増田恵子さんは、
アイドルデュオ「ピンクレディー」で伝説を残した人です。
今回は、増田恵子さんの夫の話。
このページでは、
「【顔画像】増田恵子の夫は社長?」
「増田恵子と夫の馴れ初めはCM?」
「増田恵子に子供はいる?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
【顔画像】増田恵子の夫は社長?
【顔画像】増田恵子の夫は社長?
増田恵子さんの夫は、
テレビのCMや映画などの音響制作をしていた桑木知二さんです。
桑木知二さんは、
1986年に音響会社「ギルド・ジャパン」設立しています。
2004年1月16日に、東京地方裁判所へ自己破産を申請。
その後、会社はどうなったかは不明です。
現在は、
「専門学校 日本工学院」放送芸術科・音声コースの講師を務めています。
桑木知二さん個人の公式サイトはありませんので、
ネット上の情報を集めてプロフィールをまとめました。
- 名前:桑木 知二(くわきともじ)
- 生年月日:1954年1月22日(2023年5月現在-69歳)
- 出身地:東京都
- 学歴:早稲田高校 ⇒ 青山学院大学を中退
- 職業:「サウンドプロデューサー」「レコーディング・エンジニア」
- おもな受賞:「ギャラクシー賞」「郵政大臣賞」「ロンドン国際広告賞」「芸術祭参加作品 最優秀賞」
増田恵子のプロフィール
- 現在の活動名義:増田 惠子(ますだ けいこ)
- 結婚後の本名:桑木 啓子(くわき けいこ)
- 生年月日:1957年9月2日(2023年5月現在-65歳)
- 出身地:静岡県静岡市葵区
- 学歴:常葉大学附属常葉高等学校
- 所属:「ケイ・オフィス」
- 業務提携:「佐藤企画」
ピンクレディーの全盛期
アイドルデュオとして歌謡界の頂点に立ったころ、
ピンクレディーは超過密スケジュールで、
1日の平均睡眠時間は45分だったそうです。
移動中に高速道路で渋滞に巻き込まれると、
ハシゴで一般道まで降りて、
タクシーで現場まで向かったという話もあります。
ケイ(増田恵子さん)が盲腸で緊急入院したときは、
コンサート10日前。
「ファンが待ってるから!」と、
衣装が血膿で染みないように体にラップを巻いて出演しています。
ソロ歌手としてのヒット曲
ソロ歌手になった増田恵子さんは、
売れっ子のシンガーソングライターに曲を提供してもらいます。
ピンクレディー時代とは、
ガラッと変わったイメージでシングル曲をヒットさせていました。
- 「すずめ」作詞・作曲:中島みゆき
- 「ためらい」作詞・作曲:松任谷由実
- 「らせん階段」作詞・作曲:竹内まりや
- 「女優」作詞・作曲:桑田佳祐
増田恵子と夫の馴れ初めはCM?
「増田恵子と夫の馴れ初めはCM」については、
ネット上の噂として広まっています。
桑木知二さんの仕事が音響制作であることを考えれば、
CM制作の現場で出会う可能性はあるでしょうね。
しかしながら、
どのCMで出会ったのかは特定している人はいません。
増田恵子さんと桑木知二さんと結婚したのは2002年6月23日なので、
それより前のCMだと考えると候補は次の通り。
- 日清製粉「冷凍スパゲッティー」(1996年)
- 日清食品 やきそば「UFO」(1999年)
- 大一商会 パチンコ・キャラクター(2002年)
どれもピンクレディー(再結成)としての出演のようです。
結婚のタイミングで推測するなら、
1999年の日清食品 やきそば「UFO」のCMでしょうか。
「レコーディング・エンジニア」として、
増田恵子さんのソロ作品に関わっているとしたら、
出会ったのは徳間ジャパン(レーベル)(1989年~1990年)の時期とも考えられます。
リリースしたシングルは、
「哀色の印象-Avec Le Feu」「運命が変わる朝」の2曲。
参加したレコーディングスタッフ情報は見つかりません。
桑木知二さんが1986年に設立した「ギルド・ジャパン」の仕事をチェックしていると、
『世にも奇妙な物語』の流れで『if もしも』(オムニバステレビドラマ)がありました。
増田恵子さんが出演したのは、
『if もしも』 #13「花を愛するか、宝石に生きるか」(1993年8月12日放送)。
可能性はありますが、直接的な関わりは不明です。
決定的な証拠は見つかりませんが、
増田恵子さんと桑木知二さんは仕事上で出会った可能性は高いですね。
増田恵子に子供はいる?
年齢的に出産はできなかった?
増田恵子さんが結婚したのは、44歳のときでした。
一般的に考えれば、
年齢的に出産はできなかったのだと思われます。
「20年経って夫婦らしくなったかな」と話している中では、
「2人でキッチンに立って、主人が2品、3品ぐらい作って…」と明かしていますが、
増田恵子さんからは子供の話は出てきません。
「Aging Gracefully」の坂本真子さんに受けたインタビューでは、
結婚前と結婚後の違いについて、
増田恵子さんはエピソードを交えながら語っていました。
印象的なところは、
それ(結婚する)までは、仕事第一。
仕事あっての自分なので、仕事に忠実に生きてきて…
という増田恵子さんの言葉。
独身時代には、
「結婚」や「出産」についてのプランは持っていなかったのでしょうね。
【闘病】メニエール病とバセドウ病
出産に関係するのかどうかはわかりませんが、
増田恵子さんは長期間に渡って病気と闘っています。
20代のころに増田恵子さんは、
突然会話が聞こえなくなる突発性難聴を患っていました。
間もなくして、
メニエール病であることがわかります。
30代半ばには、バセドウ病が発症。
体調の悪さに気づいたのはピンクレディーの解散から10年たったころだと、
過去のインタビュー記事やテレビの特集で明かしていました。
ソロ歌手として活動しているときには、
マイクを持つ手が震える症状があったそうです。
あごがガクガクして、
ドラマの撮影ではセリフがまともに言えない状況。
不安になったのは、
芸能活動を続けられないことだと話していました。
病気によって、
増田恵子さんは出産への心配を語っている記事はないです。
現在は、
心身ともに大事にケアしていると増田恵子さんは話していました。
まとめ
増田恵子さんは結婚したときの年齢が44歳で、
自身の子供はいません。
伝わってくる話では、
桑木知二さんとの夫婦関係は良さそうです。