田畑智子さんは、
映画『お引越し』(1993年公開当時は13歳になる前)の
ヒロイン役でデビューした女優。
今回の話題は、田畑智子さんの若い頃と実家です。
このページでは、
「田畑智子の若い頃が可愛い!」
「田畑智子の実家は老舗の料亭で母親は元舞妓?」
「田畑智子は幼少期から舞妓の教育を受けてた?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
田畑智子の若い頃が可愛い!【画像】
田畑智子の若い頃が可愛い!【画像】
田畑智子さんは小学生のときにスカウトされて、
オーディションを受けて、
いきなり映画のヒロインデビューをしています。
ここでは、
「田畑智子の若い頃が可愛い!」を画像でチェックしてみました。
まずは、
デビュー作品の映画『お引越し』から。
高校時代の田畑智子さんだと思われる画像は、こちら。
1997年から2002年に放送されていたミツカン『追いがつおつゆ』CMの一場面。
2000年度放送の朝ドラ『私の青空』。
2014年から2015年放送の井村屋『やわもちアイス つぶあんミルクカップ』のCM。
田畑智子のプロフィール
【田畑智子さんのプロフィール】
- 名前:田畑 智子(たばた ともこ)
- 生年月日:1980年12月26日(2022年8月現在-41歳)
- 出身地:京都府
- 血液型:A型
- 身長:157cm
- 趣味:料理・食べ歩き
- 特技:日舞・三味線
- 現在の所属事務所:「COME TRUE カムトゥルー」
【田畑智子さんの学歴】
- 聖母学院中学高等学校から金光第一高等学校(現・金光大阪高等学校)に転学のちに卒業
- 龍谷大学文学部哲学科中退
【女優としてのトピックス・受賞歴】
『ふがいない僕は空を見た』監督:タナダユキ
- 第27回 高崎映画祭最優秀主演女優賞
- 第67回 毎日映画コンクール女優主演賞
『隠し剣 鬼の爪』監督:山田洋次
- 第59回 毎日映画コンクール助演女優賞
『血と骨』監督:崔洋一
- 第28回 日本アカデミー賞優秀助演女優賞
『お引っ越し』監督:相米慎二
- 第67回 キネマ旬報新人女優賞
- 第48回 スポニチグランプリ新人賞
- 第18回 報知映画賞新人賞
- 第15回 ヨコハマ映画祭最優秀新人賞
- 第8回 高崎映画祭最優秀新人女優賞
田畑智子の実家は料亭「鳥居本」で母親は元舞妓?
田畑智子の実家は料亭「鳥居本」
田畑智子さんの実家は、
京都・祇園の享保年間創業(300年続いている)の老舗料亭「鳥居本」です。
所在地は、京都市東山区祇園町。
外観、(入り口の)格子戸を抜けて石畳を奥へと進むと、
日本庭園があるそうです。
口コミサイトで紹介されている「お部屋の画像」は、
次のような感じでした。
これ(田畑智子の実家は料亭)はもう有名な話で、
2019年2月16日放送の『メレンゲの気持ち』では、
老舗料亭の娘でありながら女優になったきっかけについて、
田畑智子さんが語っていたこともあります。
映画監督の相米慎二さん(代表作に「セーラー服と機関銃」)が関西で、
映画のオーディションを行っていて、
祇園で「この辺に小学校の高学年くらいの女の子はいない?」と探していたそうです。
「鳥居本の娘さん、確かそれ(小学校の高学年)くらい」と聞いた相米慎二監督は、
さっそく「鳥居本」に足を運び、
田畑智子さんの両親に「映画のオーディション」の話をするという展開。
「智子だけ(1つ上の姉がいる)呼ばれてるから行ってきなさい」
そう親に言われて行ったみたら、
相米監督の映画『お引越し』でデビューが決まったそうです。
母親は元舞妓?祖母が芸妓?
はじめに、
「舞妓」と「芸妓」の違いを整理しておきますね。
京都では、見習いの期間が「舞妓」(関東は呼び名が違う)。
近年の京都では、
中学卒業後の15歳ごろから20歳ごろまでは、
(芸妓になるまでの)見習い修行の期間とされています。
このあたりを理解しないまま、
一般の人が情報を拡散しているので、
正確なところは不明です。
「元舞妓」という言い方になると、
「見習い期間で終わった人なのかぁ」と受け取ることができてしまいます。
京都の人からすると、気になるところでしょう。
Wikipediaの情報では、
田畑智子さんは、
「元芸妓の祖母や両親から京都人として厳しく躾られた」と書いてありました。
田畑智子さんが「舞妓はレディ」に出演したときに、
「元舞妓の母に演技に指導を受ける」とニュースにはなっていました。
他のメディアも、
田畑智子さんの言葉として母親は舞妓だったと伝えています。
老舗料亭「鳥居本」での立場は、
田畑智子さんの母親は「女将さん(おかみさん)」です。
「京都のグルメ情報 | DigiStyle京都」で、
次のように紹介されていました。
「食べログ」ユーザーの投稿写真では、
「大将と女将さん」と田畑智子さんの両親の姿を見ることができます。
大将は、「鳥居本」の8代目当主だそうです。
田畑智子は幼少期から舞妓の教育を受けてた?
幼少期から舞妓の教育を受けてた?
習い事は日本舞踊と三味線?
「田畑智子は幼少期から舞妓の教育を受けてた?」について、
インタビューや取材記事を見る限りでは、
直接的な「舞妓になるための教育」をされていたというわけではなさそうです。
日本経済新聞(WEB版)の記事では、
京都の花街で生まれ育ったので、
芸妓だった祖母からは期待されていたようなことを田畑智子さんは明かしています。
姉といっしょに「日本舞踊を習っていた」のは小学校1年生から高校生までで、
「ピアノ教室にも通っていた」という話は、
大学を1年でやめて、
女優に専念するころの記事で田畑智子さんは言葉にしていました。
おそらく「三味線」も習っていただろうとは、
田畑智子さんの公式プロフィールに、
特技として「日舞・三味線」と記載されていることから考えられます。
ちまたのネット情報には、
「英会話も習っていた」「書道も習っていた」
「絵画教室にも行っていった」などの噂もありました。
小学生時代からずっと、
田畑智子さんは遊ぶ時間がなかったという話です。
京都人として厳しく躾(しつけ)られた
「祖母や両親から京都人として厳しく躾られた」については、
次のようなことがWikipediaに記載されています。
- 「トイレは夜間は客人と共用のために短時間で済ませる」
- 「家の中では『京言葉』を使う」
- 「常に正座」
2017年11月1日放送の『今夜くらべてみました』に出演したときには、
「彼氏に食事の食べ方や食べる順番までレクチャーする」と、
田畑智子さんは驚きのエピソードをトークしていました。
両親に紹介するときはダメ出しされないように、
彼氏に「和食の食べる順番」などを教えていたみたいです。
それほど、
田畑智子さんは厳しく育てられてきたのでしょうね。
まとめ
田畑智子さんは、
祇園の享保年間創業の老舗料亭「鳥居本」の娘。
小学生のときにスカウトされてデビューした映画で、5つの新人賞を獲得しました。
それ以来、女優の道を歩んでいます。