政治家

橋本聖子の学歴!大学と高校はどこ?学生時代の闘病(腎臓病)生活が壮絶!

東京オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会の会長に就任し、

注目を集めている橋本聖子さん。

元々は、スピードスケート・自転車競技の選手としても活躍されたスポーツ選手でした。

そんな華々しい経歴をお持ちの橋本聖子さんですが、

学生時代は病気を患い、闘病生活を送っていた時期があったようです。

今回は、そんな橋本聖子さんの学歴(高校大学)や学生時代の闘病生活について調査しました。

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橋本聖子の学歴!大学はどこ?

橋本聖子学歴と高校大学画像引用元:https://www.daily.co.jp/general/2021/02/18/0014089499.shtml

橋本聖子さんは、1964年東京オリンピックの直前に生まれ、

聖火にちなんで「聖子」と名付けられました。

オリンピック選手になることを目標に、父親の方針で3歳でスケート開始し、

スピードスケート選手として活躍していました。

そのため、

高校卒業後は大学には進学せず、1983年実業団の富士急行株式会社へ入社しました。

富士急行株式会社

富士急ハイランドといえば、富士急行株式会社が所有しているレジャー施設です。

その富士急ハイランドの前身は「富士五湖国際スケートセンター」で、1961年にオープンしました。

当時から国内のスケート選手の育成を続けており、世界で活躍するトップアスリートを数多く輩出してきました。

現在は富士急行スケート部と富士急カーリング部が活動しています。

また、山梨を拠点とする女子バスケットボールチームに富士急グループの社員が在籍しており、グループ全体でスポーツ選手の育成・強化に関わり、その活躍を支援しています。

橋本聖子さんは、富士急行に入社したあと、

スピードスケートを続け、1984年のサラエボオリンピックに初出場していました。

合計7回もオリンピックに出場していました。

橋本聖子さんのスポーツ選手としての成績を以下にまとめます。

  • 1988年にもカルガリーオリンピック選手に選ばれ、入賞。
  • 1992年にはアルベールビルオリンピックでは、3位になり悲願の金メダルを獲得。

当時は、日本人女子選手の冬季オリンピック初のメダル獲得の快挙でした。

その後も橋本聖子さんは、

自転車選手として、

1992年のバルセロナオリンピックと1996年のアトランタオリンピックにも出場しています。

スケート選手としては、

1994年にリレハルメンオリンピックに出場しています。

スピードスケートの選手として冬季オリンピックに4回、自転車競技で夏季に3回と、合計7回出場されていて、

「オリンピックの申し子」とも言われていたそうです。

夏と冬であわせて7回というオリンピック出場回数は、当時の日本人で最多だったようです。

1994年に、橋本聖子さんは富士急行株式会社退社し、

1995年、第17回参議院議員通常選挙の比例区に自民党から立候補し初当選しました。

国会議員とスポーツ選手の二足のわらじを履き、

午前3時に起きて自転車に乗り昼間に国会議員としての活動をして、

夜9時すぎから2時間のウエイトトレーニングという日課を繰り返し、

土日の地方講演には自転車で移動をするなどして練習に充てていたようです。

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橋本聖子の学歴!高校はどこ?

橋本聖子学歴と高校大学画像引用元:https://www.jiji.com/jc/pyeongchang2018?s=special&id=winterolymedalist0037

橋本聖子さんは、

中学3年生の時全日本選手権を初制覇し、

駒澤大学附属苫小牧高等学校(偏差値:44~61)に入学しました。

   

橋本聖子学歴と高校大学画像引用元:Facebook

駒澤大学附属苫小牧高等学校は、スポーツの名門私立校です。

橋本聖子さんは高校1年生のとき、世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれています。

さらに高校2年生の時に全日本スプリント、全日本選手権で優勝し、

その後、10年間にわたって全日本選手権を制覇しました。

橋本聖子さんのお父さんは、

1964年の東京オリンピックの開会式に感動して、聖火にちなんだ名前を橋本聖子さんにつけたそうです。

そのため、「何の種目でもいいからオリンピック選手になれ。」と言われて育ったそうです。

スピードスケートを始めたのも、

小学校2年生のときに札幌オリンピックでスピードスケートという種目がオリンピックにあることを知ってからのようです。

そして見事父親の期待通り、オリンピック選手になったなんて本当にすごいですね。

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橋本聖子の学生時代!闘病(腎臓病)生活が壮絶

橋本聖子学歴と高校大学画像引用元:https://happymackeyblog.com/hashimotoseiko-young/

小学校で腎臓病に患う

スポーツ選手としても、政治家としても活躍しており、

順風満帆に見える橋本聖子さんですが、

小学校3年から4年にかけて腎臓病を患っていたそうです。

橋本聖子さんは、入退院を繰り返し、死の境を彷徨うような病気だったといいます。

しかし、オリンピックという目標があったので、病気と闘うことができたのだそうです。

父親の夢が病気の支えになっていたのですね。

このときの病気が引き金になって、

以来ずっと続発性慢性腎炎という病気を抱えることになってしまったそうです。

持続性慢性腎炎とは

持続性糸球体疾患のことで、腎臓以外の病気によって起こる腎臓病のこと。

病気を抱えながらも、選手として活躍されていたなんて本当にすごいですね。

高校生時代に再発

その後も、高校3年のときにも腎臓病がひどくなって入院したそうなのですが、

病院でB型肝炎に感染してしまい、

さらに、ストレス性の呼吸筋不全症という病気にも罹ってしまったんだそうです。

そんな状態だったので健康への憧れも強くて、よけいにオリンピックへの想いも強くなったといいます。

病気にかかったからこそ、辞めるという選択肢が消えたのですね。

橋本聖子さんの周囲の人も、大きな病気や怪我で苦しんだ選手ほど長く続けることが多かったようです。

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橋本聖子は昔すごい怪我をしていた

橋本聖子さんがいうには、

「辞めてしまう人は、ちょっとした怪我で辞めてしまう」のだそうです。

橋本聖子さんは、

腰椎を5か所亀裂骨折したり、転倒して何十針縫うといったこともありましたけれど、

怪我というのはいずれは治るため、治らない病気を抱えている身としては、

「どうして一度の怪我くらいで辞めてしまうのかな。」と思っていたそうです。

オリンピック出場の際は、

呼吸筋不全症の治療で服用するステロイド(筋肉増強剤)が使用できないため、3年間かけて体質改善を図ったそうです。

予防医学やスポーツ生理学、それから食のあり方といった問題に取り組んで、体質を根本的に変えたといいます。

何がなんでもオリンピックに出たいという気持ちが、闘病生活を支えていたようですね。

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まとめ

今回は、橋本聖子さんの経歴や闘病生活についてまとめました。

病気を患いながらも、目標に向かって努力する姿を私たちも見習いたいですね。

東京オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会の会長としての活躍も期待できますね。

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