60代後半とは思えないほど、大人のかっこよさで世間を魅了する草刈正雄さん。
そんな草刈正雄さんには息子がおりましたが、2015年にお亡くなりになっています。
転落事故だったようですが、うつ病が原因だったという噂もあるようです。
今回は、草刈正雄さんの息子さんについて詳しく調査しました。
目次
草刈正雄の息子の死因は転落死
草刈正雄さんは、
1997年のテレビドラマ「華麗なる刑事」で共演したモデルの大塚悦子さんと9年の交際の後、
1988年12月31日に結婚しました。
草刈正雄さんと大塚悦子さんの間には息子が1人・娘が2人います。
長女はダンサーの紅蘭さんで、バラエティー番組出演などでも活躍しています。
次女は草刈麻有さんで、女優として活動しています。
そして長男の草刈雄士さんは、ミュージシャンとして活動をしていましたが、
2015年2月14日に23歳という若さでお亡くなりになりました。
関係者によると、
息子の草刈雄士さんは東京・渋谷区のマンションの7階にある
草刈正雄さんの個人事務所に泊まり込んでいたそうです。
当時の状況などから、誤って転落したとみられています。
消防庁によると、
「路上で人が倒れている」と119番通報があり、
草刈雄士さんは救急車で都内の病院に搬送されました。
草刈雄士さんは、窓の脇にあるベランダの手すりの一部を握ったまま路上で倒れていました。
転落状況から、柵がない窓を開けて窓辺に腰掛け、
転落した際、ベランダの手すりの一部にしがみつこうとしたものとみられています。
当時、事務所にいたのは草刈雄士さん1人だけだったようです。
事務所には草刈雄士さんが時々滞在し、音楽や絵の制作活動を行っていました。
当日も泊まり込みで制作活動を行っていたようですね。
草刈正雄さんは憔悴しきっていたものの、
息子の草刈雄士さんが転落死した翌15日も都内でテレビ番組収録に臨んでいました。
草刈正雄の息子の転落死は事故?うつ病?
草刈正雄の息子の転落死は事故?うつ病?
草刈雄士さんの転落死は先ほど説明した通り、
事件性はなく、事故とみていいと思われます。
また、周囲の関係者は、自殺の可能性も否定しています。
事故の原因としては、
「突風に煽られてしまったのではないか。」という説があります。
他には、
「草刈雄士さんは躁うつ病を患っていて、その薬のせいで意識が朦朧となり、それが転落の引き金になった。」
などという説もあったようです。
しかし、いずれもあくまで噂レベルの話であり、真相は不明です。
いずれにせよ、現場の状況から、
草刈雄士さんの自発的な意志によるものではないことは確かなようです。
草刈正雄さんは悲報を聞いて、転落事故から約2時間後に現場に駆けつけてきました。
そして「なんで死んだんだぁ!」とあたりをつんざく絶叫していたことが近隣の住民に目撃されています。
血だまりの事故現場で地面に手をついて泣き叫んでいたそうです。
草刈正雄の息子の転落死に「父子の確執」が存在?
実は父子関係は微妙なものだったようで、
息子の草刈雄士さんは東京都内にある草刈正雄さんの自宅では生活していなかったそうです。
自宅近隣の住人は
「2人のお嬢さんたちにはよくお会いしますが、息子さんをお見かけしたことはほとんどありませんでした。」
と語っていました。
草刈正雄さんは、「週刊文春」のインタビューで子供たちとの関係について次のように語っていました。
「長女と長男が小さかった頃は、僕はいい父親じゃなかった。
仕事の悩みがまだ続いていたのでイライラして、感情的になって叱ることがよくありました。」
息子の草刈雄士さんが誕生したのは、草刈正雄さんが39歳のときです。
デビュー以降2枚目俳優として活躍してきましたが、
“年齢の壁”にぶつかり気持ちが荒んでいた時期でした。
「自分はいい父親じゃなかった…。」その思いは、
草刈正雄さんの心の奥底にトゲのようにひっかかっていたようです。
他のインタビューでも
「僕はお手本となる父親がいなかったから、(子供たちに)どう接していいかわからないんですよね。」
と語っていました。
草刈家の知人は、
「息子さんとの微妙な関係を修復できないまま、彼を失ってしまったことは、草刈さんにとって痛恨だったでしょう。」
と語っていました。
四十九日には、息子の草刈雄士さんに対して
「ごめんな」「許してくれ」「愛しているよ」「ありがとう」
の4つの言葉を贈ったのだそうです。
そういったことから、
父子の確執の存在と、そこに転落死の原因を求める憶測も出てきたようです。
しかし、やはり憶測は憶測に過ぎず、
本当のところは亡くなってしまった雄士さんにしか分からないですね。
NHK大河ドラマ「真田丸」出演の際には、
「(息子が生きていたら)『真田丸』の芝居を『おやじ、良かったよ』って、言うかもしれませんね。男同士ですからね。息子もちゃんと見ていてくれたと思いますよ」
女性自身 引用
と草刈雄士さんへの想いを語っていました。
息子の草刈雄士さんは草刈正雄さんの心の中で生き続け、
これからもお父さんを支え続けるのでしょうね。
【顔画像】草刈雄士(草刈正雄の息子)wikiプロフ
- 本名:草刈雄士
- 愛称:YUSHI
- 生年月日:1991年3月20日
- 血液型:A型
草刈雄士さんは、
2008年に結成されたバンド「ズットズレテルズ」でドカットという名前で
ボーカル・ラップを務めていました。
メンバーは7人のファンクバンドでした。
- 現OKAMOTO’Sメンバーであるハマオカモト
- オカモトレイジ
- オカモトショウ
- ドカット(草刈雄士)
- 呂布
- ラキタ
- ヒデちゃん
こちらが「ズットズレテルズ」の動画です。
また「WEEDCUT」としてヒップホップユニット、
「SIMI LAB」の初期メンバーとしても活動していたようです。
しかし、草刈雄士さんのわがままが原因で、
わずか1年でズットズレテルズは解散、SIMI LABからも脱退したようです。
その後は幼なじみたちとヒップホップ・グループ「BANKROLL」を結成しました。
「BANK ROLL」は「YaBasta」というバンドと組み合わさり、
「KANDY TOWN」というヒップホップグループとして活動を始めました。
メンバーから「KING」と呼ばれ、リーダーのいない彼らの精神的な支えになっていたようです。
「KANDY TOWN」のメンバーIOさんは草刈雄士さんのことを次のように語っていました。
俺らは彼の事を「KING」って呼んでる。
それぐらい、YUSHIの存在が大きいですね。
YUSHIが俺らの中心だったし、みんなの判断もそうだと思う、
YUSHIがNo Goodだって思うような事はやらないっていうのが、
自分達の基準になってると思います。
KANDYTOWNにリーダーはいないけど、強いて中心人物を上げるなら、YUSHIです。
また、ズットズレテルズとBANK ROLLで草刈雄士さんと活動していた呂布さんも
ラップを俺らの間で一番最初に始めたのがYUSHIだったし、
あいつがいなかったら、KANDYは無いですね、確実に。
と、草刈雄士さんはグループの中心的存在だったと語っていました。
まだ23歳だったということで、これからの活躍が期待されていたでしょうね。
本当に残念でならないですね。
まとめ
今回は、草刈正雄さんの息子草刈雄士さんについて調査しました。
ミュージシャンとして活動し、まだまだこれからというタイミングで突然お亡くなりになりました。
そのため、ご家族も一緒に活動していたメンバーも大きなショックを受けたことでしょう。
草刈雄士さんの分も残された家族やメンバーが活躍してくれることでしょう。