バンド「MY FIRST STORY」のボーカリストHiroは、
いよいよ本名の「森内寛樹」でソロデビュー。
今回は、
森内寛樹さんの家族についてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
森内寛樹の家族構成!兄弟にワンオクtakaがいる?
森内寛樹さんの家族構成は、兄弟は男ばかりで3人(本人を含む)。
両親は、2005年の4月に離婚しています。
ここでは、
森内寛樹さんの兄弟についてまとめました。
両親については、
のちほど「森内寛樹の両親は大物!」でお伝えします。
森内寛樹さん本人は、三男で末っ子。
長男は、
「ONE OK ROCK」ボーカルのTaka(森内貴寛)さん。
次男は、
テレビ東京の社員(ADをしているという情報あり)の森内智寛さん。
長男・Taka(森内貴寛)さんのプロフィールと略歴
- 生年月日:1988年4月17日(2021年2月現在、32歳)
- 学歴:慶應義塾湘南藤沢高等部中退(2005年)。
- 略歴:
2001年にジャニーズ事務所入り。
2003年9月15日、「NEWS」のメンバーとしてデビュー。
2003年12月 、NEWSの活動を休止。のちにグループを脱退。ジャニーズ事務所も退所。
2005年5月、ONE OK ROCK加入。
次男・森内智寛さんのプロフィールと略歴
- 生年月日:1989年
- 学歴:慶應義塾大学卒業
- 略歴: 慶應義塾大学を卒業したあと、2012年にテレビ東京入社。
森内智寛さんがテレビ東京でADをしていることは、「ハレバレとんねるず 略してテレとん」で知られるようになり、ニュース記事にもなりました。
森内寛樹さん本人のプロフィールと略歴
- 生年月日:1994年1月25日(27歳)
- 学歴:多摩大学目黒高等学校卒業(みんなの高校情報より)
- 略歴:
2002年12月、ジャニーズ事務所に入所。(当時、小学3年生)
2011年8月、ロックバンド「MY FIRST STORY」結成。
2021年1月20日にメジャーソロデビュー。
森内寛樹の両親は大物!
本名でソロデビューした森内寛樹さんの両親は、
森進一(本名は森内一寛)さんと森昌子(旧姓は森田)さんです。
森進一さんについて
- 生年月日:1947年11月18日(73歳)
- デビュー:1965年にフジテレビ系の「リズム歌合戦」で優勝して、渡辺プロダクションに所属。ポップス系でデビューする予定も、売れるためには声を潰してでも演歌を歌うしかないということで「女のためいき」でデビュー。
- NHK紅白歌合戦出場回数:48回
- NHK紅白歌合戦・歌唱曲:「おふくろさん(8回歌唱)」「襟裳岬(4回歌唱)」「港町ブルース(2回歌唱)」「冬のリヴィエラ(2回歌唱)」など。
森昌子さんについて
- 生年月日:1958年10月13日(62歳)
- デビュー:1971年に日本テレビ『スター誕生!』に13歳で出場して、初代グランドチャンピオンになる。1972年7月1日『せんせい』で歌手デビュー。
- NHK紅白歌合戦出場回数:15回
- NHK紅白歌合戦・歌唱曲:「せんせい」「おかあさん」「哀しみ本線日本海」「立待岬」「越冬つばめ」など。
森進一さんと森昌子さんは、
1986年10月に結婚して、
2005年4月に離婚しています。
離婚になったのは、
森昌子さんが1回目の引退(1986年)から芸能界に復帰(2001年)してからのことです。
森昌子さんは、
2001年「第52回NHK紅白歌合戦」に16年ぶりに出場。
これをきっかけに、
夫婦共演の「ジョイントコンサート」を開催するようになります。
しかし、
森昌子さんは主婦業と仕事で心身に大きな負担がかかりました。
2005年2月1日に、
森昌子さんはストレスから過呼吸の発作。
意識を失って、緊急入院(集中治療室)となります。
2月3日には退院。
その2か月後の2005年4月に離婚を発表。
森内寛樹と家族とのエピソードは?
ラストに、
森内寛樹さんの家族とのエピソードをまとめました。
エピソード(1)家族での食事のルール
家族での食事のルールで、
箸を付ける順番が決まっていたというエピソードがあります。
どういうことか説明すると、
父の森進一さんが最初に箸を付けてから、
長男(貴寛さん)、次男(智寛さん)、三男(寛樹さん)の順番で、
箸を付けてOKということです。
これには、
母親(森昌子さん)はどうしていたかという話は見つかりません。
エピソード(2)両親のサインを代筆
『ダウンタウンなう』の「本音でハシゴ酒」に出演したときに、
森内寛樹さんがトークしていたエピソードに、
両親のサインを代筆していたというのがありました。
子供のころは、
同級生の両親から父と母のサインを頼まれることも多かったそうです。
自由帳を20冊ほど渡されると、
森内寛樹さんは「僕が代わりにずっと書いてたんですよ」と明かしていました。
エピソード(3)兄弟3人は番号で呼ばれていたのは嘘?
森昌子さんが『ダウンタウンなう』の「本音でハシゴ酒」に出演したときには、
子供3人を「1番、2番、3番」と番号で呼んでいたとトーク。
この件について「まつもtoなかい」の出演で、
森進一さんが森内寛樹さんが確認していました。
離婚したあとのことだったので、
森進一さんは心配になっていたそうです。
森内寛樹さんは「僕は(番号で)呼ばれてない」と言うと、
森進一さんは安心したように「そうでしょう?」と言葉を重ねていました。
森内寛樹さんの推測では、
母の森昌子さんは番組をおもしろくするために話を盛ったのではないかということです。
森昌子さんのトークでは、
門限を1分でも過ぎたら家に絶対入れなかったというのもあります。
しかも、門限を破った子供たちは庭で寝ることになるというのです。
どこまでがほんとうの話なのか、今となってはわからないですね。
エピソード(4)兄弟間の敬語の真相は?
兄弟間の敬語についても、
森昌子さんの話と森内寛樹さんのトークには食い違いがあります。
森昌子さんのほうの話では、
教育で兄弟間の敬語を使わせたとなっていました。
昌子は愛情あふれるスパルタ教育で知られ、同著では「兄弟同士でも敬語」「18歳になったら強制的に自立」など“昌子流子育て”のポイントを伝授している。「子育てに悩んだり、疲れているお母さんにぜひ読んで欲しい」と呼びかけた。
SANSPO 引用
一方、森内寛樹さんのトークでは、
両親の離婚で兄弟と一緒に住んでなかったので、
久々に会ったときに、
どうやって話してたか分からなくて、
一発目敬語で話したら、敬語が抜けなくなった。
ということになっているのです。
「僕が小学校4年生ぐらいの時に、両親が離婚して、うちの兄弟とも一緒に住んでなかったんです。僕は母親と住んでいたので、次に会ったのが高校生ぐらいの時なんです」と説明。「なので、久々に会った時に、どうやって話してたっけ?って分からなくなっちゃって。でも、年上だから、一発目敬語で話してたら、抜けなくなっちゃって。そこからも、すごい頻度で会うわけでもないので、今でも敬語なんです」
スポニチ 引用
細かいところの記憶違いなのかもしれません。
まとめ
ソロデビュー決定の森内寛樹さんは、
テレビ向きのトークができるということもあって、
今後はバラエティー番組の出演も増えそうです。
新たなテレビスターになるかもしれませんね。