えた相手がいた?
それは、
美川憲一さんが25歳のときだったそうです。
結婚を考えた相手は、
友人の紹介で出会った23歳のOL。
しかし美川憲一さんは自分のキャラを考えて、
結婚をあきらめたそうです。
具体的に言うと、
子供が学校でいじめらるかもしれないと将来を想像したという話。
父親(美川憲一さん)が化粧をしていて、
「お父さんだかお母さんだか分からない…」見た目で、
「子供を不幸にするのではないかと…」と、
25歳のときの「結婚はない」と決断したそうです。
人工授精と代理出産?
25歳の結婚をあきらめた美川憲一さんは、
その後の話として、
「人工授精と代理出産」の話を進めたこともあると打ち明けていました。
協力してくれる相手とは、
「韓国とアメリカで面接までした」と、
「人工授精と代理出産」の話は具体的であったことを美川憲一さんは言葉にしています。
子供を持つことをあきらめた理由
最終的に美川憲一さんは、
「人工授精と代理出産」によって子供を持つことをあきらめたのですが、
その理由としては次のような話をしていました。
「人工授精と代理出産」の協力を申し出てくれた人たちから、
『1年に1度子供に会わせてください』と言われたのだそうです。
そうなると、
子供が大きくなったとき「人工授精と代理出産」のことを知るので、
『私(美川憲一さん)のエゴで決めてはいけない』と思ったとのことでした。
まとめ
オフィシャルブログのタイトルは「しぶとく生きる」、
YouTubeは「おだまりチャンネル」、
75歳になった美川憲一さんのキャラは今も健在です。