今回は、
音楽一家である森山直太朗さんの家族の話題です。
お伝えするのは、
「森山直太朗の父親のジェームス滝は日本人?」や、
「祖父は日系2世?」などのルーツにまつわる話になります。
どうぞ、ご覧ください。
目次
森山直太朗の家族構成は?
森山直太朗さんの家族構成の話題に入る前に、
母親の森山良子さんには結婚歴も離婚歴も2回あることをお伝えしておきます。
森山直太朗さんの父親は、
森山良子さんの2度目の夫にあたる人です。
それでは、
森山直太朗さんを中心に見た家族構成を見ていきましょう。
- 森山直太朗さんの母:森山良子さん。
- 森山直太朗さんの妻:平井真美子さん。
- 森山直太朗さんの異父姉:森山奈歩さん。
- 森山直太朗さんの異父姉の夫:小木博明さん。
- 森山直太朗さんの父親:ジェームス滝さん。
- 森山直太朗さんの祖父:森山久さん。
- 森山直太朗さんの祖母:浅田陽子さん。
- 森山直太朗さんの親族:かまやつひろしさん、TAROかまやつさん。
以上のすべての人は、
芸能関連の仕事に携わっています。
どのような仕事を持った人たちなのか、
順番に紹介していきますね。
森山良子さんは、シンガーソングライター。
平井真美子さんは、作曲家・ピアニスト。
異父姉の森山奈歩さんはウクレレコーラスデュオ「Petty Booka」元メンバーで、
現在は森山直太朗さんのマネージャーをしています。
森山奈歩さんのInstagramに、
森山良子さんそっくりの顔がアップされていました。
森山奈歩さんの夫・小木博明さんは、お笑い芸人。
ジェームス滝さんは、歌手。
森山久さんは、ジャズトランペッター。
浅田陽子さんは、ジャズシンガー。
かまやつひろしさんは、
ザ・スパイダースやソロ歌手で活躍した昭和歌謡の大スター。
かまやつひろしさんの息子・TAROかまやつさんは、
シンガーソングライターでピアニスト。
このように、
森山家はまさに芸能一家(音楽一家)です。
【顔画像】森山直太朗の父親のジェームス滝は日本人?
【顔画像】森山直太朗の父親のジェームス滝は日本人?
ジェームス滝さんは、
ネット調べでは元グループサウンズのミュージシャンとなっていました。
顔画像を探してみると、
「ジェームス滝」名義のレコードジャケットが見つかりました。
本名は、「相良直嗣」さん。
他に、「滝良二」という名前もあるようです。
国籍は、
本名からの判断で「日本人」としておきますね。
追加情報(本人が日本人と言っている情報がありました)
ジェームス滝さんは、
2008年4月23日にライブを開催していました。
この日は、
森山直太朗さんの32歳の誕生日になります。
ジェームス滝さんが32歳のときに森山直太朗さんが生まれたということで、
特別な思いを込めてライブをやったようです。
このステージのエピソードトークで、
ジェームス滝はキングレコードからデビューでの芸名。
(自分は)生粋の日本人。
と言っていたという話がありました。
ジェームス滝 経歴調べと現在の様子
18歳で、
ナイトクラブのジャズ歌手としてキャリアをスタート。
22歳で、
「横田年昭とリオフラウティスト」にボーカリストとして参加。
このグループのビジュアルとしては、
次のような画像が出てきました。
このあたりまでは、
「滝良二」の名前(おそらく画像前列中央)で活動していたようです。
ソロ歌手としては、
キングレコードよりデビュー。
ここから、
芸名は「ジェームス滝」になります。
その後ジェームス滝さんは、
S&S(シンプル&ソフト)のヴォーカルをしているという情報があったので、
調べてみたら、
さきほどの「2008年4月23日のライブ」のエピソードにたどりつきました。
ジェームス滝さんの生年は、
1943年だと思われます。
ジェームス滝さんが32歳のときに森山直太朗さんが生まれたことをもとに逆算するなら、
2008年4月23日のライブから32年前ということなので。
ジェームス滝さんは、78歳(2021年5月現在)くらいですね。
森山直太朗の祖父は日系2世?
森山直太朗の祖父は日系2世?【顔画像】
森山直太朗の祖父で名前がわかっているのは、
母方の祖父である森山久さん(森山良子さんの父)です。
森山久さんが日系2世であることは、
森山良子さんのプロフィールの中でも紹介されています。
また、
2016年2月5日放送のNHK「ファミリーヒストリー」の森山良子さんの特集でも、
森山久さんの紹介は、
サンフランシスコ生まれの日系2世ジャズトランぺッターとなっていました。
森山直太朗さんの祖父・森山久さんの顔画像は、こちら。
森山直太朗の祖父の生い立ちや経歴
ここからは、
ファミリーヒストリーの情報をもとに、
森山久さんの生い立ちや経歴を追いかけてあります。
出生と没年
森山久さんの出生地は、アメリカ。
明治43年にあたる年に森山久さんは、
サンフランシスコの写真屋に生まれました。
没年月日は、平成2年11月5日。
ルイ・アームストロングの演奏を生で聴く!
森山久さんは、
14歳でホルンを吹き始めます。
その後ルイ・アームストロングの演奏を生で聴いて、
その影響でトランペットに転向。
トランペットは、
パシフィックカレッジで学んだそうです。
昭和9年に日本に渡る
世界大恐慌後の昭和9年に、
森山久さんは仕事を求めて日本に渡ります。
そして、
昼間はコロムビアのスタジオ・ミュージシャンとして働き、
夜はクラブでの演奏という暮らしを得ました。
日本人帰化を受け入れて日本に残る道を選んだ
サンフランシスコで「東京ローズ裁判」のあった「NHK海外局の対英米謀略放送」に、
森山久さんは演奏者として参加。
森山久さんは、
「好きなジャズができるなら」というだけでした。
画像にある「東京ローズ裁判」では、
ディスクジョッキーの女性(日系2世?)が「国家反逆罪」の判決を受けています。
森山久さんについては不明。
太平洋戦争が勃発していたころは、
アメリカに住む日系移民はすべて収容所に入れられていたそうです。
森山久さんはアメリカに戻らず、
日本人帰化を受け入れて日本に残る道を選んだということでした。
まとめ
日系2世の祖父の森山久さんが日本に来ていなかったら、
『ざわわ(さとうきび畑)』を歌う森山良子さんも、
『さくら』を歌う森山直太朗さんも生まれてこなかったんでしょうね。