空手家として活躍されている香川政夫さん。
検索すると「香川政夫 韓国」と出てきますが、韓国人でしょうか?
また、結婚して嫁と息子がいるそうです。
今回は、香川政夫さんのwikiプロフィールや家族構成について調査しました。
目次
【顔画像】香川政夫は韓国人?wikiプロフィール&経歴
- 名前:香川政夫(かがわ まさお)
- 生年月日:1955年〈昭和30年〉6月8日
- 年齢:65歳
- 出身地:大阪府
- 職業:空手家、全日本空手道連盟(JKF)理事、帝京大学空手道部師範
- 資格:全日本空手道連盟公認八段。日本空手松涛連盟九段・首席師範
- 受賞歴:2013 年度ミズノ スポーツメントール賞
香川政夫さんは、第1回IBUSZワールドカップ団体形の部優勝。
第28回全国空手道選手権大会(日本空手協会 (JKA) )組手の部、形の部ダブル優勝。
第3回松濤杯世界空手道選手権大会 (JKA) 組手の部優勝など数々の輝かしい経歴を持つ空手家です。
大阪府出身で、韓国人ではないようです。
2021年現在は、
帝京大学空手道部師範を務めるかたわら、
日本空手松涛連盟の首席師範としても活動しています。
これまでは、
世界空手連盟 (WKF) 技術委員委員長
全日本空手道連盟 (JKF) ナショナルチームのコーチ・監督、強化委員会委員長
などを歴任し、世界各国で空手道の指導・普及に当たっています。
「変わる力 変える力 現代空手道論」という著書も手掛けています。
空手には四大流派というのがあり、
香川政夫さんが身に着けている松濤館流は、剛柔流、糸東流、和道流と並ぶ四大流派の一つです。
創始者は「近代空手道の父」と言われる船越義珍(ふなこしぎちん)師で、
「型に忠実であれ、空手に試合はない」という船越師の遺訓から「型」稽古を重視する流派です。
実戦では刃物を持った相手や、複数の相手を想定して作られていることから、
遠い間合いから一気に飛び込んで攻撃を仕掛けます。
ちなみに、全日本空手道連盟(JKF)が昇段審査で指定している松濤館流の型は、
エンピ・カンクウダイ・カンクウショウ・ジオンの4つです。
香川政夫の嫁(妻)は帝京大寮母?
香川政夫さんはご結婚されているようですが、奥さんはどんな方なのでしょうか。
香川政夫さんの嫁(妻)は、
香川政夫さんが帝京大学空手部の師範となった際には、
空手部の寮母として働いていたようです。
なんでも、当時は東京八王子の空手部の合宿所に家族で住み込みで住んでいたそうです。
奥さんは、寮母として約40人の学生に囲まれて働いていたようです。
残念ながら奥さんの名前や顔写真は、公開されていませんでした。
香川政夫の兄・息子も空手家?
香川政夫の兄
香川政夫さんのお兄さんは、
香川政義(まさよし)さんといい、空手の師範をされています。
兄の香川政義さんは、
香川政夫さんに空手を教えたほどの空手の腕前を持っているようです。
香川政夫さん同様、素晴らしい経歴の持ち主で、「日本空手道松濤會」に所属しています。
現在は、大阪の今里道場というところで空手を教えられています。
香川政夫の息子
香川政夫さんの息子さんは、
帝京大学空手道部の主将を務めていた香川幸允(ひでよし)さんです。
香川幸允さんは、小学1年のときに自らの意思で1年ほど道場に通っていたそうです。
しかし、「何でこんなにしばかれるのか」とギブアップし、
中学ではバスケットボールをやっていました。
その後、15歳で空手を再び習いはじめ、
2014年に韓国の仁川で開催された「2014年アジア競技大会の男子組手+84 kg」で銀メダルを獲得。
2017年には、ポーランドのヴロツワフで開催された「2017年世界大会男子組手+84 kg」のイベントで金メダルを獲得。
ウズベキスタンのタシケントで開催された「2019年アジア競技大会空手道競技」で、男子組手+84 kgイベントで銀メダルを獲得。
などなど、空手家として活躍されています。
香川政夫と息子のエピソード
息子が小学校で空手をやめたとき、
香川政夫さんは、無理に香川幸允さんの手を引くことはしなかったようです。
厳しそうなのに、意外ですね。
息子さんは、
空手はやめても、空手の大会の応援などにもよく行っていました。
そんな中、
香川政夫さんが帝京大の師範となり、
東京・八王子にあった空手部の合宿所に家族で住み込むようになりました。
まるで相撲部屋のような環境の下、
同じ屋根の下で約40人の学生に囲まれて育ったため、自然と仲良くなり、
試合の応援にも頻繁に行っていたようです。
絶対にもうやらないと決めていた息子さんですが、
気づいたら『空手、やろうかな』と言い出していたようです。
そして高校入学後の15歳に空手を始めました。
父の勧めで進学したのは強豪の学法福島高校でした。
寮生活を含め、苦しい思い出しかないそうです。
その辛さから、香川幸允さんを含めて10人いた同級生のうち、半分が一度は逃げ出したそうです。
香川幸允さんが逃げなかったのは帰る場所がなかったからで、
父の鬼の形相が頭に浮かんだら、踏ん張るしかなかったのだそうです。
丼飯3杯がノルマの食事でみるみる大きくなり、
「休みは月に1度あるかないか」という練習漬けの日々だったようです。
まとめ
今回は、香川政夫さんのプロフィールや家族についてまとめました。
香川政夫さんは、空手一家であることがわかりますね。
これからの香川政夫さんと家族のご活躍が楽しみですね。