細川たかしさんは、
日本レコード大賞最優秀新人賞受賞、
2年連続の日本レコード大賞受賞、
さらに最優秀歌唱賞受賞でレコード大賞で3冠を達成している演歌の大御所です。
今回は、
「細川たかしの嫁が美人!死因や病名は?」や、
「子供は1人で作詞家?」についてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
【画像】細川たかしの嫁が美人!死因や病名は?
細川たかしさんの演歌歌手人生を支えたのは奥様でした。
はじめにお伝えするのは、
表に出ずに影で細川たかしさんを支えていた奥様の話題になります。
【画像】細川たかしの嫁が美人!
画像は、こちら。
細川たかしさんの嫁さんの名前は、「和子」さんです。
2018年11月23日に亡くなられています。
享年70歳。
細川たかしさん(1950年生まれ)の2つ年上になります。
奥様が亡くなられたことを報告したときに細川たかしさんは、
『デビュー前からずっと陰ながら支え続けてくれた妻』
と言っておられました。
細川たかしさんと和子さんが結婚したのは、1974年。
メジャーデビューのために上京することを迷っていた細川たかしさんに対して、
背中を押したのは妻の和子でした。
細川たかしさんは「1年で売れなかったら戻る」と約束して、
妻子を残す形で北海道から上京しています。
デビュー曲の『心のこり』で、
1975年の第17回日本レコード大賞最優秀新人賞に輝き、
細川たかしさんは見事に「1年で売れる」という壁を突破しました。
死因や病名は?
妻の和子さんの死因や病名については、
奥様が亡くなられたときの報告では、
「1年半の入院、闘病の末」
と細川たかしさんは留めていました。
記事の順序的に先行してしまうことになりますが、
息子さんがTwitterで次のように投稿しています。
こちらの投稿内容を抜き出すと、
(和子さんの)死因は、(間質性肺炎の影響による)胸部大動脈瘤破裂。
その4年半前にも、
脳内出血による開頭手術をしていたとのこと。
「大動脈瘤破裂」について調べてみると、
症状がなく気づかれないままに大動脈瘤が大きくなって破裂するので、
緊急手術でしか救命できない場合がほとんどなのだそうです。
細川たかしの子供は1人?職業は作詞家?
今度は、
細川たかしさんの子供の話です。
細川たかしの子供は1人?
メディア上で確認できる範囲では、
細川たかしの子供は1人です。
妻の和子さんの画像に映っている男の子で、
名前は「譲」。
細川たかしさんの本名は細川貴志なので、
息子さんの名前は「細川譲」になりますね。
譲さんの年齢は、45歳か46歳くらいでしょうか。
細川たかしさんと和子さんの結婚は1974年で、
細川たかしさんが上京した1975年には子供がいたということなので、
40代半ばというのは間違いないと思います。
職業は作詞家?
細川たかしさんの子供の職業は、
作詞家です。
先ほども紹介したTwitterアカウントで名前を確認すると、
「柚木由柚」という名前の作詞家さんであることがわかります。
Twitterアカウントのプロフィール欄を確認すると、
「柚木由柚(ゆずきゆゆ)」さんは作詞家で、
もう1つ「小鳥遊鴉美(たかなしあみ)」という名義もあることがわかりました。
「柚木由柚」名義の作品は、
父親の細川たかしさんが歌っています。
「小鳥遊鴉美」名義では、
「大鴉~故郷偲んで~」という作品を細川たかしさんが歌唱。
「柚木由柚」名義で作詞された「北の男歌」は、
細川たかしさんの芸道35周年記念シングルです。
父親として「息子に託す」というか、
親子としてもメモリアルな作品を残したかったのでしょうね。
名義の使い分けのルールみたいなものはわかりませんが、
「大鴉~故郷偲んで~」のリリース(発売)のほうが早いので、
はじめは「小鳥遊鴉美(たかなしあみ)」で、
あとになって「柚木由柚」という作詞家名に変更したのかもしれません。
細川たかしと家族のエピソードは?
細川たかしさんと家族のエピソードについては、
まったくと言っていいほどに語られていません。
プライベートを切り売りするようにネタにして、
バラエティ番組に積極的に出る人ではないので、
細川たかしさんのエピソードトークも見当たらないです。
妻の和子さんには、
「(細川たかしさんに対して)仕事に私情を持ち込んでほしくない」
という思いがあったようですね。
ですから、
わかる範囲で妻の和子さんの話を集めてみました。
妻との馴れ初め
細川たかしさんが和子さんに出会ったときは、
札幌のナイトクラブ歌手でした。
和子さんは、
すすきののナイトクラブで働いていました。
そのころ、細川たかしさんは22歳。
和子さんに一目惚れしたそうです。
和子さんは年下の男性に興味がないことを知って、
細川たかしさんは年齢を偽って近づきます。
まもなくして交際できるようになってから、
細川たかしさんは和子さんと3か月で結婚したそうです。
妻の闘病生活
息子で作詞家の「柚木由柚」さんのTwitter投稿によれば、
亡くなる4年半前も和子さんは、
脳内出血による開頭手術をしていたとあります。
そのころ、
東京の自宅を売却して、
和子さんは札幌に戻って療養に専念したそうです。
細川たかしさんも仕事がないときは札幌に足を運んで、
和子さんと過ごす時間を作っていたとのこと。
親族総出で闘病生活を見守られる中で、
和子さんは他界。
紅白歌合戦を卒業する意向を表明したのは2015年限りということだったので、
細川たかしさんは和子さんのこともあって、
仕事をセーブしていたのかもしれません。
まとめ
細川たかしさんはハワイで仕事(ハワイ日系移民150周年を記念イベント)があったため、
妻の和子さんの最期を看取ることができなかったそうです。
80歳までは現役で歌いたいと言っているのは、
歌手生活を支えてくれた和子さんへの思いもあるのかもしれませんね。