厚労副大臣に就任するということで話題を集めている三原じゅん子さん。
そんな三原じゅん子さんについて、
「実は中卒で学歴が低い?」
「なぜ、芸能人から政治家に?」
と話題になっているようです。
今回は三原じゅん子さんの学歴や政治家を目指した経緯を調査しました。
目次
三原じゅん子の学歴は中卒?
三原じゅん子さんは、1964年9月13日生まれ東京都板橋区出身です。
小学校に入学した翌年、8歳で東京宝映テレビ・劇団富士に入団されました。
その度、
私立十文字中学に入学しましたが、
2年生の2学期に公立の世田谷区立志村第一中学に転校しました。
転校の理由は、十文字中学が芸能活動を認めていなかったからだそうです。
中学3年生のとき、ドラマ「燃えろアタック」に出演し、
本格的な芸能活動をスタートしました。
そしてあの人気ドラマ「3年B組金八先生」にも山田麗子役として出演され、
一躍人気者になられました。
一方で学業はというと、
明治大学付属中野高校の定時制へ入学はしましたが、2日で中退してしまったようです。
そのため、三原じゅん子さんは中卒ということになりますね。
明治大学付属中野高校は、現在定時制は存在しないようです。
ほとんどの定時制が卒業まで4年かかる中、
3年で卒業できる明治大学付属中野高校の定時制は、
三原じゅん子さんの時代のアイドルから人気があったようです。
しかし、ほとんどのアイドルが仕事が多忙で、
卒業率はとても低かったという情報があります。
当時の三原じゅん子さんは歌手デビューに加え、数多くのドラマ出演していました。
また家庭の事情もありほとんど学校には行けていなかったそうなので、
それが原因なのでしょうね。
三原じゅん子が国家議員を目指した理由
芸能界で活躍していた三原じゅん子さんですが、
現在は国会議員としてご活躍されています。
女優としても活躍できたはずの彼女は、なぜ政治の道に進んだのでしょうか。
2019年2月14日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)で、
三原じゅん子さんは自身が経験した学生時代のいじめや子宮頸がんの大手術、
そして政治家へと転身した理由を語っていました。
三原じゅん子さんの過去を振り返りつつ、
政治家の道を志した理由を見ていきましょう。
学校でのいじめ
小さい頃は、父親の会社が倒産し、借金取りが来たり、
母親が仕事を掛け持ちしていたそうです。
三原じゅん子さんは、
「物心ついた時には家具とかに赤い紙が貼ってあったり、借金取りが家に来たり…」
と明かしていました。
そんな壮絶な少女時代でしたが、母親の応援があり芸能界へと進出しました。
15歳でテレビドラマデビューを果たし、
同じ年の1979年には、
「3年B組金八先生」で不良生徒役を熱演しブレイクしました。
しかし、その裏で三原じゅん子さんは計り知れない苦労をしていたそうです。
金八先生の撮影中、母親ががんを患い入院。
家で家事を行いながら、母親の世話もし、
撮影もあったため、中学校にいる時間もわずかだったそうです。
学校では、撮影で休みがちだった三原じゅん子さんを快く思わなかったクラスメートに
階段から蹴り落されるなど、過酷なイジメに遭ったそうです。
撮影のために早退しようとすると、
校舎の窓からクラスメートらによる「帰れコール」が浴びせられたこともあったようです。
そこで三原さんは、ロングスカートの制服と髪の毛を真っ赤に染めた不良姿で登校。
これをきっかけにイジメはなくなりました。
原因不明のパニック障害
その後、アイドルとしてデビューを果たしましたが、
ある日呼吸困難に陥る原因不明のパニック障害を発症し、
毎晩救急車で搬送されていまようです。
それに加え、摂食障害も併発していました。
当時のことを三原じゅん子さんは、
「顔以外の全身にじんましんができて、パニックになって泣き出したり、食べてはもどす、食べてはもどす。『いつ買ったんだろう…』と思うくらい、袋がいっぱいあって、カップ麺とかお菓子が部屋中に散らばっているんです。食べているんですね、でもその記憶があんまりないんです」
と明かしていました。
この時まだ10代だった三原じゅん子さんは、
同世代のマネージャーに支えられ、病状は次第に落ち着いていきました。
カーレーサー時代の流産
21歳の時に突然、プロのカーレーサーとしてデビューしました。
芸能活動と並行してレースへ出場していた三原じゅん子さんですが、
たびたび事故を起こしていました。
三原じゅん子さんは
「運転するのが怖くなっちゃったんです。スタート前に、走るのが怖くて、ヘルメット被っているから泣いている姿なんて誰も見ていないし、逆にそういう精神状態でレースをしていると余計クラッシュしちゃう」
と話していました。
そして1990年11月、大きな事故を起こしたのです。
この事故の約2週間前に先輩レーサーとの婚約を発表し、
妊娠していることも明かしていたのですが、
事故後の会見で流産していたことを公にしました。
その後先輩レーサーとは離婚し、レースも引退。
同じ年の1999年にタレントと再婚して妊娠したが、
この時も流産をしてしまい再び離婚しました。
子宮頸がんの大手術
そんなとき、子宮頸がんが見つかるというさらなる悲劇が。
医師からはできるだけ全摘出した方がいいと言われていました。
しかしその手術は、「広汎子宮全摘出術」という
子宮だけでなく卵巣やその周りのリンパ節まで切除するという手術でした。
この方法は、転移の可能性は低くなる一方で、
妊娠できなくなり、重い後遺症が残る手術法でした。
出産の夢が絶たれる絶望感と、女優としての仕事ができなくなる不安が残る中、
リンパ節と卵巣はそのまま残すことにしたそうです。
転移を覚悟しながら、早く仕事に復帰できるよう、
最小限の手術を選択したということです。
なぜならこの時、1か月後に舞台出演が決まっていたからでした。
手術当日からのリハビリの末、
術後1か月で舞台に出演、半年後には昼の連続ドラマに出演しました。
この闘病経験がきっかけで、三原じゅん子さんが政治家を志したそうです。
政治家へと転身
三原じゅん子さんは
「流産どころか宿すことすらできなくなったけれど、周りを見渡したら私より大変な方がたくさんいらっしゃったんです。がんで苦しんでいる方が。『これだけ苦しんでいる方たちのために国は何をしているんだろう?』って。何もしてくれないから、だったら私がやる」
と決意したと語っていました。
野田議員らの後押しもあり、選挙2か月前に自民党から公認を受けたました。
しかし、
本人だけでなく、選挙スタッフもタレント時代のマネージャーやメイクさん、付き人など
政治未経験の素人だらけでした。
出馬した当初は、
「タレント候補だ」や「売名行為」などとバッシングを受けたのですが、
そんな屈強にも耐え、現在は参議院議員として活躍されております。
華々しい三原じゅん子さんにこんな壮絶な過去があったとは驚きですね。
しかし、たくさんの苦労をしてきたからこそ、
苦労している人を助けたいという思いが芽生えたのでしょうね。
中卒でも厚労副大臣になれた理由
2020年9月18日、
三原じゅん子さんが女性厚労副大臣に就任することが正式に決定するようです。
中卒ではありますが、
タレント活動をしていた頃から自身の子宮頸(けい)がんや
父親の介護を通じて医療や介護問題に関心を持っていたことが伺えます。
そして自身が子宮を摘出した経験から、
がん治療に対する取り組みを積極的に行ってきました。
このような活動の結果として、厚労副大臣に就任することが正式に決定したのでしょうね。
しかし、この決定には不満を持っている方が多いようです。
Yahooニュースにかかれていた、コメントを一部抜粋しました。
副大臣は真に専門家をおくべきでは。
副大臣こそ、民間をどんどん起用したらと思う。
こんな、上だけをみてますレベルの人では無理なのでは。
こんなレベルでよいのであれば副大臣職は廃止でよい。
意思の流れもスムーズになるし。
副大臣レベルから、こんな人選でいいのかな?女性議員が少ないとは言え、セクシーナイト三原起用は反感を買いそう。
菅さんには、期待してたんだけど、、
この方を副大臣に選ぶなんて残念です。
不満を持っている方が多いようですが、
就任することが決定しているならこの反応をばねに頑張ってほしいですね。
また、三原じゅん子さんは
- 『ガン登録推法』を 議員立法で提出
- HPV ワクチンの普及
- 自動喫煙防止
- 児童虐待防止
に長年取り組んで来ました。
妥当な人選ではないのでしょうか。
まとめ
今回は、厚労副大臣に就任で話題になっている三原じゅん子さんの過去やどうして政治家の道に進まれたのかを調査しました。
これからも「苦しんでいる方たちのために」という気持ちを忘れずに、
活動を続けていっていただきたいですね。