有名芸能人の自宅は都内一等地や
海外で豪邸に住んでいるなど様々ですが、
元プロレスラーの赤井英和さんの自宅の場所が
成城6丁目にあるとの噂ですが、本当でしょうか?
しかも間取りは14LDKの大豪邸らしいのです!
今回は赤井英和さんの自宅の場所は成城6丁目なのか、
間取り14LDKの大豪邸もご紹介します。
目次
赤井英和の自宅(家)の場所は成城6丁目?
赤井英和さんと言えば元プロレスラーであり、
現在はタレントとして活躍されています。
よくモノマネ芸人が赤井英和さんが出演している
引っ越しのCMでのワンシーンを真似したりされるので、
引っ越しのCMの印象が最近は強いかと思います。
赤井英和さんは現在何をされているのか、
自宅は成城6丁目にあるのかをまずはご紹介します。
赤井英和のプロフィール
- 名前:赤井英和
- 生年月日:1959年8月17日
- 身長:178cm
- 血液型:A型
- 出身:大阪府
- 所属:ランニングメイ
大阪の西成では中高と喧嘩が一番強い人として
未成年の頃から有名だった赤井英和さん。
高校に入学してからボクシング部に入り頭角を現します。
プロデビューしてから12試合ノックアウト勝ちという
当時では凄い日本記録も持っていて浪速のロッキーとも言われています。
しかし1985年2月5日の試合で、
急性硬膜下血腫、脳挫傷になり重篤な状態で搬送、
手術は無事成功したもの医師から引退をするよう宣告され引退をしました。
そこからはお世話になった大学でボクシングの指導に回っていましたが、
1988年に映画に出演が決まり、そこから俳優へと転身します。
その後は様々なドラマや映画に引っ張りだこですが、
大阪では「バラエティータレント」、
東京では「俳優」として活躍されています。
前妻との間に子が二人(二人とも娘)、
再婚相手との間に子が5人(男2,女3(双子))人いました。
しかし女の子の双である「ももこちゃん」はわずか3日、
「さくらこちゃん」は生まれつきの「脳軟化症」という病気により、
闘病の末7ヵ月で亡くなった。
子だくさんであり、双子がは未熟児のため
早くにこの世を去ってしまうという辛い過去があるからこそ
人に優しい人なんだと思います。
関東と大阪では仕事の顔が違うので、二つの顔が楽しめますね。
赤井英和の自宅は成城6丁目?
赤井英和さんはプロボクサー時代から様々な功績を収めているので、
賞金やギャラですごいう稼いでいると思います。
そのため芸能人がかなり住んでいる街の一つ、
東東京都世田谷区に家があるのではないかと言われています。
この情報は本物なのか調査しました!
調査した結果、住所は6丁目ではなく、成城3丁目でした!
こちらの建物にピンをおいて、ストリートビューでみると、
外観が一致します。
赤井英和さんの自宅があったのですが、
大豪邸であるため値段は1億位するのかなと思いきや、
8億円の豪邸でした!
8億円の家って想像がつきませんよね。
だいたい4000万円のマンション買いましたって言う有名人ですら、
35年以上のローンで購入しています。
8億となると毎月のローン返済はいくらになるのか想像がつきません・・・
そして都内にそんな大豪邸を建てられる敷地があるんですね。
赤井英和の自宅(家)は間取りが14LDKの大豪邸!
8億円の大豪邸に住んでいる赤井英和さんですが、
自宅の間取りは14LDK というとんでもない広さのご自宅らしいのです。
そんな広さと部屋数があると内装はどうなっているのか気になるところです。
赤井英和さんの自宅の内装について詳しく見ていきましょう。
14LDKの大豪邸の中を公開
まずは敷地内に入るとあるのが何故かある神社です。
これは家を購入した際に元々あったそうで、
取り壊して何か縁起の悪いことが起きても困るので、
宮司さんを呼んで改修したそうです。
次に目につくのが玄関です。
太陽の光がたくさん入る玄関には様々な楽器が飾ってあります。
日本ではあまり見かけない楽器もあるので、
旅行などのお土産で買って飾っているみたいです。
太鼓は赤井英和さんが家族を起こすために使用しているそうなのですが、
目覚ましようにしてはすごい音が外まで響きそうですね。
次はジムです。
元々は物置として使用されていたスペースは
赤井英和さんの息子がプロボクサーを目指していたため、
500万かけて簡易的なジムに改装しました。
更にリビングは24帖ほどあるそうで広々としており、
友人を招いてパーティなんかもできるほどの広々空間です。
広々とした窓から見える景色は
同じ高さに建物がないということもあり見渡しやすいですね。
映画やドラマでの撮影スタジオなんかにも使えそうなこの空間は
観葉植物も沢山あり空気もきれいになりそうです。
最後に和室です。
客間は和室になっており、
掛け軸などもこだわりがあるとっておきの部屋となっていました。
これは赤井英和さんのこだわりが詰まっていそうです。
成城3丁目に家を建てた理由と8億円の費用について
赤井英和さんは奥様と一緒に内見に訪れたのですが、
建売住宅か中古物件だったようで敷地雑草が生い茂っていたり、
腰の高さまでゴミがありました。
しかし二人は直感で「ここがいいよね」と決めたそうです。
そしてリフォーム工事をするのですが、
その費用が予想していた金額よりも高くついたそうです。
庭の生い茂る雑草を刈ったり神社の宮司を呼ぶ、
絨毯だった部屋を全面フローリングにしたり、
セキュリティ対策等の様々なリフォームを行います。
その結果8億円も掛かった大豪邸になってしまったそうです。
建物が広いと年間のセキュリティも
24時間体制で相当なお金がかかりますし、
Wi-Fiやフローリング、畳や大理石なども高そうです。
それでもこだわりぬいた家にしたかったようです。
赤井英和の実家は大阪の飛田新地にある?
赤井英和さんは大阪府西成区の
通称あいりん地区と呼ばれる場所の出身であり、
「日本のスラム街」とも言われるほど治安が悪い街です。
そんな地域で生まれ育ったのですが、
実家は飛田新地の遊郭であるという話を耳にしました。
実際に赤井英和さんの実家は飛田新地なのか
インタビューに答えていたことがあるのでご紹介します。
実家は飛田新地
赤井英和さんは2021年に上西雄大監督の
映画「ねばぎば新世界」という映画に出演されています。
その際に飛田新地の遊郭前で撮影が行われているのですが、
本来であればテレビ撮影、女性と歩く行為、携帯で撮影も一切禁止の場所です。
しかし、赤井英和さんの実家で撮影が行われていたと話していました。
本作には飛田新地でのシーンがある。通常、撮影自体がNGの場所であるが、赤井さんは「徳永武君が隠れていた場所は私の実家なんですよ。飛田の遊郭にカメラが入るのはNGなんですが、私の実家の前で撮っていますので。『どついたるねん』も私の実家で撮っています」と打ち明けた
引用:CineBoze
この映画を見て昭和の懐かしさを楽しんでいただきたい、
若者には今と昔を比べて欲しいなど様々な思いが込められています。
その為、大阪と言えば、
飛田新地というこの伝統的な場所で撮影を行っていたので、
赤井英和さんの権力は凄いです。
画像はご実家の写真ではないのすが、
飛田新地は夜になるとピンクのネオンに照らされて
すごく幻想的な雰囲気を味わえます。
赤井英和さんの実家を見てみたい方は
是非映画をご覧になっていただくと、
どこのシーンで使用されていたか分かると思います。
まとめ
いかがでしたか?
赤井英和さんの自宅は成城3丁目にあり、なんと8億円の豪邸で間取りも14部屋あり、リフォームに相当な時間とお金をかけていることが分かります。
実家は飛田新地の遊郭であるとこも判明し、赤井英和さんは昔から大阪のディープな街を見て育ってきたことが分かりました。