矢井田瞳さんは、
『my sweet darlin’』でブレイクしたミュージシャンです。
今回は、矢井田瞳さんの旦那の話。
このページでは、
「矢井田瞳の旦那は気仙沼出身?仕事は音響関係?」
「馴れ初めは?」
「子供は何人?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
矢井田瞳の旦那は気仙沼出身?仕事は音響関係?
矢井田瞳のプロフィール
【矢井田瞳さんのプロフィール】
- 名前:矢井田 瞳(やいだ ひとみ)
- 生年月日:1978年7月28日(2022年8月現在-44歳)
- 出身地:大阪府豊中市
- 学歴:大阪府立箕面高等学校⇒関西大学文学部・卒業
- 現在の所属事務所:株式会社シーエスミュージック
【矢井田瞳さんのデビュー当時】
- 初めてギターを購入したのは、矢井田瞳さんが19歳のとき。
- 2000年5月3日、関西地区限定でインディーズデビュー(曲は『Howling』)。
- 2000年7月12日、『B’coz I Love You』でメジャーデビュー。同時に、イギリスでもインディーレーベルと契約。
- 2000年10月25日、ファーストアルバム『daiya-monde』リリース。
- 『daiya-monde』の先行シングル『my sweet darlin’』のヒットで矢井田瞳さんはブレイク。
矢井田瞳の旦那は気仙沼出身?仕事は音響関係?
矢井田瞳さんと結婚した男性について、
ネット上には、
「矢井田瞳の旦那は気仙沼出身?」「仕事は音響関係?」と探る様子があります。
矢井田瞳さん本人は、
当時の公式サイトで結婚を発表していました。
それを取り上げたのは、
2007年7月28日配信の『音楽ナタリー』の記事。
矢井田瞳さんの言葉を引用するような形で、
相手は、音響の仕事をしている1つ年上の男性で、
東北出身の温かい人とのこと。
とだけ伝えています。
これによって矢井田瞳さんの結婚相手は、
「音響の仕事をしている1つ年上の男性」であることは確定。
それでは、「気仙沼出身?」についてはどうでしょうか?
ネット情報をチェックしていると、
現在は閉鎖されている矢井田瞳さんのブログに、
「『気仙沼は第二の故郷』と書いてあった」という見解が見られます。
今でも「気仙沼」が出てくるのは、
Instagramの投稿とTwitterの投稿。
2019年2月13日のInstagramの投稿には、
『気仙沼の海藻、おいしい』とコメントしてありました。
Twitter投稿は、2020年3月23日。
岩井崎の「龍の松」は有名な観光スポットなので、
お気に入りの旅行先なのかもしれません。
しかしながら、
「何度会っても」とも書いてあるので、
旦那さんの出身地は近い場所という可能性はありますね。
矢井田瞳と旦那の馴れ初めは?
矢井田瞳と旦那の馴れ初めは?
馴れ初めっぽいことについて、
矢井田瞳さんは、
「友達として出会った」と言っているようです。
驚きなのは、
「音響の仕事をしている1つ年上の男性」なのに、
「一緒に仕事をしたことはない」という点。
「(ORICON NEWS)ORICON MUSIC」の配信記事では、
次のように伝えています。
ここで気になるポイントがもう1つ。
「プライベートな事なので会社名も控えさせて頂きます」と、
所属事務所が伝えていること。
相手の男性は、会社員のようですね。
当時の日記の画面は、
画像の形で見つけることができました。
一緒に仕事をしたことのある男性なら、
サポートメンバーやライブスタッフ、レコーディングスタッフから、
候補となるような名前は出てきそうですよね。
そういった憶測が飛び交うのを避けるために、
「一緒に仕事をしたことはありません」とハッキリさせておいたのかもしれません。
結婚前の活動
矢井田瞳さんが結婚を発表したのは、2007年7月28日。
その直前に、
何か変化があったのかを調べてみました。
2005年10月に東芝EMIとの契約を終了した矢井田瞳さんは、
再びインディーズレーベル「青空レコード」での活動に移行しています。
これは、
メジャーでの活動は辞めたということです。
ネット上の情報によると、
セールスを意識して継続的に曲のリリースを求められる方針とは、
矢井田瞳さんは考えが合わなかったようだとされていました。
2005年のライブジャケットは、
インディーズレーベル「青空レコード」で作られたもの。
矢井田瞳さんはライブ中心の音楽活動に入って、
目だった情報が一般的には届かなかったため、
一部では「引退説」が流れるようになります。
以上の様子から、
矢井田瞳さんが結婚相手に出会った時期は、
メジャーな活動を展開していないころなので、
心境の上では自分を見つめ直すタイミングだったのではないでしょうか。
矢井田瞳の子供は何人?
矢井田瞳の子供は何人?
矢井田瞳さんが2009年10月に第1子となる長女を出産したことは、
芸能ニュース等で公表されていました。
それ以降の出産の発表はないので、
矢井田瞳さんの子供は1人だと思われます。
結婚、出産後は活動を休止
2011年に、
矢井田瞳さんは約3年ぶりの復帰ライブを開催。
こちらの配信記事では、
矢井田瞳さんが休んでいた期間を「充電期間」と表現しています。
おそらく、育児に専念していたのでしょう。
子育てのインタビュー
ファッション誌『VERY[ヴェリィ]』の 公式サイトに、
矢井田瞳さんが子育てに関するインタビューを受けている記事が配信されていました。
矢井田瞳さんは、
乳幼児期は在宅でできる仕事を中心にして、
(娘さんが)低学年の頃も昼間で仕事が終わるように調整していたそうです。
育児が楽になったのは、
「お喋りが上手になった4歳くらい」と話しながら、
「会話できてる! 人と喋ってる!」と感動したことも矢井田瞳さんは明かしています。
「手を抜くことに罪悪感を持っていたのも今は懐かしい」と振り返るのは、
「預かるよと声をかけてくれた先輩ママに頼らなかったこと」や、
「フレッシュのために半日保育園を利用しなかったこと」など。
インタビューでは、
「一人で全部頑張ろうとやりすぎたかな」とも言っていました。
エピソード!子供の言葉にショック?
大阪のラジオ番組に出演したきに、
矢井田瞳さんは長女のエピソードをトークしていました。
矢井田瞳さんの長女は、スマホで音楽を聴く世代。
矢井田瞳さんがショックを受けたのは、
『一曲聞かれへん。1番で飽きちゃう…』という長女のセリフでした。
「30秒ぐらいでポンポン」と操作で切り替えるんだろうなと、
矢井田瞳さんはミュージシャンの立場で寂しく思ったそうです。
参考までに、
矢井田瞳さんの長女は2022年の4月で中学生になりました。
まとめ
矢井田瞳さんは、
CDのセールスを伸ばすアーティストをめざすよりも、
地に足のついた活動を展開することを選びました。
充電期間中は、
子育てをがんばっていたようです。