バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日、自宅で死去しました。
53歳でした。
ここで改めて古賀稔彦さんについて知ってほしいので、
古賀稔彦さんと兄の元博さんのエピソードを交えながら紹介していきます。
では、『古賀稔彦の兄の元博の現在』『兄弟エピソード』をご覧ください。
目次
【顔画像】古賀稔彦の兄は古賀元博!
古賀稔彦さんの兄の名前は「古賀元博」さん、
兄弟そろって柔道家です。
古賀稔彦の兄・元博の顔画像は?
柔道は、小学校3年生のときに近所の友達の影響で兄弟で同時に始めました。
小学校を卒業後に上京。
そして、柔道私塾の講堂学舎に入塾しました。
講堂学舎では東京オリンピック中量級金メンダリストの岡野功さんから指導を受けることになります。
そんな兄の顔画像はこちら。
2018年1月3日に放送された特別番組「消えた天才」では、
古賀稔彦さんが兄について語るシーンがありました。
1985年の新人体重別選手権で、
古賀稔彦さんは兄から学んだ一本背負いで兄の元博さんに勝ち、
柔道界の頂点に立ちました。
その後、兄は目立った成績を残せずに柔道界から姿を消しました。
以降、一本背負投は古賀稔彦さんの得意技になっていきます。
古賀稔彦の兄・元博の主な戦績は?
ここで古賀稔彦さんの兄・元博さんの高校生時代までの成績を見ていきたいと思います。
- 中学3年時、全国大会の団体戦で3位
- 高校2年時、金鷲旗で初めて優勝を経験
- 高校新人体重別78kg級で3位
- 全国高校選手権の団体戦3位
- 高校3年時、金鷲旗で弟とともに活躍し、3位これだけでもかなり強かったんだなとうかがえます。
元博さんは高校卒業後、日本体育大学に進学しました。
しかし、大学生時代の「ある出来事」がきっかけで元博さんは柔道から離れてしまいます。
それは大学2年時、新人体重別の東京予選決勝で、
すでに次世代のエースと謳われていた世田谷学園高校3年の弟・稔彦さんと対決し、
敗北したことです。
では、2021年現在の兄・元博さんは何の仕事をしているのでしょうか。
見ていきましょう。
古賀稔彦の兄・元博の現在は学校の先生?
古賀稔彦さんの兄・元博さんの現在は高校の教員です。
具体的には、大学卒業後に福岡県立修猷館高校の教員となり、
今現在は福岡県立糸島高校の教員をされていますね。
結婚されていて、3人のお子さんがいらっしゃるようです。
弟の稔彦さんとは別々の道を歩むことを決めたものの、
子宝にも恵まれ幸せそうですね。
稔彦さんが亡くなり、心中お察ししますがどうか、
前向きに歩んでほしいな、と勝手ながら思っています。
古賀稔彦と兄・元博の兄弟エピソード3選!
ここからは、古賀稔彦さんと兄・元博さんの兄弟エピソードを2つ見ていきます。
ご兄弟の両親のお話も軽く交えながら話していきます。
私は知ったとき「いい家族だな」と率直に感じました。
では、見ていきます。
学生時代はライバル!?
ここでは主に兄の元博さんが大学生のころのお話しを取り上げていきます。
記事冒頭でもご紹介しましたが、
兄の元博さんと古賀稔彦さんは良きライバルでした。
元博さんが大学2年の時、新人体重別の東京予選決勝で、
高校3年の弟・古賀稔彦さんと対決し、敗北しました。
この試合の前に元博さんは「兄は弟より強くいなければならない」という、
強い使命感持って試合に臨みました。
しかし、結果は敗北。
元博さんはこの試合を終え、「世界への挑戦」を諦めてしまいました。
そして、大学卒業後は教員の道に。
弟の古賀稔彦さんに自分の夢を託した形なのか、
「自分にはもう無理だ。」と諦めてしまったのか。
どちらかはご本人にしかわかりませんが、相当つらい決断だったことは想像がつきます。
どの道を歩んだとしても、今が「幸せ」ならそれで私はいいのかなと思っています。
古賀元博さんは結婚もされていて、お子さんも3人いて、とても幸せそうなので良かったです。
どうか、古賀稔彦さんの死を乗り越えて、また笑っていてほしいですね。
ここで次に、稔彦さんと元博さんの可愛らしいエピソードを紹介していきます。
兄弟でも、先輩と後輩の関係
武道において、上下関係はかなり厳しいです。
古賀稔彦さんも兄からかなり厳しい指導を受けたそうです。
たとえ兄弟でも、まともに口を利ける関係じゃありませんでした。
実家から送ってもらっていた小遣いは、すべて兄貴にあげていたそうです。
ジュースを飲んだり、アイスを食べている兄を横目で見ながら、
古賀稔彦さんは自分で小麦粉に砂糖と卵を入れて焼き、食べ盛りの腹を満たしていたという。
小学生のころ、一緒に練習をサボった!?
小学3年の冬。
引っ越しをしたために練習場まで車で25分かかったそうです。
父・稔朗(としろう)さんの運転で送り迎えをしてもらっていました。
その当時は冬なので、車内は暖房でポカポカ・・・。
ある日、父親の「着いたぞ、起きろ」という声がするものの、
兄弟2人はそのまま寝たふりしたそうです。
その後、車が動き出しその日はそのまま帰ってしまいました。
家に帰ってから気まずい雰囲気が流れ、母の愛子さんから
「腕立てと腹筋を汗びっしょりになるまでやりなさい!」
と忠告。
後に、父・稔朗さんに「本気でやるならまた道場に連れていく。」と言われたことで、
以降はサボったりしていなかったそうです。
子供に選択肢を与える父親は素敵ですね。
父の稔朗さんと古賀稔彦さんはすでに亡くなっています。
家族は愛子さんと元博さんだけになってしまいましたが、
どうか上を向いて笑って過ごしていってほしいと思います。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回は古賀稔彦さんと兄の元博さんのエピソードを交えて記事を書きました。
今は辛いと思いますが、これからも「幸せ」に生きていけるように、応援していきたいです。