今回取り上げたのは、
俳優の山田裕貴さんの話題です。
お伝えするのは、
「【顔画像】山田裕貴の父親はプロ野球選手の山田和利?」や
「野球やめて俳優目指した理由は?」になります。
どうぞ、ご覧ください。
目次
【顔画像】山田裕貴の父親はプロ野球選手の山田和利?
山田裕貴さんの父親は、
元プロ野球選手で、
コーチやフロントスタッフも務めている山田和利さんです。
山田裕貴の父親・山田和利【顔画像】
現役時代の山田和利
現役時代の山田和利さんは、
中日ドラゴンズと広島東洋カープでプレーをしていました。
山田和利さんの中日ドラゴンズのユニフォーム姿は、こちら。
山田和利さんの広島東洋カープのユニフォーム姿は、こちら。
俳優(息子)の山田裕貴さんは始球式にオファーされた時に、
中日ドラゴンズのユニフォームに、
父親(山田和利さん)がつけていたことがある背番号30でマウンドに立っていました。
コーチ姿の山田和利
2021年のシーズンの山田和利さんは、
広島東洋カープの「二軍内野守備・走塁コーチ」です。
山田裕貴の父親・山田和利【プロ野球関連の経歴】
1983年、
愛知県の野球の名門校・東邦高校(山田和利さんは甲子園大会には出られなかった)から、
ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。
山田和利さんは足が速く、複数のポジションを守れる選手として、
1988年の中日ドラゴンズリーグ優勝に貢献(このシーズンは88試合に出場)しています。
トレードによって、
1991年から広島東洋カープでプレー。
1995年には、
ケガをしたルイス・メディーナ選手の代わりにレギュラーに定着して、
チーム(広島東洋カープ)の2位躍進に貢献しています。
1996年からは、
再びトレードで中日ドラゴンズに復帰。
その1996年のシーズンに、
山田和利さんはケガのため引退。
現役引退後の山田和利さんは、
コーチやフロント(球団の運営スタッフ)で活躍。
2021年は、
広島東洋カープの「二軍内野守備・走塁コーチ」を務めています。
山田裕貴は中学時代まで野球漬けの日々?
山田裕貴は中学時代まで野球漬けの日々?
山田裕貴さんは学校の野球部ではなく、
リトルシニアで野球をしていたようです。
所属していたのは、名古屋北リトルシニアというチーム。
そのころの山田裕貴さんの画像も、
名古屋北リトルシニアの公式YouTubeチャンネルで見つかりました。
紹介用の写真だと思われる正面からの山田裕貴さんは、
こんな野球少年でした。
このYouTube(静止画)の続きに、
バッティングをしているときの山田裕貴さんの画像もありました。
「中学時代まで野球漬けの日々」だったんだろうなぁと想像できるものには、
山田裕貴さんが自身の公式Instagramに投稿した画像があります。
このInstagramの山田裕貴さんのコメントを見ると、
父親の山田和利さんのように、
プロ野球選手になることを夢見ていたことがわかります。
きっと、
一日も休めない日々だったのでしょうね。
高校時代はバレーボール部?
山田裕貴さんは、
愛知県の野球部の強豪校である東邦高校に進学。
この学校を選んだということは、
プロ野球選手だった父親の山田和利さんと同じ進路だったことになります。
「第91回センバツ高校野球大会」で、
東邦高校が優勝した時には、
山田裕貴さんは次のようなコメントを出していました。
しかし山田裕貴さんは、
東邦高校では野球を続けておらず、
バレーボール部に入部していたそうです。
バレーボールをやっていたことについては、
山田裕貴さんのコメントは見つかりませんでした。
卒業アルバムだと思われる画像では、
バレーボールのユニフォームを着た山田裕貴さんの姿を発見。
山田裕貴さんの野球漬けの日々は、
中学生までだったようですね。
山田裕貴が野球をやめて俳優を目指した理由は?
山田裕貴さんのインタビュー記事を読んだ印象では、
野球をやめた理由と俳優を目指した理由は直結しているわけではなさそうです。
ここでお伝えする形としては、
野球をやめた理由と俳優を目指した理由を分けてみました。
山田裕貴 野球をやめた理由
山田裕貴さんの野球をやめた理由について、
ひと言で簡単に言ってしまうと「実力の限界を感じた」ということになります。
エンタメOVO(オーヴォ)のインタビューによると、
「いろんなうまいやつを目の当たりにして、
もう頑張れないと高校で諦めて、一度は人生にふたをした…」
と言葉を残しているようです。
甲子園大会出場をめざすような球児のレベルを見て
「上には上がいると思った」といった感じだったのでしょうね。
タウンワークマガジンのインタビュー記事では、
どうしても野球では結果が出せなくて
「プロ野球選手の息子なのに」と言われることも多く、
コンプレックスを抱えていたんです。
と告白している様子がありました。
野球の道をあきらめてから入学した高校生時代については、
学校生活では生き残らなきゃ。
そのためにもみんなから好かれなきゃ。
そんな強迫観念めいたものにとらわれて、
実感のない時期を過ごしたことも語っています。
俳優を目指した理由
テレビに映る父親の姿から思いつきが浮かんだ
学生時代は、
父親がプロ野球の遠征から帰ってきて、
家族みんなでテレビや映画を観る時間がすごく好きだったそうです。
そんな山田裕貴さんは、
プロ野球界で父親がテレビに出ていることをカッコいいとも思っていました。
そこから、
野球選手としてはテレビに出ることはできないけれど、
役者としてだったらテレビに出られるかもしれないと思いつきが浮かんだそうです。
野球ではできなかったことができる?
山田裕貴さんのインタビューには、
(野球のように)生まれ持った運動能力とかは関係なく、
(俳優業に)必要なものは誰もが持つ人間性。
だったらフェアだと思った。
という言葉があり、
人間性は自分次第でいくらでも磨けるし、
何があっても全てを自分のせいにして戦う!
という考えに至っているようです。
まとめ
仕事への姿勢や周囲への気遣いなど、
共演者やスタッフからの評判が高い山田裕貴さん。
元プロ野球選手で、
現プロ野球コーチの父親の存在が大きいのでしょうね。