通称「デヴィ夫人」はインドネシアのスカルノ元大統領第3夫人で、
国籍も「インドネシア」になっています。
もともとは日本人で、
日本名は「根本 七保子(ねもと なおこ)」さんでした。
今回は、デヴィ夫人の家族の話です。
このページでは、
「デヴィ夫人の兄弟は弟1人!大学は早稲田?」
「弟の死因は自殺で原因は?」
「両親(父母)はどんな人?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
デヴィ夫人の兄弟は弟1人!大学は早稲田?
デヴィ夫人の兄弟は弟1人!大学は早稲田?
デヴィ夫人の兄弟は弟1人です。
大学は早稲田だったという話は、
自殺についての言及とともに明かされています。
文章で確認できるものとしては、
「日経xwoman」の企画記事の中にありました。
弟の名前は、「根本 八曾男(ねもと やそお)」さん。
学生服姿の顔画像は、
2018年9月17日放送の「ファミリーヒストリー」で公開されていました。
早稲田についてのエピソードは、
デヴィ夫人の関連記事では見つかりません。
デヴィ夫人のプロフィール
【デヴィ夫人のプロフィール】
- 名前:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)
- 日本名(旧名):根本 七保子(ねもと なおこ)
- 生年月日:1940年2月6日(2023年4月現在 – 83歳)
- 出生地:東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)
- 国籍:インドネシア(結婚をきっかけに日本国籍は除籍)
【デヴィ夫人の身分・立場】
- インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人。
- NPO法人アースエイドソサエティ総裁。
- 株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。
スカルノ大統領と正式に結婚したのは、1962年(昭和37年)です。
4人の夫人のうちの第3夫人になりました。
インドネシア政変後の1967年には、パリに亡命。
社交界で「東洋の真珠」と呼ばれるようになります。
1970年代に、日本でグラビアの仕事をしていました。
1980年に、インドネシアへ戻ります。
1990年にニューヨークに移住して、国連環境計画の特別顧問として活躍。
日本の芸能界でインパクトを残すようになったのは、2000年以降です。
デヴィ夫人の弟の死因は自殺で原因はマスコミ??
デヴィ夫人の弟の死因は自殺
デヴィ夫人の弟が自殺していることは、
ネット上で閲覧できる(雑誌のWEB版)インタビュー記事や、
自伝的な書籍でも、
デヴィ夫人の言葉として伝えられています。
そのためネット上では、
「弟は自殺している」の部分だけが拡散され、
自殺の手段と原因についてはデマに変換されているケースも少なくありません。
「ガス自殺」だったと明確に言葉にしているものは、
『美ST ONLINE』のインタビュー記事にありました。
ネット上では、
2022年10月9日に配信されています。
その「ガス自殺」と記載されている部分を抜粋すると、
次のような感じです。
『美ST ONLINE』のインタビュー記事には、
- インドネシアに渡った2年後に母が亡くなり…
- その2日後に弟がガス自殺
と時期についてデヴィ夫人が語る言葉があります。
弟の自殺の原因はマスコミ?
マスコミの影響によって亡くなったのは、
母親のほうのようです。
弟については、
詐欺の被害が原因でガス自殺をはかったというのが情報としては濃厚。
有力な情報元としては、
『組織づくりLABO』代表の川野智己氏の記事がありました。
それは、
” 炎上しても人生を謳歌…デヴィ夫人にならう「他人の目を気にしない」生き方 “
と題して「bizSPA!フレッシュ(ビズスパ)」に投稿されたものです。
マスコミのバッシングについて川野智己氏は、
次のように書いています。
当時のマスコミは
- 「大統領と引き合わせた貿易会社と結託して、不当に金儲けしている」
- 「前の愛人である日本人女性を自殺に追いやり、自分が居座っている」
とウソの内容でデヴィ夫人を追い詰めたようです。
マスコミ報道の母親への影響と弟の自殺については、
次のような文章になっています。
母親は……直後の心ない報道で母は心を病み亡くなり、
弟は……大統領の資産目当ての詐欺に騙されていた弟は自殺してしまった。
デヴィ夫人が母と弟のために貯めていたお金を騙し取られたことについて、
弟は悩んでいたそうです
その後の話として、
スハルト大統領から贈られた5.6ヘクタールの家に、
弟の名から「Wisma Yasoo(ヤソオ宮殿)」と命名したというエピソードがあります。
現在は、サトリア・マンダラ軍事博物館。
デヴィ夫人の両親(父母)はどんな人?
デヴィ夫人の父親
デヴィ夫人の父親の名前は「根本兵七郎」さん。
東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)で、
大工の棟梁(とうりょう)をしていました。
2018年2月17日放送の「サワコの朝」で語ったエピソードの中に、
デヴィ夫人の父親の話が出ています。
こちらの記事では、
「義侠心の強い人で、お金がない人のお家ばかり建てていて、
うちが貧乏だった」
とデヴィ夫人の父親の様子が取り上げられていました。
見出しになっている「極貧の少女時代(戦中から戦後の生活)」については、
「食べる物がなくて、
線路のところに生えている食べられそうな草をおうちに持って帰って、
お雑炊の具にした」
とデヴィ夫人は告白しています。
こちらは、
2018年9月17日放送の「ファミリーヒストリー」で公開された父親の画像です。
「ファミリーヒストリー」では
デヴィ夫人も知らないことも含めて「根本家」のルーツが明らかにされています。
デヴィ夫人の実家である根本家は、大きな船を持つ漁師。
番組の取材でわかったのは、元(ルーツ)は有力な武士。
関ヶ原の戦いの後、漁師になった。
父親の「兵七郎」さんの代で東京西麻布に移り住み、
「政子」さん(デヴィ夫人の母親)と出会った。
などでした。
デヴィ夫人の母親
デヴィ夫人の母親の名前は「根本政子」さん。
顔画像は、
2018年9月17日放送の「ファミリーヒストリー」で公開されています。
母親の話も、
2018年2月17日放送の「サワコの朝」でデヴィ夫人から明かされていました。
振り返っていたエピソードは、
「空襲警報が鳴る中で、
母親が(デヴィ夫人の)弟を背負って、私(デヴィ夫人)の手を引いて逃げた」
と戦時中の様子。
子供連れだったので逃げ足が遅かったことによって、
村人たちに「お前たちのせいで、竹藪(隠れ場所)が見つかったらどうするんだ」と、
母親が殴られそうになったという悲しいも話もありました。
まとめ
デヴィ夫人の弟はガス自殺。
原因は、「大統領の資産目当ての詐欺に騙された」ことでした。