歌手・葛城ユキさんはそのハスキーな歌声でデビュー当時から人気のある実力派歌手でした。
しかし、葛城ユキさんのプライベートに関してはあまり知られていません。
葛城ユキさんのプライベートはどんな方なのでしょうか?
また結婚した旦那さんは誰なのか、子供はいるのでしょうか?
今回は葛城ユキさんについて調べてみました。
目次
葛城ユキのwikiプロフィール&経歴
葛城ユキのwikiプロフィール
葛城ユキさんのプロフィールを紹介します。
- 本名:田中小夜子(たなかさよこ)
- 生年月日:1949年5月25日(2021年7月現在72歳)
- 身長:167㎝
- 出身地:岡山県
- 最終学歴:片山女子高等学校(現 倉敷翠松高等学校)卒業
葛城ユキさんは1973年、
第6回ヤマハポピュラーソングコンテストに
「朝霧マチ」名義で出場し、歌唱賞を受賞されています。
翌年には最優秀賞を受賞し、
同年秋に行われた第5回世界歌謡祭で川上賞を受賞したことによって、
一躍注目を集めます。
葛城ユキの経歴
ボヘミアンで大人気に!
デビュー前からその歌唱力に定評があった葛城ユキさんは、
1983年代表曲となつ「ボヘミアン」を発表します。
「ボヘミアン」は現在は引退している歌手・大友裕子さんの楽曲であり、
葛城ユキさんがカバーしたことによって大ヒットした曲です。
その後、2003年にテレビ番組の収録での事故により、
体が全く動けない状態になってしまったため、
引退も覚悟していたそうですが驚異的な回復を見せて、
翌年には復活ライブを行っています。
力強い歌唱力と同時に強い精神力に賞賛する声が上がっていました。
その後も精力的に音楽活動を行っています。
がん発覚
しかし、2021年4月、
歌謡ユニット「夢ステージ春・秋」の平浩二さんが
くも膜下出血にて緊急搬送をされたことをきっかけに、
葛城ユキさんは人間ドッグを受けました。
そしてステージ4原発性腹膜がんを患っていると判明しました。
腹膜がんは、腹膜に発生した悪性腫瘍です。卵巣がんに多い漿液性腺がんという組織型の腫瘍が、卵巣や卵管に原発巣がなく腹腔内にある場合に腹膜がんと診断されます。腹膜がんは、卵巣がんと卵管がんとあわせた総数の約10~20%といわれています。
引用:https://cancer.qlife.jp/clinical-trial/ct_ovary/article6281.html
2021年5月より葛城ユキさんは入院して治療に専念していると言われています。
病気がよくなったら、またあのパワフルな歌声が聞きたいですね。
葛城ユキが結婚した旦那は誰&子供は?
結婚を発覚したのは葛城ユキの入院
葛城ユキさんは1983年に腹膜炎で入院されています。
当時から人気があった葛城ユキさんだったため、
マスコミがこぞって病院へ行ったと言われています。
その時の病室の名前が
葛城ユキさんの本名「田中」ではなかったことから
マスコミが「結婚しているのでは?」と騒いだと言われています。
プライバシーの保護という観点から
病室に名前を上げない病院も多数ある現在から考えると、
少し信じられませんよね。
葛城ユキが結婚した旦那は誰&子供は?
その後、所属事務所より
「4年前(1979年)に結婚した。お相手は一般人のサラリーマン」
とコメントを発表しています。
葛城ユキさん本人は
「この世界の人間じゃないし、言う必要がなかった。別に隠していたわけでもない。」
とコメントしています。
一般人ということもあり、
夫に迷惑をかけたくなかったのかもしれませんね。
迷惑をかけたくないという葛城ユキさんの優しさだと思いますが、
家族に関しては一切公表しておらず、
子供の有無も含めて、情報を明らかにしていません。
テレビ収録で引退危機!乗り越えたのは家族のおかげ?
2003年テレビ番組「とんねるずのみなさんおかげでした」で
葛城ユキさんは「人間大砲」というコーナーの収録で大けがをしています。
高さ3.2mの大砲に見立てた装置で、
そこの大砲からゴム動力で空中を10mも飛びながら
葛城ユキさんがヒット曲のサビ部分を歌うという企画だったそうです。
着地点であるプールにはウレタンが敷きしめられていましたが、
葛城ユキさんは頭から鋭角的に突っ込むような形で落下。
第7胸椎粉砕骨折、第8胸椎脱臼という大けがをし、
背中にチタンの支柱を埋め込む大手術を行いました。
手術は5時間にも及んだといわれています。
当時は体が1mmも動かない状態で、
葛城ユキさんも引退を考えたそうですが、
翌年には復帰しています。
もしかしたら家族の強いサポートがあっての復活だったのかもしれませんね。
葛城ユキの若い頃はバレー選手でスタイル抜群?
葛城ユキの若い頃はスタイル抜群
葛城ユキさんは、高校時代バレー部に所属しており、
アタッカーとして活躍されていました。
当時は国体に出場するほど、期待の選手だったと言われています。
葛城ユキさんの身長は167㎝と言われているので、
当時は高身長でスタイルも良かったのです。
そして、2021年現在も美脚の持ち主です。
葛城ユキの若い頃はバレー選手
葛城ユキさんは国体に出場するほどの実力があったので、
そんな期待の選手を放っておくわけもなく、
葛城ユキさんはバレーボール実業団に声をかけられました。
高校卒業後はバレーボールの実業団として、
声がかかった倉敷紡績に入社しました。
しかし、倉敷紡績では葛城ユキさんの身長は実業団の中では低身長となり、
またネットの高さも学生時代と違って高くなることから、
アタッカーからセッターへの転向を言い渡されたそうです。
これを受けて葛城ユキさんは、
「私はアタッカー。チームの中心にいないと嫌だ。」
と拒否され、入社1か月後で退社しています。
自分の意思をしっかりと持っていたということですが、
なかなか出来ることではないですよね。
葛城ユキさんはその後、
元々音楽をやりたいという夢があり、
家出同然で単身大阪へ向かいます。
そして音楽スクールへ入学され、
持ち前の歌唱力で数々のヒットを生み出しています。
もし葛城ユキさんがそのままアタッカーとして、
倉敷紡績に在籍していたらもしかしたら、
バレーボール選手として活躍されていたのかもしれませんね。
葛城ユキさんが音楽の道へ進んだことによって、
数々のヒット曲が生まれたことになります。
人生、何があるか分かりませんね。
まとめ
葛城ユキさんについてまとめてみました。
- 葛城ユキさんは、岡山県出身で数々の音楽コンクールで優秀な成績を収め、デビューに繋がった。
- 代表作の「ボヘミアン」は元々木本裕子さんというかたが歌っていたが、葛城ユキさんのカバーによって大ヒットした。
- 2021年4月に人間ドッグにてステージ4原発性腹膜がんを患っていると判明。同年5月より入院して治療に専念している。
- 葛城ユキさんは一般人の夫がいる。子供の有無も含めて詳細は明らかにしていない。
- 葛城ユキさんは2003年テレビ番組の収録で大けがをし、体が1mmも動かない状態から復活することが出来た。
- 高校時代はバレー部のアタッカーとして活躍され、国体に出場経験もある。高校卒業後は実業団に入ったが、ポジション変更を拒否し1か月で退社。その後、家出同然で大阪へ移住して音楽の道に進んだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。