市川笑三郎さんは、歌舞伎役者(屋号は澤瀉屋)。
「VIVANT」では、別班の高田明敏を演じていました。
小林隆さんは、ケイファクトリー所属の俳優。
「VIVANT」の最終話で、
オリベ化学のエネルギー事業開発の担当者・蘇我(そが)を演じていました。
今回は、市川笑三郎さんと小林隆さんの話。
このページでは、
- 「市川笑三郎のプロフィール」
- 「市川笑三郎と小林隆は似てるけど血縁関係は?」
- 「市川笑三郎の家系図はあるの?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
市川笑三郎のプロフィール
はじめに、
市川笑三郎さんのプロフィールを確認していきます。
【市川笑三郎さんのプロフィール】
- 名前:三代目 市川 笑三郎(さんだいめ いちかわ えみさぶろう)
- 本名:福井 浩二(ふくい こうじ)
- 生年月日: 1970年5月6日(2023年11月現在 – 53歳)
- 出身地: 岐阜県中津川市
- 屋号:澤瀉屋
1986年4月に、「三代目・市川猿之助」さんのもとに入門。
福井浩二さん(本名)は、「三代目・市川笑三郎」を名乗ります。
「三代目・市川猿之助」さんは、
現在の「二代目 市川 猿翁(いちかわ えんおう)」さんです。
香川照之さんの実の父親。
1986年5月に、
「三代目・市川笑三郎」を名で初舞台。
演じたのは、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」吉備の国の従者。
1994年3月に、「三代目・市川猿之助」さんの部屋子(へやご)になっています。
「部屋子」とは、
幹部俳優の楽屋にあずけられ、鏡台を並べて楽屋での行儀から舞台での芸など、
役者として必要なことを仕込まれる立場になります。
1998年7月に、
歌舞伎座『四の切』の静御前で名題昇進。
名題(なだい)とは、
名題役者のこと。 名題看板に名前が載るような幹部級の役者のことです。
【市川笑三郎さんの受賞歴】
- 1990年松竹社長賞。
- 1994年第十五回松尾芸能賞新人賞。
- 1994年歌舞伎座賞。
- 1995年松竹会長賞。
- 1996年10月『四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)』の小女郎狐の精ほかで国立劇場奨励賞。
- 1998年歌舞伎座賞。
- 2003年10月『競伊勢物語(はでくらべいせいものがたり)』の井筒姫と娘信夫で、国立劇場優秀賞。
- 2005年7月「歌舞伎のみかた」の解説で、国立劇場優秀賞。
- 2006年3月『當世流小栗判官(とうりゅうおぐりはんがん)』の万長後家お槙で国立劇場優秀賞。
- 2009年重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる。
TBS日曜劇場「VIVANT」第6話~最終話(2023年8月20日~9月17日)の出演は、
市川笑三郎さんにとっては映像作品初となりました。
市川笑三郎と小林隆は似てるけど血縁関係は?
市川笑三郎と小林隆は似てる
見分けがつかないほではないですが、
市川笑三郎さんと小林隆さんは雰囲気が似ています。
まずは、
2021年11月2日のネットニュース記事に取り上げられていた市川笑三郎さん。
小林隆さんは、
ドラマ、映画で活躍している名脇役の俳優です。
比較する小林隆さんの画像は、
2021年10月10日から12月12日まで放送された『日本沈没―希望のひと―』の表情。
ドラマをよく見ている人なら、
別人であることはわかりますよね。
血縁関係は?
似てはいますけど、
市川笑三郎さんと小林隆さんに血縁関係が認められる情報はありません。
市川笑三郎さんの本名は、「福井 浩二」。
小林隆さんの本名は、「小林 隆」。
市川笑三郎さんの出身地は、岐阜県中津川市。
小林隆さんの出身地は、埼玉県川越市。
「遠い親戚」という話もないです。
あらためて、
小林隆さんのプロフィールを確認していきます。
【小林隆さんのプロフィール】
- 名前:小林 隆(こばやし たかし)
- 生年月日:1959年8月20日(2023年11月現在 – 64歳)
- 出身地:埼玉県川越市
- 学歴:埼玉県立松山高等学校 ⇒ 明治大学文学部文学科英文学専攻を卒業
- 所属事務所:ケイファクトリー
明治大学(文学部文学科英文学)在学中の小林隆さんは、
体育会ヨット部に所属していました。
4年生のときには、
スナイプ級で関東インカレ団体で優勝しています。
演技の世界では、
三谷幸喜さんが主宰していた劇団・東京サンシャインボーイズの出身。
小林隆さんは、
三谷幸喜作品には欠かせない名脇役の一人です。
【小林隆さん – おもなテレビドラマ出演】
- 『古畑任三郎』シリーズ
- 『新選組!』
- 『華麗なる一族』
- 『ゲゲゲの女房』
- 『真田丸』
- 『ツバキ文具店』
- 『遺留捜査』
- 『99.9-刑事専門弁護士- SEASON II』
- 『日本沈没-希望のひと-』
- 『鎌倉殿の13人』
- 『合理的にあり得ない 〜探偵・上水流涼子の解明〜』
- 『VIVANT』
古畑任三郎を演じた田村正和さんが77歳で亡くなったとき、
「古畑任三郎」シリーズに向島音吉巡査役で出演していた小林隆さんは、
追悼のコメントを出していました。
市川笑三郎の家系図はあるの?
三代目・市川笑三郎さん、本名・福井浩二さんは、
1986年4月に「三代目・市川猿之助」さんのもとに入門している身分です。
歌舞伎の家の血縁はないので、
歌舞伎役者として代々続く三代目・市川笑三郎さんの家系図はありません。
「三代目・市川猿之助」さんの家系図を見てみましょう。
三代目・市川笑三郎さんが入門した「三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)」さんと、
前妻の浜木綿子さんの間に誕生したのは香川照之さんです。
三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)が不整脈で亡くなったとき、
浜木綿子さんが追悼コメントを残しています。
コメントは、
「偉大なる歌舞伎役者 安らかに、お休み下さいませ。私は 今度こそが、本当のお別れでございます。」
と結ばれていました。
ゴシップになりますが、
後妻の藤間紫さんとの話は次のような記事がありました。
藤間紫さんは、
三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)さんの不倫相手でした。
それは、前妻の浜木綿子さん(1968年に離婚)との離婚原因になります。
三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)さんの12歳のときの初恋相手で、
藤間紫さんは16歳年上。
子供もいました。
しかも、
藤間紫さんの当時の夫・、六世藤間勘十郎(二世藤間勘祖)さんは、
三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)さんにとっては踊りの師匠。
香川照之さんは1歳のときに捨てられたことになります。
三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)さんと藤間紫さんは、
駆け落ち同然の同棲生活。
1985年に、藤間紫さんの離婚が成立。
このような状況の中で、
三代目・市川笑三郎さんは入門したことになるわけです。
2000年に、三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)さんと藤間紫さんが正式に結婚。
2003年には、三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)さんが脳梗塞を発症。
画像は、2008年のもの。(三代目・市川笑三郎さんは後列左から2人目)
2009年には、藤間紫さんが肝不全で死去。
2023年9月13日6時55分、
三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)さんが不整脈で死去。
参考までに、
自殺ほう助で亡くなった「四代目 市川段四郎」さんは、
三代目・市川猿之助(二代目・市川猿翁)さんの弟です。
まとめ
市川笑三郎さんは弟子入りしたような立場なので、
歌舞伎の家としての家系図はありません。
『VIVANT』出演後の2023年12月は、
「ルパン三世」題材の新作歌舞伎「流白浪燦星」の舞台に立っています。