草笛光子さんは、
1950年に松竹歌劇団(SKD)に5期生として入団して以来のエンターテイナー。
今回は、草笛光子さんの元夫の話です。
このページでは、
「草笛光子の元夫は芥川龍之介の子供!」
「離婚理由は女性関係と嫁姑問題?」
「草笛光子に子供はいる?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
草笛光子の元夫は芥川龍之介の子供!
草笛光子の元夫は芥川龍之介の子供!
「草笛光子の元夫は芥川龍之介の子供!については、
草笛光子さんからも公表されています。
2018年8月10日放送の「ぴったんこカン・カン」に出演したときには、
「58年前の結婚」として振り返っていました。
その様子を取り上げたネットニュース記事には明確に、
「作家・芥川龍之介氏の三男で作曲家の芥川也寸志氏と結婚」と出てきます。
結婚していた時期については、
草笛光子さんのWikipediaでも、芥川也寸志さんのWikipediaでも、
「1960年~1962年」となっています。
初婚だったようですが、
芥川也寸志さんにとっては2回目の結婚でした。
草笛光子の元夫のプロフィール
ここからは、
芥川也寸志さんのプロフィールと経歴をチェックしていきます。
はじめに、若い頃の顔画像。
2018年に出版された「日本の音楽家を知るシリーズ」の表紙の画像は、
こんな感じです。
【芥川也寸志さんのプロフィール】
- 名前:芥川 也寸志(あくたがわ やすし)
- 生年月日: 1925年7月12日
- 出生地:東京府東京市滝野川区(現:東京都北区)
- 没年月日:1989年1月31日(63歳没)
- 学歴:東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)、東京高等師範附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)、東京音楽学校
- 活動・職業:作曲家、指揮者。JASRAC元理事長
芥川也寸志さんは、大正14年に作家・芥川龍之介氏の三男として東京に誕生。
2歳のときには、
父親を亡なくすことになります。
1927年に芥川龍之介氏は35歳没。
音楽の原体験のエピソードとしては、
「子供の頃に父・芥川龍之介氏が残したレコードを聴いていた」というのがあります。
『婦人生活』1954年5月号には
両親といっしょの画像が掲載されていたそうです。
画像では顔が見えなくなっている赤ちゃんは、
芥川也寸志さんの幼少期。
こちらは画像左から、
長兄・比呂志さん、母・文さん、也寸志さん本人、次兄・多加志さん。
作曲家としては、
管弦楽、声楽曲、合唱曲、劇場作品の音楽、舞台音楽、
童謡、校歌などで数多くの作品を芥川也寸志さんは残しています。
映画音楽では日本アカデミー賞優秀音楽賞作品だけでも、
「八甲田山」「八つ墓村」「日蓮」などの話題作で音楽を担当していました。
草笛光子と元夫の離婚理由は女性関係と嫁姑問題?
草笛光子さんと元夫・芥川也寸志さんの離婚理由は、
一部の話として「女性関係と嫁姑問題」と言われています。
どのようなことがあったのか、
噂も含めて、草笛光子さんの結婚生活について調べてみました。
草笛光子の元夫にはストーカーもいた?
芥川也寸志さんの女性関係については、
本人が派手に遊んでいたということではないようです。
芥川也寸志さんを追いかける女性が絶えなったのは、
芥川龍之介氏の息子であること、イケメンであること、
経済力があったこと、音楽家としても才能があったことがあげられています。
ストーカー化した女性に芥川也寸志さんがハッキリと断ったところ、
その女性が自ら命を絶ったという話もあるほどです。
しかし、
草笛光子さんとの離婚につながる「女性関係」は見つかりませんでした。
嫁姑問題?
「離婚の原因が嫁姑問題説」については、
真相は不明です。
草笛光子さんがインタビューで言葉にしているのは、
16歳で結婚した母親の話。
若くして嫁いだ(草笛光子さんの)母親は、
「お姑さんで苦労したようです」と婦人画報の記事でも語っていました。
また、
草笛光子さんが結婚したのは、
芥川也寸志さんの母親からの頼みだったというエピソードもあります。
草笛光子さんと芥川也寸志さんは交際中で、
也寸志さんの母親は楽屋に訪ねてきて、
「『光子ちゃん。あなたもこんなにいい舞台をやれたんだから、
もう(お嫁に)来て下さってもいいんじゃない』
と言ったそうです。
「ぴったんこカンカン」のトークでは、
私もホロってしてしまって、
これはバブちゃん(姑のニックネーム)のために、
1回は(お嫁に)行かないといけないかなと思った。
と振り返っていました。
「嫁姑問題で離婚」ではなさそうですね。
連れ子を愛せなかった?
芥川也寸志さんには3回の結婚歴があり、
草笛光子さんは2回目の結婚の相手でした。
芥川也寸志さんの1回目の結婚相手は、
当時は前衛的な存在となる女性画家の山田(旧姓)紗織さんです。
作風は、
ピカソやジョアン・ミロ、斎藤義重や岡本太郎などの影響を受けたような感じでした。
芥川也寸志さんと紗織さんには女の子が2人誕生。
娘さんたちは連れ子となってたのですが、
再婚で母となった草笛光子さんとは打ち解けなかったということでした。
草笛光子さんのインタビューでは、
そのような話は出てきません。
生い立ちの傷を癒すことができなかった?
草笛光子さんは、
芥川也寸志さんと結婚したとき、
幸せな生活のはずなのに彼は常に孤独を抱えていた。
と話しています。
音楽家としても多忙で、
2歳で父親を亡くしている芥川也寸志さん。
人気女優だった草笛光子さんは、
支えることはできないと思ったのかもしれません。
「ストーカー化した女性が自ら命を絶った話」と、
「芥川也寸志さんが草笛光子さんの芸能活動を気に入らなかった話」は、
日本経済新聞の有料記事に出ているようです。
草笛光子に子供はいる?
草笛光子さんに子供はいるかどうかを調べてみましたが、
再婚した情報もなく、
出産や育児の話は見つかりませんでした。
草笛光子さんの家族で話題に出てくるのは、
17歳で光子さんを産んだ母親、妹である女優の冨田恵子さんの他に、
弟に気学師(占い師)の富田直幹さんがいることは公表されています。
草笛光子さんが芸能生活ひと筋だったことは、
母親がマネージャーとして支えてくれた話で想像できることです。
いくつもある親子のエピソードの中に、
草笛光子さんは再婚していないんだなぁと感じられるものがありました。
印象的なのは、
ある仕事をやり終えたときの草笛光子さんの言葉と母親の返答。
「この仕事は私の恋人だったの」
「この恋人と別れるんだったら、死んだほうがましだわ」
そう言った草笛光子さんに、
母親は次のように返したそうです。
「あなたの気持ちはよくわかる」
「この仕事は命がけだったから」
「でもね、あなたが死んだら喜ぶ人がいっぱいいるのよ」
「あなたの役を待ってる女優さんがいっぱいいるのよ」
草笛光子さんは再婚は考えずに、
芸能生活に邁進してきたようですね。
【草笛光子さんのプロフィール】
- 名前:草笛 光子(くさぶえ みつこ)
- 本名:栗田 光子(くりた みつこ)
- 出生姓:富田
- 生年月日:1933年10月22日(2023年2月現在-89歳)
- 出身地:神奈川県横浜市神奈川区
- 所属事務所:「草琇舎」「オスカープロモーションと業務提携」
富田姓から栗田姓になった理由は、
母方の長男が戦死したことにより、母方の跡継ぎがいなくなったからです。
草笛さんが戸籍上で母親の実家の養女にることによって、
母方の家を継いだ形になっています。
まとめ
「80代って自由で面白いわよ」と言っていた草笛光子さんは、
もうすぐ90歳の年齢を迎えます。
まだまだ、
表現者として元気な姿を見せてくれそうです。