鍵山優真さんは、
まだ10代のフィギュアスケート選手。
今回は、家族の話。
このページでは、
「父親は脳梗塞で半身不随」「両親の離婚はいつ?」
「母親はどんな人?現在音信不通?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
鍵山優真の父親は脳梗塞で半身不随?いつから?
鍵山優真の父親はオリンピック選手で現在はコーチ
鍵山優真選手の父親は、鍵山正和さんです。
顔画像はこちら。
フィギュアスケート選手としては、
- 1992年アルベールビルオリンピック
- 1994年リレハンメルオリンピック
にて、男子シングル日本代表に選ばれています。
イケメンだったと評判の現役時代のパフォーマンスの動画。
父親の鍵山正和さんは、
1994年の世界選手権を最後に現役を引退。
その後の鍵山正和さんは、プロに転向。
コーチとしては、
息子の鍵山優真選手の指導に当たります。
現役引退後の鍵山正和さんの略歴は次の通り。
- 1994~2005:プリンスアイスワールド(ソロ)
- 2005~2010:富山スケートセンター専属インストラクター
- 2011~2016:風越公園アイスアリーナ専属インストラクター
- 2016.4~ 横浜銀行アイスアリーナ専属インストラクター
2022年になってからの親子ツーショットは、こちら。
鍵山優真の父親は脳梗塞で半身不随?いつから?
気づいたらお父さんが病院にいた
2018年6月23日、
鍵山優真選手がジュニアグランプリシリーズ派遣選考会で演技を終えた直後に、
父親の鍵山正和さんは倒れたそうです。
当時、鍵山優真選手は15歳。
そのときの様子について鍵山優真選手は、
「あまり状況が理解できなくて。気づいたらお父さんが病院にいた」
と取材に答えています。
父親の鍵山正和さんは、脳出血で緊急入院。
一命は取り留めたものの、後遺症が残ります。
歩けなくなった鍵山正和さんは現場で指導できなくなり、
鍵山優真選手は、
もう一人のコーチで振付師の佐藤操さんに練習を見てもらうことになります。
それでも鍵山優真選手は、
練習のジャンプ動画を父親の鍵山正和さんにLINEで送り、
アドバイスをもらう日々を送ります。
鍵山優真選手にとって、
父親にコーチをしてもらうことは絶対なのでしょうね。
現在はリハビリをしながら車椅子で同行【画像】
コロナ禍で従来より厳しくなっていた車椅子の使用申請は、
日本スケート連盟が航空各社と交渉したそうです。
鍵山優真は父子家庭育ち!両親の離婚はいつ?理由は?
鍵山優真は父子家庭育ち!両親の離婚はいつ?理由は?
鍵山優真選手の両親が離婚していることがわかる記事はすべて、
さらっと伝えています。
たとえば、「女性自身」のWEB版は次のような感じ。
鍵山優真選手の両親について、
- 両親の離婚はいつ?
- 離婚の理由は?
などの詳細は公表されていないようです。
【幼少期の画像】父親とどんな生活してきた?
鍵山優真選手は横浜生まれ
鍵山優真選手の生年月日は、2003年5月5日。
生まれた場所は、横浜でした。
富山に引っ越し
その後、
父親の鍵山正和さんの職場が富山スケートセンターに変わり、
富山県富山市に引っ越しています。
鍵山正和さんの略歴を参考にすると、
富山県富山市での在住期間は「2005年12月~2010年」です。
鍵山優真選手の年齢に直すと、
2歳7か月から7歳あたり(小学校1年生?)までとなります。
このような情報からすると、
次の画像は富山にいたころのものではないでしょうか。
鍵山優真選手は、
富山にいるころにスケートを始めたそうです。
こちらのインタビューでは、
父親の職場についていって、滑っているうちに楽しくなって、
5歳のときから本格的に習い始めました。
と鍵山優真選手は振り返っています。
ここまでの話の中で、
鍵山優真選手の母親のエピソードは出ていません。
すでに、
両親は離婚していたとも考えられます。
軽井沢に引っ越し
鍵山正和さんの職場が風越公園アイスアリーナに変わり、
2011年には軽井沢に引っ越しています。
鍵山優真選手は、
軽井沢中部小学校に通学。
フィギュアスケートの練習拠点は、
父親の職場である軽井沢の風越公園アイスアリーナでした。
再び、横浜に引っ越し
中学は、横浜市立六角橋中学校。
高校は、通信制の星槎国際高等学校(横浜学習センター)。
鍵山優真選手は、
横浜に戻ったのです。
朝練に行くときは父に起こしてもらっていた
鍵山優真選手のエピソードには、
「朝練に行くときは父に起こしてもらっていた」
というのがあります。
父子家庭であることは間違いないでしょう。
鍵山優真の母親はどんな人?現在音信不通?
鍵山優真の母親はどんな人?
母親はどんな人?
鍵山優真選手の母親については、
あえて表現するなら一行も書かれていません。
SNSによる情報漏れもないです。
ファンかな?業界関係者かな?という感じの人とのツーショットは、
見つかりました。
あとはまったくの憶測で、
「美人スケーターだったのでは?」
という話を展開させている記事がある程度です。
父親の鍵山正和さんが出場したオリンピックは、
「1992年アルベールビル」と「1994年のリレハンメル」。
女子の選手で言えば、伊藤みどりさんの時代です。
佐藤有香さんや井上怜奈さんの名前も出てきます。
3人とも結婚も離婚も経験しているようですが、
パートナーは鍵山正和さんではありません。
仲人を務めたのは佐野稔夫妻
こちらは、フィギュアスケートのレジェンドである佐野稔さん。
その佐野稔さんの話によると、
鍵山優真選手の両親の仲人を務めたのは佐野稔夫妻だったそうです。
そのエピソードは、
「ニューズオプエド」に掲載された『佐野稔の4回転トーク』にも、
次のように書かれていました。
まったくの余談ですが、彼の父親である鍵山正和コーチが結婚する際、しつは私たち夫婦が仲人を務めたのです。その息子さんが、気がついたら「全日本」の表彰台に昇っているのですから…。時が過ぎていくあまりの早さに、嫌になります(笑)。それはともかく、鍵山優真と佐藤駿は今後の日本男子フィギュアを引っ張っていく。それくらいの可能性を持った存在です。何年後かには、‘全日本王者’をめぐるふたりの戦いが、観られるかもしれません。
引用元:https://op-ed.jp/sports/4743
鍵山正和さんにとっては大先輩の佐野稔さんが仲人をするくらいなので、
フィギュアスケート界の仲間たちにも、
祝福された結婚だったのでしょうね。
現在音信不通?姉と弟を母が連れていった説がある
古い報道によっては、
出生地を富山県としているものあれば、長野県としているものもあります。
鍵山優真選手の生い立ちには明確にできない何かがあるのかなと思うほどに、
幼少期の情報が混乱しています。
一般人のブロガーの情報では、
鍵山優真選手には姉と弟がいるという話がありました。
それには続きがあって、
離婚した母親は(鍵山優真選手の)姉と弟だけを連れて行ったと推測されています。
それが真実であれば、
父親の鍵山正和さんのもとには、
スケートをやっていた鍵山優真選手だけを残すことが条件だったのか?と、
そんな信じがたいことも浮上します。
まとめ
鍵山優真選手は、見た目は普通の男の子。
大きなことを成し遂げるような雰囲気はないですよね。
しかしスケートを滑ると、
得意の4回転ジャンプをします。
次世代のエースになる日も遠くはないでしょう。