紀平梨花さんは、
平昌五輪のときは15歳の誕生日までわずか21日足りずに出場が叶わず、
北京五輪はケガの回復が間に合わないという状況で出場を逃してしまいました。
今回は、学生としての紀平梨花さんの話をお伝えします。
このページでは、
ネットで話題になった「高校の中退」や、
「学生時代のエピソード」などを取り上げました。
どうぞ、ご覧ください。
目次
紀平梨花の高校大学はどこ?
紀平梨花さんはスケートに専念できるように、
高校は通信制、大学はeスクールを選んでいます。
どのような学校(カリキュラム)なのかについては、
以下のように調べてみました。
紀平梨花が卒業した高校
紀平梨花さんが卒業した高校は、
上画像のN高等学校(エヌこうとうがっこう)です。
フィギアスケーターとしての所属もN高等学校になったことは、
ニュースになっていました。
学校は沖縄県うるま市伊計島にあり、
学校法人角川ドワンゴ学園のよる私立通信制高等学校です。
出版社であるKADOKAWAと、
IT企業であるドワンゴが持つ技術力によって設立。
開校されたのは、2016年4月1日です。
学科内専門コースには、
- ネットコース
- オンライン通学コース
- 通学コース(キャンパスは全国各地に設置)
- 通学プログラミングコース
の4つがあります。
特徴的な学校行事には、
ドワンゴが主催するリアルイベントとして、
- ニコニコ超会議
- ニコニコ町会議
- ニコニコ超パーティ
などがあり、
闘会議と連携したN高文化祭も開催されるそうです。
現在は、
2021年4月に開校された「S高等学校(茨城県つくば市作谷に所在)」もあります。
ホームページを見ると、
次の学校紹介の動画でキャンパス内の様子もわかるように準備されていました。
紀平梨花が進学した大学
紀平梨花さんが進学した大学は、
「早稲田大学人間科学部eスクール」です。
Instagramで紀平梨花さんは、
入学の報告をしています。
「早稲田大学人間科学部eスクール」は、
インターネットの環境があれば、
どこでも講義を受けることができるシステムになっているeスクールです。
以上のように紀平梨花さんは、
フィギュアスケートと学業を両立できるように、
上手に人生設計をしているようですね。
紀平梨花は高校を中退してない!噂の発端はトヨタ入社?
紀平梨花は高校を中退してない!
画像は、紀平梨花さんの高校時代の制服姿。
こちらの制服画像と卒業証書をInstagramに投稿して、
紀平梨花さんは「N高等学校」の卒業を報告しています。
ですから、
紀平梨花さんは高校を中退していません。
ネットの噂は、
情報を知らない人たちによる勘繰りなのでしょうね。
中退の噂の発端はトヨタ入社?
トヨタに入社したことがニュースでも発表があったので、
その情報だけを受け取った人は、
紀平梨花さんに対して、
「高校中退の噂」や「大学はどうしてる?の疑問」も出るようになったのかもしれません。
ここでは、
紀平梨花さんの社員としての現状を調べてみました。
嘱託社員
紀平梨花さんは、嘱託(しょくたく)社員です。
トヨタに入社したのは、2020年11月1日付と発表されていました。
そのとき紀平梨花さんは、
まだN高等学校に在学中でした。
嘱託社員は、
一般的に次のような立場になります。
- 嘱託とは、正式な任命を受けないまま業務への従事を依頼される。
- 正社員ではない。
- 嘱託社員は企業側との契約によって、勤務の対応が異なる。
- 企業側から見た場合、特殊なスキルを持った人(医師や弁護士など)に仕事をしてもらうケース。
所属をトヨタにした!
紀平梨花さんは、
アスリートとしての所属を「在学中のN高等学校」から「トヨタ」に変えました。
さらに、
マネジメント契約は「IMG」と結んでいます。
「IMG」からは、
練習拠点とコーチについての発表が次のようにありました。
他に紀平梨花さんは、
アディダスのサポートも受ける立場でもあり、
レッドブル・アスリートでもあります。
次のように、
「トヨタ」「N高等学校」のネーム入りのアディダスを着ている画像もありました。
オリンピックをめざすアスリートは、
練習場の確保や経済的なサポートなど、
さまざまな環境を整える必要があるので、
企業との契約は競技人生を左右する大事な条件なのです。
卓球の福原愛さんの場合は、
10歳からミキハウスと専属契約を結んでいて、
そのまま青森山田(中高一貫)に進学してインターハイに出場していました。
中国リーグ時代、早稲田大学卓球部時代、
全日本空輸(ANA)所属時代もありました。
レスリングの吉田沙保里さんはアルソックに所属しながらも、
練習拠点は卒業した中京女子大学(現・至学館大学)でした。
紀平梨花の学生時代のエピソードは?
紀平梨花さんには、
一般的な学生のような生活を送ってきていないので、
仲の良い友だちと思春期を過ごしたようなエピソードは見つかりません。
経歴で振り返ると以下のようになります。
初めてアイスリンクに行ったのは3歳のとき。
そのとき、姉の紀平萌絵さんもいっしょだったそうです。
5歳で紀平梨花さんは、スケート教室に入ります。
幼少期はスケートのほかに、
エレクトーン、ピアノ、体操、水泳、バレエ、ダンスとさまざまな習い事を経験。
1歳9カ月から通い始めた幼稚園のときには、
特別なメソッドにより、
跳び箱8段を飛び、片手で側転をし、
逆立ちで園内を歩くなどの運動能力ができあがっていたそうです。
小学生時代は、
土日は最低6時間、平日も2時間をスケートの練習という生活。
中学校は、地元の西宮市立上ヶ原中学校に進学。
画像は、13歳のときの紀平梨花さん。
14歳のときには、
6種類8つの3回転ジャンプを女子史上初めて成功させるという偉業も成し遂げています。
高校は、
所属していたスケートクラブの関西大学の高等部に進まず、
通信制のN高校を選びました。
次のように、
学校側から『N高・紀平梨花さん特別インタビュー』も受けています。
「進学先をN高にしようと思った決め手は何ですか?」という質問に対して、
学校生活とスケートを両立できる学校がなかなかなくて、
N高は合間の時間を有効活用して勉強ができたり課題ができたりするので、
スケートにも集中できるというのがすごい良かったです。
と紀平梨花さんは答えています。
学校生活を楽しむというよりも、
幼少期の英才教育も含めて、
紀平梨花さんはスケート人生に徹しているという感じです。
まとめ
北京五輪に間に合わなかった紀平梨花さんは、
4年後のミラノに向かって気持ちを切り替えています。
今度こそ、頂点に立てるといいですね。