長渕剛というジャンルを確立したとまで言われる長渕剛さん。
そのメッセージソングは、まさに魂の叫びです。
今回は、長渕剛さんに大きな影響を与えただろうと思われる結婚の話。
このページでは、
「長渕剛の結婚歴は2回?」「1人目の嫁との馴れ初めから離婚まで」
「現在の嫁との馴れ初めから離婚まで」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
長渕剛の結婚歴は2回?歴代嫁は誰?
長渕剛さんの結婚歴は2回です。
歴代嫁は、
- 石野真子さん(1982年~1983年)
- 志穂美悦子さん(1987年~現在)
上記の2人です。
不倫騒動で清水美沙さんと国生さゆりさんの名前も出てきたり、
冨永愛さんとの関係も疑いを持たれたりしていましたが、
長渕剛さんの結婚したのは石野真子さんと志穂美悦子さんの二人です。
元嫁:石野真子
石野真子さんは、
当時アイドル歌手でした。
- アイドル時代の略歴
- 日本テレビ『スター誕生!』出身。
- 第20回日本レコード大賞新人賞受賞。
- NHK紅白歌合戦出場歴2回。
石野真子さんの出身は、兵庫県芦屋市。
1961年1月31日生まれです。
現在の石野真子さんは、女優業をメインに活動。
近年の話題作の出演では、
「恋はつづくよどこまでも」や「#リモラブ 〜普通の恋は邪道〜 」などがあります。
ちなみに石野真子さんは、
再婚もうまくいきませんでした。
子供はいないようです。
現在の嫁:志穂美悦子
志穂美悦子さんは、
アクション女優として活躍していました。
おもな出演作品
- ボディガード牙シリーズ
- 女必殺拳シリーズ
- 柳生一族の陰謀
- 里見八犬伝
志穂美悦子さんは、岡山県岡山市東区西大寺出身。
1955年10月29日生まれ。
2010年から、
フラワーアクティビストとして活動。
ダニエルオスト氏の内弟子であった前田玲子さん、清水はるみさんに師事して、
東日本大震災の復興に関わる中、
2013年10月「天武忌」での天武天皇御陵への献花にも携わるという経験があります。
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長渕剛と1人目の嫁・石野真子の馴れ初め
長渕剛は石野真子のファンだった
長渕剛さんは、
石野真子さんのファンだったそうです。
その証拠となるエピソードとして、
1978年のライブ(北九州市のライブハウス)で、
「俺は将来、石野真子を嫁さんにする」と言い放ったという話が残っています。
その2年後(1980年)に、有言実行?
『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていた長渕剛さんは、
構成作家だった秋元康さんに、
石野真子さんのゲスト出演のセッティングを依頼したそうです。
この立場を利用したような計画は、
実際に長渕剛さんと石野真子さんの馴れ初めとなっています。
石野真子は結婚のために芸能界を引退
石野真子さんは、
1981年6月に長渕剛さんとの結婚を前提とした交際宣言をします。
その8月末をもって、芸能界からの引退することも表明。
芸能活動引退直後の1981年9月に、
長渕剛さんと石野真子さんが婚約記者会見を行った様子は、
当時のワイドショーが取り上げていました。
石野真子さんはトップアイドルになっていたため、
歌番組では引退セレモニーが用意されます。
1981年8月31日放送の『夜のヒットスタジオ』では、
武田鉄矢さんが『贈る言葉』を歌う中で、
番組出演者が一人ひとり、
石野真子さんに声をかけています。
石野真子さんが坂本九さんとともに司会を務めていた『スター誕生!』では、
最後になった日に「石野真子ヒット・メドレー」のコーナーがあったそうです。
1982年に挙式をした石野真子さんと長渕剛さんでしたが、
1年後の1983年には早くも離婚。
離婚理由はDV?マザコン?週刊誌報道があった?
「長渕剛と石野真子の離婚理由はDV?マザコン?」という説があったので、
調べてみたところ、
その噂が広まった原因は「週刊誌記事」にあったことがわかりました。
ネット上の話では、
石野真子さんが台所で鼻歌を歌っているときに、
長渕剛さんが頬を叩いた。
と暴力についての噂がありました。
その理由としては、
長渕剛さんの母が病気だったことに対して、
『母親が寝込んでいるのが、そんなに嬉しいのか!」というものだったそうです。
その様子は、
石野真子さんと姑の仲が悪い。
長渕剛さんはマザコン。
と週刊誌に書かれていたようで、
そのまま離婚の理由と伝わってしまっています。
長渕剛と現在の嫁・志穂美悦子の馴れ初め~結婚
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出会いはドラマの共演
長渕剛さんと志穂美悦子さんは、
ドラマの共演で出会っています。
それは、
1986年放送の『親子ゲーム』でした。
二人とも元暴走族で、ラーメン屋で同居する恋人どうしの役。
週刊誌の報道では、
ドラマ撮影中に志穂美悦子さんが左手小指の付け根を骨折して、
治療のために病院に向かうとき、
長渕が付き添ったことから親密になった。
と伝えられています。
『親子ゲーム』放送終了後に、
長渕剛さんのマンションから出てくる志穂美悦子さんの姿が報道されるも、
このタイミングでは交際を否定。
1986年には、
さらに長渕剛さんと志穂美悦子さんは、
映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』でも共演。
このときは、
交際を認めるようになっていました。
この映画で長渕剛さんと志穂美悦子さんは、
寅さんの後押しで結婚するカップルを演じています。
入籍会見で「クセのある男なので専業主婦したい」
長渕剛さんと志穂美悦子さんは、1987年8月29日に入籍。
長渕剛さんは、
入籍2日前の8月27日に会見。
「3日前に婚姻届を“出しといてくれ”とスタッフに渡しました」
と伝える程度。
マスコミを嫌った態度で、
長渕剛さんは会見を5分で終了させます。
志穂美悦子さんは、
長渕剛さんの会見の翌日となる8月28日に会見。
「きのうの彼は……悪気じゃないのでどうか誤解しないように」
と言った上で、
「クセのある男なので専業主婦したい」と引退する意向を示したそうです。
ひっそりと挙式
挙式は、
「芸能人としてでなく、普通の人としてひっそり式を挙げたい」と、
志穂美悦子さんが希望しました。
挙式日は、1987年9月17日。
場所は、奈良県天川村の天河大弁財天社。
こちらは、志穂美悦子さんの師匠である千葉真一さんが修行した寺の近くだったそうです。
まとめ
長渕剛さんは、
離婚、大麻での逮捕、不倫騒動などスキャンダルが絶えませんでした。
すべては、
志穂美悦子さんによって乗り越えることができたのでしょうね。