川﨑宗則さんは、
メジャーリーグでも愛されたプロ野球選手。
今回は、このページでは、
「川﨑宗則は自律神経失調症になっていた?」
「自律神経失調症の現在の症状は?」
「川﨑宗則は痛みと戦いながら前向きな気持ちに!」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
川﨑宗則は自律神経失調症になっていた?

川﨑宗則選手は、
「福岡ソフトバンクホークス」を自由契約で退団することになったとき、
自律神経失調症になっていました。
ここでは、
自律神経失調症を公表するまでの川﨑宗則選手について、
当時の情報を時系列で追いかけていきます。
【2017年】自律神経失調症を公表する前
2017年は、
川﨑宗則選手にとって、
6年ぶりに日本のプロ野球復帰となるシーズンでした。
アメリカでは天然芝の球場でプレーしていた川﨑宗則選手は、
日本のプロ野球で主流の人工芝に適応できなかったためか、
両足のアキレス腱に痛みを抱えるようになります。

2017年7月24日には出場選手登録抹消で、
川﨑宗則選手は治療に専念することになりました。
シーズン終了後は、
優勝祝賀パレードやファンフェスティバルなどの行事には不参加。
その理由は、
体調不良でした。
【2018年】引退か?現役続行か?自律神経失調症を公表
2018年は、
シーズンに入る前の春季キャンプ中も、
体調不良を理由に契約未更改の状態が続いていました。
キャンプ終了直後の3月1日に、
「福岡ソフトバンクホークス」公式サイトから川﨑宗則選手の名前が削除されます。
複数のメディアは、「川﨑引退」と報道。
球団から公式発表は、自由契約という形でソフトバンクを退団。
そのとき、
川﨑宗則選手の自律神経失調症は公表されました。
公式コメントの一部。

川﨑宗則選手のプロフィールと球団の移籍歴

- 名前:川﨑 宗則(かわさき むねのり)
- 生年月日:1981年6月3日 (2022年8月現在-41歳)
- 出身地:鹿児島県姶良市
- 学歴:鹿児島県立鹿児島工業高等学校・卒業
以下は、
川﨑宗則選手の球団の移籍歴です。
【プロ入り】
- 福岡ダイエーホークス(ドラフト4位)
- 福岡ソフトバンクホークス (2000~2011)
【メジャーリーグ】
- シアトル・マリナーズ (2012)
- トロント・ブルージェイズ (2013~2015)
- シカゴ・カブス (2016)
【日本のプロ野球に復帰】
- 福岡ソフトバンクホークス (2017)
【台湾のプロ野球】
- 味全ドラゴンズ (2019)
【日本の独立リーグ】
栃木ゴールデンブレーブス (2020~)
川﨑宗則の自律神経失調症の現在の症状は?

川﨑宗則の自律神経失調症の現在の症状は?
2018年3月に公表したときのコメントでは、
「自律神経の病気にもなり体を動かすのを拒絶するようになってしまいました」
という状態であることを川﨑宗則選手は言葉にしていました。
その後は、どうなったのでしょうか。
公表したころの自律神経失調症の症状
スポーツ報知デジタル版のインタビュー(配信は2020年8月)で川﨑宗則選手は、
公表したころ(2018年3月)の自律神経失調症の症状について答えていました。

こちらの言葉を拾うと、
- 体が動かない。
- 頭が割れるように痛い。
- 毎日、悪夢を見る。
- 体を動かすとつる。
という症状で川﨑宗則選手は苦しんだようです。
これでは、野球はできませんね。
2019年は台湾でプレー!
チーム(味全ドラゴンズ)自体がリーグに復帰したばかりで、
2019年は公式戦は行われていません。
8月17日のキャンプインのタイミングで開催された特別試合「現役vsOB」で、
川﨑宗則選手はOBチームの一員として出場。
本職のショートだけではなく、
ピッチャーとしても最速140km/hを記録して話題になっていました。

どうやら、
体を動かすことはできるようになっていたことは証明できたようですね。
2022年も栃木でプレー!自律神経失調症の症状は?
産経ニュースWEB版の(2022/4/3 12:00配信)のインタビュー記事では、
「心療内科の治療は続けている」ことが書かれていました。
川﨑宗則選手は、「歯医者に行く感覚」という説明をしています。

プレーのほうは、どうでしょうか。
芸人のティモンディ・高岸宏行さんが川﨑宗則選手のチームメートになったことで、
メディアは「栃木ゴールデンブレーブス」のニュースで大にぎわいでした。

2022年も、
川﨑宗則選手は栃木で元気に野球をしています。
川﨑宗則は痛みと戦いながら前向きな気持ちに!

治すりも『付き合っていく』という考え方
スポーツ報知デジタル版のインタビュー(配信は2020年8月)では、
川﨑宗則選手は自律神経失調症との向き合い方も語っていました。

インタビューを担当した人は、
『すでに川﨑宗則選手は病気を克服した』と思い込んで、
対話を進めようとしていました。
川﨑宗則選手は、
インタビューの質問者の言葉を止めるようにして、
「克服、していないですね、今も」と答えています。
川﨑宗則選手は、
自律神経失調症との向き合い方の説明を続けます。
今までは『治そう、治そう』と思ってやって、それがダメだったんです。
「今の僕が持っている、大事な病気」と考え方を変えて、
「治さないようにしよう」と心がけているそうです。
川﨑宗則選手は重ねて、
自律神経失調症についての思いを言葉にしていました。
僕は、病気は克服してはいけないと思いますし、
戦ってはいけないと思っています。
治すりも『付き合っていく』という考え方のほうが、
よっぽどハッピーだと思います。
治療(ケア)の様子については、
次のように川﨑宗則選手は話しています。
- 2か月入院。
- 呼吸法を試して、ちょっとずつ良くなった。
- 今も薬を持っている。
- 2か月に1回の通院でカウンセリングも受けている。
実はメンタル的には弱い自分を知って、
ストレスがかかっても、うまく軽減する方法をやっているそうです。
川﨑宗則選手は、
心境のすべてをつづった著書を出しています。

ダルビッシュ有選手の助言

ダルビッシュ有選手からは『マインドフルネス』を教えてもらい、
ゼロトレーニングと並行して、
川﨑宗則選手は1日10分くらいの瞑想もやるようになったと明かしています。
イチローの言葉に救われた
まだ電車にも乗れない状態(自律神経失調症)でありながら川﨑宗則選手は、
スタッフの声かけのきっかけに、
新幹線に乗ってイチローさんに会いに行ったという話があります。

イチローさんの表情を見ただけでホッとして、
川﨑宗則選手はワンワン泣いたそうです。
イチローさんから「一緒に練習しようよ」と言われて、キャッチボール。
1日だけ自主トレに参加。
福岡に戻ると、
久しぶりの運動で3日ほど体には痛みがあったそうです。
しかし、
「イチローさんの練習をもうちょっとできるようになりたい!」という気持ちが芽生えて、
川﨑宗則選手は体を動かすようになったと話しています。
イチローさんとの再会が大きな転機になったようですね。
まとめ
川崎宗則選手は病気は克服しないという選択をして、
心療内科に通いながら野球を続けています。
選手の生き方として前例のないことですが、
川崎宗則選手が野球を楽しんでいる姿に多くの人は感動させられているようです。
