俳優の石田純一さんの元妻で、モデルのすみれさんの母である松原千明さん。
若い頃はカネボウで有名に?
デビュー前は信用金庫で働いていた?
見ていきましょう。
目次
松原千明のデビュー前は信用金庫のOL?
女優でタレントの松原千明さん、
デビュー前は信用金庫でOLをされていたというのですが本当でしょうか?
松原千明さんは、高校卒業後は短期大学に進学。
『いつか留学してみたい。』という夢をもち、
卒業後は海外へ行きたい という思いがありました。
しかし長年苦労して自身を育ててくれた母親の側にいたいという気持ちも強く、
悩む中人から勧められるまま、短期大学卒業後は、
地元である京都の信用金庫に就職しています。
美人であることから、職場でもモテていたのではないでしょうか?
その頃は、流されるままに生きていたという松原千明さん。
ですが信用金庫で働きだして約1年後、
やはり留学したいという夢を忘れられず、
自分のやりたいことをやろうと決心し、信用金庫を退職。
松原千明さんは、留学を目指し昼間は、
母親が経営していたお好み焼き屋さん「千明」で手伝いをし、
夜は英会話学校に通うように。
お店の名前が「千明」と、
松原千明さんの名前が付けられているのには親の愛が感じられますね。
そんな中、母親の勧めで「KBS京都」のアシスタントレディに応募。
松原千明さんは見事採用され、CMなどにも出演するようになります。
松原千明の若い頃はカネボウで有名に!
「KBS京都」のアシスタントレディとして活躍するようになった松原千明さん。
自信も付いてきたのでしょうか?
1979年松原千明さんが21歳の頃、友人に誘われ、
「カネボウレディ’80」のキャンペーンガール募集に軽い気持ちで応募。
応募者は、2万5700人ほどいたそうですが、
見事「カネボウレディ’80」に選出されます。
こちらは「カネボウレディ’80」に応募した際の松原千明さんの写真。
日本人離れしたエキゾチックな顔立ちで、大変お綺麗ですね。
そしてカネボウのキャンペーンガールとして活躍した松原千明さんは一躍ブレイク。
女性の憧れの的となったようです。
また「カネボウレディ’80」の副賞であった「東宝映画への出演」では、
「地震列島」の女性カメラマン役としても出演し、
女優デビューも果たします。
松原千明さんの生活は一転し、
ポスターの撮影やキャンペーンなどで毎日忙しい日々に。
そして1980年には「結婚の四季」でテレビドラマデビューすると、
ドラマを中心に数多く出演するようになります。
他にもラジオ番組のパーソナリティなどでも活躍。
カネボウとの関係も続いており、
1986年にはカネボウの「絹石鹸」のCMにも出演しています。
そして1988年には、今も根強い人気を誇る「探偵!ナイトスクープ」の初代秘書役を務めました。
ですが約1年後には、松原千明さんの方から番組降板を願い出ています。
元々松原千明さんは「探偵!ナイトスクープ」は、
「ニュースステーション」のような社会派路線の番組と聞き、
契約を結んでいたのだそうです。
ですが番組は次第にバラエティ色が濃くなり、
番組の趣旨が変わってきたからなんだとか。
自身が思う番組とズレが生じていったようですね。
また「探偵!ナイトスクープ」に出演されていた年に、
当時トレンディドラマを中心に活躍していた俳優の石田純一さんと結婚。
この結婚も番組を降板した理由の1つだとも言われているのだとか。
番組降板と結婚と残念に思うファンもいたのではないでしょうか?
そして2人の間には現在タレントとして活躍している長女のすみれさんが生まれています。
その後石田純一さんの不倫が原因で離婚。
それからはすみれさんとハワイで移住するようになりました。
親子の関係は良好で2人は大変仲良し。
すみれさんとお仕事を共にすることもありました。
カネボウで一躍有名人となった松原千明さん。
ハワイでは落ち着いた生活ができていたのなら良いのですが。
松原千明の若い頃のエピソードは?
父親の悪い酒癖のせいでストレスだった?
京都で産まれた松原千明さん。
父親は時代劇俳優の原健策さんで、
母親は元宝塚歌劇団の乙女松子さんになります。
6人兄弟(三男三女)の末っ子として誕生しました。
見た目も綺麗なことから、
幼い頃もたいへん可愛かったのではないでしょうか?
父親の職業が時代劇俳優ということもあり、
幼い頃は太秦(東映京都撮影所)が遊び場だったという松原千明さん。
父親はよく映画を観に連れて行ってくれたり、
美味しいレストランへ連れて行ってくれていたのだとか。
しかし、父親の原健策さんは酒癖がわるかったそうで、お酒を飲むと豹変し大暴れ。
松原千明さんの1つ上のお兄さんは、よく追いかけられ逃げ回っていたのだとか。
職業側ストレスもためやすかったのでしょうか?
また役者ということもあり、声がよく通って怖かったのだそうです。
子供にはしつけということもあったのかもしれまけんが、
母親を追いかけることもあったそうで、
子供達で母親を窓から逃してあげたり、
親戚の家でかくまってもらうこともあったのだとか。
母親はよく泣いていたと言います。
松原千明さんは精神的に不安定になることも多かったそうなので、
こういった家庭環境も影響していたのかもしれません。
実は頭いい!
そんな環境の中でも真面目に勉強に励んでいたのでしょう。
高校は「京都府立嵯峨野高等学校」という進学校に通っていました。
偏差値は61〜72とかなり高めです。
見た目も美人な上、知性も持ち合わせていた松原千明さん。
この頃から『留学したい』という思いが強くなったのでしょうか?
しかし酒癖の悪い父親に悩まされながらも、
父親の仕事が上手くいっていないときには、
広島風お好み焼き屋をし家計を支えていたという母親の姿を見ていた松原千明さんは、
母親の側にいて守らなきゃという思いもあり、日本に留まっていたようです。
結婚・離婚を経験
そんな中カネボウで一躍有名人となった松原千明さん。
1988年には俳優の石田純一さんと結婚しますが、1999年には離婚。
石田純一さんは、長谷川理恵さんと8年間にわたって不倫をしていたと言います。
その際に石田純一さんが「不倫は文化」と発言したことがきっかけで、
娘のすみれさんが学校でいじめられるように。
松原千明さんはすみれさんを連れてハワイへ移住することにします。
若い頃から海外への思いがあった松原千明さん。
このようなかたちで海外で移住することとなりましたが、
日本での生活より穏やかに過ごすことができたのではないでしょうか?
その後すみれさんの英語の家庭教師だったハワイ在住の白人男性と再婚・妊娠。
2000年に息子を1人出産しています。
しかし再婚相手の男性は、経済面で松原千明さんを頼り始めるなど、
性格の不一致などもあり2009年に離婚。
美人で頭も良かった松原千明さん。
若い頃は芸能活動にも恵まれましたが、私生活では辛いことも多かったようですね。
幼い頃から父親も含め、男性に振り回される人生だったのかもしれません。
まとめ
頭もよく美人であった松原千明さん。
デビュー前は信用金庫でOLとして働いていましたが退職し、カネボウのキャンペーンガールを務め一躍有名人に。
しかし私生活では辛いことも多かったようです。