2011年頃よりテレビから姿を見せなくなったマリエさんですが、
干されたのは東日本大震災直後のツイートが原因と言われています。
そのときの発言はかなり炎上しました。
その後、すぐニューヨークにあるパーソンズ美術大学へ留学しました。
マリエさんは日本から「逃げた」のでしょうか?
マリエさんのブレイク~転落人生について調べてみました。
目次
マリエが干された理由は紳助ではなく震災発言のツイート?
2010年頃、毎日のようにテレビで見かけていたマリエさん。
最近ではテレビで見かけることは少なくなりましたよね。
噂では「テレビ業界から干された」と言われています。
その原因をまとめてみました。
島田紳助が原因?
2021年4月4日、マリエさんのインスタライブにて
「島田紳助から枕営業を強要された」
と衝撃発言をしました。
マリエさんが島田紳助から枕を強要されたり、そこにいた出川哲郎が止めなかった等のエピソードを告発したインスタライブのその動画です
#マリエさんに連帯しますpic.twitter.com/SaQdc0gPw7
— マスターバード (@Master_Bird_) April 7, 2021
枕営業を断ったから、島田紳助さんが圧力をかけたのではと思われていました。
震災発言ツイート?
しかし、
実際は2011年東日本大震災直後のマリエさん自身のTwitterのつぶやきに原因があるようです。
東日本大震災直後、芸能人がチャリティーに励んでいる最中、
マリエさんがあるツイートをしました。
「世の中、チャリティー産業かよ」
「こっちはいろんなところから募金です金くださいってれんらくがたえなくてこまっんだよ!」
東日本大震災は2011年3月11日に発生した大地震です。
津波・火災などで死者約2万2000人、津波などで行方不明者も多数出ました。
当時、日本はもちろん世界から支援が集まりました。
マリエさんの父親が会社経営しており、
セレブタレントと言われていたマリエさんの所に支援を求める団体もあったのかもしれません。
しかし、当時のマリエさんは父親の事業が失敗したため両親は離婚。
借金6500万円を抱えていたそうです。
「セレブタレントのふりをしながら、実際は借金を抱えて仕事をしてたということで、ストレスも相当溜まっていたんでしょうね。本人も今年5月に行われたインタビューにて、震災の時は『セレブなんだから寄付しろ』とTwitterに一般人からの意見が寄せられ、心の余裕が無かったと心境を吐露。Twitterでの暴言を今でも反省していると素直に謝罪しています」
引用:TABLO
また、当時付き合っていた彼氏の出身地は震災で大きな被害があった宮城県気仙沼市。
家族とも連絡が取れなかったそうです。
当時は彼の傍で励ましたりサポートをしていたため、
心に余裕がなかったともいわれています。
思わず感情的になってしまったそうですが、
被災地の方や事情が分からない一般人からみればあまりいい印象は与えないでしょう。
「Twitterを炎上させたのは私が一番早かったかもしれないですね。自分ができるタイミングでできる支援をすることがベストなんじゃないかということを言いたかったんですが、人を傷つけるような言い方になってしまって、今でも反省しています」(マリエ)
マリエさんは自身のブログで謝罪しましたが、時すでに遅し。
テレビ局はタレントとして使えないと判断されたのかもしれません。
マリエは海外留学と称して海外逃亡?
マリエさんは2011年、
ニューヨークにあるファッションの名門「パーソンズ美術大学」へ留学しています。
東日本大震災のツイートでの炎上後だったため、
逃げたと言われていました。
しかし、パーソンズ美術大学で学ぶのはマリエさんの10代からの夢だったそうです。
17歳の時にアメリカ留学から帰国後、
卒業後の進路に迷っていたマリエさんでしたが、
その時に「本腰を入れて芸能活動を行わないか?」と事務所の社長より打診がありました。
実はその時すでに、
パーソンズ美術大学への進学を考えており芸能活動か進学か迷っていたそうです。
「うまくいってもいかなくても、5年後はまだ23歳。それからでも遅くない。今しかできないことに集中しよう」
引用:WWD
事務所と5年契約を結び、
その5年後というのが東日本大震災があった2011年でした。
震災前から留学のため、
テレビタレントとして仕事を整理し終わったタイミングが
震災ツイートの炎上と重なってしまいました。
震災のため自粛ムードが強かったため、
留学するということを公に出来なかったことも「逃げた」と思われる一因だったそうです。
23歳での海外留学、
事務所のスタッフや友人からは「その歳で大学生って大丈夫?」と心配の声があったそうです。
パーソンズ美術大学の学費は高額ということもあり断念することが多いそうです。
社会人コースで入学したマリエさんは当時23歳でしたが、
最年少だったと言われています。
その後、首席で卒業され、
帰国後「パスカル マリエ デマレ(PASCAL MARIE DESMARIS)」という
自分のファッションブランドを立ち上げました。
マリエのブレイク~転落
マリエのブレイク
マリエさんは小学5年生の時、
原宿でスカウトされ子役モデルの仕事でデビューしました。
当時は「赤川こはる」という芸名で活躍されていたそうです。
父親はフランスの自動車用オイル輸入代理店の元社長で「石油王」と呼ばれていました。
また、母親は元客室乗務員で国内でサロンを経営されており、
マリエさんが子供の頃から裕福な生活を送っていました。
そのため「セレブタレント」としてバラエティ番組などを中心に人気タレントの仲間入りしました。
またファッション雑誌「ViVi」専属モデルとしても活躍されていました。
当時は複数の自宅をはじめ、
自家用ジェット、ランボルギーニ―、クルーザーなども所有していたとされています。
マリエの転落
セレブタレントで毒舌だったマリエさんは、
キャラだけではなく、普段から素行がよくなかったそうです。
- 普段からも番組収録をドタキャン
- 人気ファッションショーであるガールズコレクションですら当日に出演をキャンセルするなど
スタッフからの評判はあまり良くなかったようです。
しかし2001年父親の会社に不渡りを出すまで悪化してしまい、
マリエさん一家は多額の借金を抱えてしまいました。
その後、マリエさんが父親が役員をしている会社を2009年に買い取っています。
そのためマリエさんには6500万という多額の借金を抱えることとなってしまいました。
そんな時に東日本大震災が発生し、
ストレスが溜まってたマリエさんの震災ツイートでの炎上に繋がってしまいました。
その後、すぐにパーソンズ美術大学へ留学したため、
テレビでは見かけることがほとんどなくなっていました。
マリエの現在
卒業後、自分のファッションブランド
「パスカル マリエ デマレ(PASCAL MARIE DESMARIS)」
を立ち上げました。
お金がないため、
初期費用はクラウドファンディングで50万円を集めて立ち上げ費用としたそうです。
デザイナーとして活躍されていますが、
以前のようなセレブ生活は送れていないようです。
また、以前はお洒落なレストランなどで食事をする機会が多かったようですが、
最近では居酒屋でお酒を飲むことが楽しみだとテレビ番組で語っています。
まとめ
マリエさんが芸能界で干されたのではないかという点を中心に、まとめてみました。
過去には様々な炎上する出来事があったようです。
失敗を重ねて成功することもあります。
そんなマリエさんの今後の活躍を願うばかりです。