歌手、俳優、さらには声優として活躍している山崎育三郎さん。
順風満帆な山崎育三郎さんですが、今まで多くの困難を乗り越えてきた苦労人のようです。
今回は山崎育三郎さんの子供時代(幼少期)のエピソードや生い立ちを調査しました。
目次
山崎育三郎の子供時代のエピソード
「ミュージカル界のプリンス」と言われている山崎育三郎さん。
その人気はミュージカルや舞台だけにはとどまらず、ドラマや映画など映像作品でも活躍しています。
そんな山崎育三郎さんは、
4人兄弟の三男で、
子供の頃は引っ込み思案な性格だったようです。
また、人見知りで母の後ろに隠れているような子供だったようです。
そんな時、
自分と同世代の子供達が活躍するミュージカル「アニー」をみたことをきっかけに
ミュージカルに興味を持つようになりました。
キラキラと輝く子役達を見て「羨ましい」と憧れを持ったそうで、
アニーのCDを買ってもらい、繰り返し聴いては歌っていたそうです。
そんな息子の姿を見た母親が、
「歌うことで自分に自信が持てるようになるなら」と思い、
音楽教室に通わせてくれました。
音楽に通う一方で、野球少年でもあった山崎育三郎さん。
小学校の6年間野球に打ち込んでいたようです。
全国大会でベスト8の成績を収めるほどの実力を持っていましたが、
ミュージカルの主演を務めるために野球はやめてしまったようです。
山崎育三郎の生い立ち!幼少期から現在をまとめ
引っ込み思案だった山崎育三郎さんがどのようにして、ミュージカル界のプリンスに上り詰めたのか。
時系列に沿ってご紹介します。
ミュージカルデビュー
アニーでミュージカルに憧れを持ち、音楽教室に通っていた山崎育三郎さん。
小学6年生の時、音楽教室の先生から勧められ、アルゴミュージカルのオーディションに参加しました。
キャストのほとんどが子役で編成されているミュージカルで、
山崎育三郎さんは主役に抜擢されました。
その後、アルゴミュージカル「フラワー」で子役デビューを果たします。
子役として活躍を続けていましたが、中学3年生で変声期のためオーディションに受からない時期が続いたそうです。
高校2年生くらいまでは全然歌えなかったそうで、今までのように歌えないことに対してショックを受けたそうです。
しかし、同時期にクラシック音楽と出会い、変声期で上手く歌えない時期をクラシックの勉強期間とし、乗り切ったそうです。
高校2年生で米国へ留学
留学先では言葉が通じず、引っ込み思案
中学を卒業し、東邦音楽大学附属東邦高等学校の声楽科へ進学した山崎育三郎さん。
高校2年生のときに、海外留学していた2人の兄に影響され、1年間米国へ留学しました。
留学中は、アメリカのミズーリ州にあるノース・カウンティ・ハイスクールに通っていました。
この学校には約1年間通っていたそうです。
また、留学当初はほとんど英語が話せなかったそうです。
留学先であるボン・テア市には、アジア人はたったの約0.2%しかおらず、
日本人どころかアジア人自体がほとんどいないという街でした。
そのため山崎育三郎さんは、留学先の高校でとても珍しがられたそうです。
アジア人が2千人の生徒がいる中で山崎育三郎さん1人だったそうです。
そのため、初めの頃は友達もおらず、だいたいトイレに隠れていたそうです。
ダンスパーティーがきっかけでモテモテに!
3か月ほどトイレに逃げ込む生活が続いたそうですが、ダンスパーティーで大胆な行動に出ます。
学校主催のダンスパーティが食堂で行われたのですが、山崎育三郎さんはそれを柱の陰から見ていました。
しかし、みんなが楽しそうに踊る姿を見ながら、
「もし今俺が、あそこの真ん中で1人で踊ったら、明日から何か変わるんじゃないか」
と思ったそうです。
小学生の頃からミュージカルの主演を務めるなど、
ダンスや歌には自信があったため、
「ここで行ってやろう!」と行動に出ました。
山崎育三郎さんがセンターで踊り出すと、みんなが「うわぁーっ!」って盛り上がったそうです。
この次の日から学校に来て、
廊下歩いてたらみんなが
「オー!イク!昨日なんだよあれ!最高だぜ!」
「僕とランチしようよ!」
「今度アフタースクール一緒にごはん行こうよ!」
と声をかけてきてくれたそうです。
映画のようなお話ですね。
山崎育三郎さんは、この留学を経験して
「自分でしか変われないんだって思いましたね。怖いところにしか、成長はない」
と語っていました。
ミュージカル界のプリンスへ
帰国後、山崎育三郎さんは 東京音楽大学の声楽演奏家コースへ進学しました。
大学時代、19歳の時に憧れだったミュージカル「レ・ミゼラブル」のオーディションに合格しました。
さらに同作のマリウス役を、当時の世界最年少である21歳で演じました。
憧れの作品だったレ・ミゼラブルに出演した後、
- 「モーツァルト」のヴォルフガング・モーツァルト役
- 「ミス・サイゴン」のクリス役
- 「エリザベート」のルイジ・ルキーニ役
大人気作品に20代で次々と出演を果たしました。
目標だった4作品全てに出演した山崎育三郎さんは、
「ミュージカル界のプリンス」と称されるようになりました。
役者としても活躍
20代で目標だった作品全てに出演することができた山崎育三郎さんは、
「ミュージカルをもっと知ってほしい」
「役者としての幅を広げたい」
という思いから、2015年放送のドラマ「下町ロケット」(TBS)に出演しました。
それ以降、
- ドラマ「あなたのことはそれほど」(TBS)
- ドラマ「昭和元禄落語心中」(NHK)
- 連続テレビ小説「エール」(NHK)など
話題作に多く出演しています。
可愛らしいルックスに注目が集まっており、役者としても人気がありますよね。
さらに役者以外でも活躍を見せており、
2017年公開のディズニー実写映画「美女と野獣」に吹き替え声優として参加しました。
野獣に姿を変えられてしまった王子の声と、歌唱を担当しています。
また、2019年公開の映画アニメ「名探偵コナン 紺青の拳」にも主人公のコナンと敵対するレオン・ローの声を演じていました。
この役は英語のセリフ多く、高校2年生の留学経験が活かされています。
山崎育三郎は両親の離婚後に祖父母を介護?
実は山崎育三郎さんが1年の米国留学から帰ってくると、苦悩が待ち受けていました。
両親が離婚し、山崎育三郎さんは脳梗塞になった祖父母の介護をすることになりました。
2人の兄は海外留学中で、弟は野球部で寮生活をしていたため、
家に戻った4人兄弟の三男である山崎育三郎さんが祖父母の世話を一手に引き受けたそうです。
朝食を作って一緒に食べて、
ホームヘルパーさんが来たら学校に行き、
帰ったら、ヘルパーの方が作ってくれた夕食を食べさせて、
お風呂に入れる日々を過ごしていたそうです。
そんな生活は、祖父母が介護施設に入るまで2、3年続いたそうです。
「なんで自分が、と思うこともあった」そうですが、大好きな祖父母のために奮闘しました。
ただ、この決して楽ではない生活が
「ハングリー精神というか、『絶対、帝国劇場で主役を張る』という夢を叶えるんだ」
という思いを強くしたそうです。
数々の苦難を乗り越えてきたからこそ、多くの人を魅了する表現ができているのでしょうね。
まとめ
今回は山崎育三郎さんの幼少期から現在までのエピソードをまとめました。
数々の困難を乗り越えて人として成長してきたことが、現在の活躍につながっているのでしょうね。
これからも山崎育三郎さんの幅広い活躍が楽しみですね。