かつてテレビ、週刊誌等で
一大ブームを巻き起こした、霊能者・宜保愛子さん。
今回はそんな宜保愛子さんにスポットをあて、
宜保愛子は何者?プロフィールは?
宜保愛子の予言は夏目漱石の本のパクリ?
宜保愛子の予言でコロナや地震や戦争は言い当てた?
以上3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
目次
宜保愛子は何者?プロフィールは?
1980年代~1990年代前半には、
オカルトや心霊を特集するテレビ番組がたくさんありました。
その中でも一大ブームを呼んだ宜保愛子(ぎぼ・あいこ)さん。
宜保愛子は何者?プロフィール!
- 名前:宜保 愛子(ぎぼ あいこ)
- 生誕 :1932年1月5日
- 死没 :2003年5月6日(71歳没)
- 出身地:神奈川県横浜市
- 職業:作家、タレント、霊能者
- 活動期間:1961年 – 2003年
宜保愛子さんは4歳のとき、
左目に火箸が落ち失明寸前となりました。
1年ほど闘病生活を送ったそうですが、
それでも視力は回復せずほとんど見えなくなったとの事。
しかし、失明したその左目は、
蔵が燃える風景や自殺した人が飛び込む風景などが見えたり、
車にひかれた弟の身体から魂が抜けて上るのが見えたといいます。
また、右耳は先天性の難聴により聴力を失っていましたが、
その右耳で霊の言葉を聞くことができたそうです。
宜保愛子さんは、6歳の頃には、
自分の中の霊能力を自覚したと語っています。
宜保愛子さんは、相談者の守護霊の声が聞こえ、
姿が見え、肉親の霊と話すことにより、
その肉親について他人が知り得ないことがらや、
相談者の家の構造や家具の配置などを言い当てたとされます。
また、霊能力の1つとして、霊視が可能で、
人の持ち物からその人物にまつわることを見たり、
建物などの過去や過去にあったものを
遠隔(海外でも)霊視する力もあったとされます。
ブレイクは1961年頃~
宜保 愛子さんは、
1961年(昭和36年)のテレビ出演を期に、
人気が高まり、多くの講演会を行うようになります。
1970年代中頃から、
心霊研究家の放送作家新倉イワオさんと共に、
日本テレビの『あなたの知らない世界』へ出演し、
「稀代の霊能者」として取り上げられ一躍注目の人になりました。
また女性週刊誌『女性自身』の有名人との対談連載などによって、
1980年代後半に話題となりました。
芸能人のみならず多くの文化人とも霊視対談を行っています。
1990年代に入ってから、
彼女の霊能をテーマとした多くの特番が組まれ、
著書がベストセラーにもなっています。
しかし1993年(平成5年)には、
その霊能力を疑問視する物理学者の大槻義彦さんや
女性誌から批判も浴びました。
1995年(平成7年)のオウム真理教の事件の後、
オカルト的な放送をすることに批判が高まる中で出演回数は低下し、
約5年間テレビ界から遠ざかりました。
2001年から2003年までフジテレビ・『力の限りゴーゴゴー!!』のコーナーに出演。
話題となった「力合わせてゴーゴゴー宜保スペシャル強力版」が
最後のテレビ出演となっています。
胃がんで死去
2003年5月6日、宜保 愛子さんは、胃癌のため死去しました。
享年71歳でした。
霊能力に関して批判していた大槻義彦さんは、
霊感商法等により露骨な金儲けを行うような事は一切なかったところは評価できる。私は彼女の霊的現象について疑義を持って、いろいろと批判、検証はしたが、彼女の人間性や人柄までは否定するつもりは一切なかった。
と追悼の言を述べています。
霊視・霊能とは別に、
宜保さんの人間性を評価する関係者も多かったといいます。
宜保愛子は本物?予言は夏目漱石の本のパクリ?
宜保愛子さんの、その能力について、
懐疑的な噂も常につきまとっていました。
その代表的なエピソードが、1993年、
日本テレビで放映された『新たなる挑戦II』です。
宜保愛子さんは、ロンドン塔におもむき、ブラディ・タワーの最上階で、
天蓋つきのベッドに座った2人の男児を霊視しています。
これが、下に記したエドワードとリチャードの2人だったとされます。
ロンドン塔の子どもの幽霊の話
15世紀、12歳で王位についたエドワード5世。
叔父によって王位を簒奪され、弟のリチャードとともにロンドン塔に幽閉されて、いつのまにか行方不明になってしまいました。(恐らく殺されたのでしょう)
事実、17世紀の塔の改修時、木箱に入った子どもと考えられる遺骨が発見されています。この2人とみられる子どもの幽霊の話が、ロンドン塔にはあります。
しかし、
2人の子どもが幽閉された当時には、その階はありませんでした。
そこは、後年に増築された場所だったんです。
さらに、宜保愛子さんの霊視内容は、
夏目漱石がイギリス留学時の体験をもとに書いた小説、
『倫敦塔』の描写に酷似していることが指摘されています。
漱石の作品のその部分を引用すると、
「石壁の横には、大きな寝台が横わる。この寝台の端に二人の小児が見えて来た。一人は十三・四、一人は十歳くらいと思われる。幼なき方は床に腰をかけて、寝台の柱に半ば身を倚たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の肱を、傾けたる顔と共に前に出して年嵩なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、そのあけてある頁の上に右の手を置く。象牙を揉んで柔かにしたるごとく美しい手である。」
『倫敦塔』より
といった感じなのですが、そもそも、
この漱石の描写は、フランスの画家、ポール・ドラローシュの
「塔の中の王子」という絵画から影響を受けていると言われています。
ただし、漱石が盗作しているということではなく、
絵画をモチーフに小説化したということだそうです。
宜保愛子の予言でコロナや地震や戦争は言い当てた?
宜保愛子さんは多くの予知や予言をし、
多くの芸能人や視聴者を驚愕させました。
生前、宜保愛子さんは、日本の未来を予言し、
いくつかは的中させてもいます。
宜保愛子の予言① 東日本大震災
宜保愛子さんは、
「将来、日本の東日本で大きな自然災害が起こる。その災害で3万人が無くなるが、その後の復興は立派に成し遂げる」
と予言しています。
その後、実際に2011年に東日本大震災が起こりました。
しかし、宜保愛子さんは 「津波」の事は一言も言っていません。
宜保愛子の予言② 新型コロナウイルス
宜保愛子さんは、
(ノストラダムスの大予言の)人類滅亡の大予言は起きないが、その後、全世界を巻き込んで、先に死んだ人を羨むほどの困難が待ち構えている
と、予言しています。
この全世界を巻き込んだ困難というのは、もしかするとコロナの事でしょうか。
宜保愛子さんの弟子だった下ヨシ子さんなどの霊能力者は、
この時の宜保愛子さんの予言について、
今思うとコロナのことだったのかもしれない
と語っています。
宜保愛子の予言③ 核戦争
宜保愛子さんが当時予言した日本の未来の中には、
核戦争も含まれていました。
この予言は、幸いにも外れています。
その核戦争の予言とは、
1996年に世界中で核戦争おきる。日本も巻き込まれてしまい、日本は放射線の影響で普通に外を歩くことができなくなり、生き残った人は防護服とガスマスクをして地上を歩いている。
というものでした。
地震とコロナの予言は、後からの”こじ付けた感”も否めませんが、
戦争については外れています。
と言うか、外れてよかったのですが….。
まとめ
今回は霊能者・宜保愛子さんにスポットをあて、
- 宜保愛子は何者?プロフィールは?
- 宜保愛子の予言は夏目漱石の本のパクリ?
- 宜保愛子の予言でコロナや地震や戦争は言い当てた?
以上3つのテーマについて調べてみました。
如何だったでしょうか?
当時から、宜保愛子さんの霊的能力についての真贋は論議されていましたが、完ぺきではなかったようですね。
当たる時もあれば、外れる時もあるといった感じでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。