東京オリンピックでの金メダル獲得は必然だったと思うほど、
圧倒的な演技で世界を魅了した堀米雄斗選手が印象的でした。
全くスケートボードを知らない人も見入ってしまうほど、
堀米雄斗選手に釘付けにさせる不思議な魅了も感じますね。
そこで堀米雄斗選手の父親の職業や経歴について、
父親もスケーターで鬼スパルタなエピソードを紹介していきます。
目次
堀米雄斗の父親の職業はタクシー運転手!
堀米雄斗の父親の職業はタクシー運転手!
堀米雄斗選手の父親はタクシー運転手をしています。
タクシー運転手の仕事をしていたごゴメさんは、3人の息子の学費と雄斗の遠征費を稼ぐために同僚の車を洗うアルバイトを請け負っていた。
毎日新聞 引用
タクシー業界は
コロナ渦の打撃を受けているのは間違いないと思います。
また、タクシー運転手も良い客ばかりではなく、
理不尽な客にも対応しなければいけない
辛い職業だと知人からよく聞きます。
タクシー運転手の仕事の平均年収は約356万円。
日本の平均年収と比較すると低い傾向にあります。
堀米雄斗の実家はお金持ち?
ネット上で堀米雄斗選手の実家がお金持ちとの噂がありますが、
おそらく普通の家庭ではないかと思いますね。
以前は学費や遠征費を稼ぐため、
父親が洗車のアルバイトをしていたそうです。
また、学生時代の堀米雄斗選手は、
靴が破れたらガムテープで補強していました。
現在の活躍からは想像できないエピソードですが、
そんな苦しい過去を経験したからこそ世界一に輝いたと思いますね。
堀米雄斗の父親は元スケーター!実力は?
堀米雄斗の父親も元スケーター!
父親の亮太さんは46歳になった現在も
現役でスケートボードをしていて、
堀米雄斗選手にとって最も身近な師匠になります。
父がスケボーを始めたきっかけ
父・亮太さんも中学1年生の頃にスケートボードを始めていますが、
スケートボードを始めたきかっけは、
仲良くなった友達がスケートボードをしていたからです。
それと何気なく流れていたフリースタイルの映像を見て、
自分もスケートボードをしたい気持ちが芽生えたそうです。
当初は亮太さんの父親が買ってきた
2000円くらいのスケートボードを、
渋々ながら使っていたと話していますね。
しかし、亮太さんは
「テストで何位になる」との父親との約束を果たし、
4万円以上のスケートボードをゲットしています。
そして近所の公園でスケートボードが上手い人に混じって技を磨き、
技術と知識を身に付けていったそうです。
高校時代にスケボーをやめた?
中学時代はスケートボードに没頭していた亮太さんですが、
徐々に高校受験などもあり、
スケートボードをやらなくなりました。
スケートボードをやらなくなった亮太さんは、
ヤンチャをしている方が楽しくなってしまったとも話しています。
堀米雄斗の父親のスケボーの実力は?
父・亮太さんは、高校2年生のときに
小西さんというスケーターと出会い、
そのつながりで、
HASCOのサポートライダーの日置哲也さんと出会います。
日置哲也さんのスケートボードは次元の違う滑りで、
圧倒的な技術で華麗に滑る姿に衝撃を受けたそうです。
今までの亮太さんは運動神経と気合だけで滑っていましたが、
日置哲也さんのアドバイスを受け考えて滑るようになります。
あまり大会には出場してこなかった亮太さんですが、
スケートボードの実力は高かったのは間違いありません。
大会に出場すると優勝候補と言われることもあったそうですが、
気合いが入りすぎて空回りすることも多かったそうです。
堀米雄斗の父親があまり大会に出ない理由は?
中学時代からスノーボードをしていた亮太さんですが、
あまり大会には出ていないのも自分なりの信念があったからです。
亮太さんは「スケボーは競うものではない!」との考えから、
あまり大会に出て競うことはしなかったようです。
ただ数少ないながらも大会に出場した経験を取材で話していて、
100人くらい出場した中で5位くらいに入賞したことがあると話していましたね。
スケートボードが好きでも、
現実問題として遠征費など出費も多い中でも、
亮太さんは息子のために全力で稼ぐ姿を想像すると胸が熱くなります。
必至に働く亮太さんの姿を一番身近で見てきたからこそ、
順位よりも自分が楽しく滑ることを第一にしていると思いますね。
堀米雄斗の父親は鬼スパルタコーチ?
父・亮太さんは堀米雄斗選手の鬼スパルタコーチと言われています。
周囲からは「何がなんでも雄斗をプロにする」との評判です。
「カッコつける滑り方をやめろ」
堀米雄斗選手は小学5年生の頃には海外のコンテストに参加し、
常に上位の成績を残す実力を身に付けていました。
大人のスケートボーダーに混じって戦う堀米雄斗選手に、
亮太さんは「変にカッコつける滑り方はやめろ」と指導したそうです。
さらに、
- 自然に滑ること
- きっちり行くこと
- 泣く場面じゃなかったら、そこは泣くな
と指導し、スパルタ指導で堀米雄斗選手を強くさせました。
スパルタ指導の中にも、
「怖かったら無理してやることはない」と指導するなど、
純粋にスノーボードを楽しく滑ることを重要視していますね。
スパルタ指導には理由があった?
スパルタ指導を始めたのは理由があったそうです。
「最初にスケートボードの厳しい部分を教えて、嫌になるならやめちゃえばいいかな」
と思っていたそうです。
あくまで子供のやりたいとの気持ちを優先させています。
堀米雄斗選手は父・亮太さんに
何か言われて泣くこともあっりましたが、
父・亮太さんは「泣くとこじゃねーだろ」と突き放しています。
それでも堀米雄斗選手は負けることなく、
スパルタ指導に耐え、
世界有数のスノーボーダーに成長したのはさすがですね。
堀米雄斗選手もスケートボードが上手くなったのは、
父親のおかげと話していて、
基本を徹底して教えてくれた父親に感謝しています。
誰よりも早く堀米雄斗選手の才能を見抜いたことが、
堀米雄斗選手の活躍する大きなきっかけになったのは言うまでもありません。
まとめ
堀米雄斗選手がアメリカで夢を掴めた大きな要因のひとつに、
間違いなく父親の存在があったのは言うまでもありません。
いかにしてスケートボードを楽しむかを大事にし、
堀米雄斗選手を指導してきた父親がいてこその金メダルだと思います。
精神面でも金銭面でも堀米雄斗選手を支え続けた父親は、
誰よりも強い選手を作り上げた最大の功労者ですね。