加藤シゲアキさんは、アイドルグループ・NEWSのメンバー。
小説家としての活動も続けています。
今回の話題は、加藤シゲアキのさんの両親。
このページでは、
- 「加藤シゲアキの母親はお店を経営?」
- 「父親はフリーのコンサルタント?」
- 「加藤シゲアキと両親のエピソード」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
加藤シゲアキの母親はお店を経営?
「加藤シゲアキの母親はお店を経営?」については、
広まっている情報に少しずつ異なる点が見られます。
加藤シゲアキさんの母親の情報で共通しているのは、
「帽子教室(ハンドメイド)の講師」「自宅にアトリエを作った」の2つです。
あとの情報にはズレはありますが、
- 「以前は共働きで会社に勤めていた」
- 「手芸教室に通った」
- 「自分でもハンドメイドを教えるようになった」
- 「最初は通いの講師」
- 「自分のアトリエ(教室)を開いた」など、
- 「加藤シゲアキさんの母親のお店」
の話として広まっています。
「両親のエピソード」と重なってしまいますが、
情報元を探したときに、
「徹子の部屋」で「母親の手芸の学校」の話をしていたことがわかりました。
「NEWS」でメジャーデビューしたとき、加藤シゲアキさんは高校生でした。
その頃、
母親に次のように話したそうです。
「自分の学費は自分で払うから好きなことをして」
それで、
加藤シゲアキさんの母親は手芸の学校に行くようになったそうです。
そのように加藤シゲアキさんが気遣ったのは、
以前は共働きで母が学費を工面してくれていたからだそうです。
参考までに、
加藤シゲアキさんは中学受験をして青山学院に進学しています。
青山学院・中等部時代の加藤シゲアキさん
青山学院・高等部時代の加藤シゲアキさん
【加藤シゲアキさんのプロフィール】
- 名前:加藤 シゲアキ(かとう シゲアキ)
- 生年月日:1987年7月11日(2024年3月現在 – 36歳)
- 所属事務所:SMILE-UP.
- 所属グループ:NEWS
- おもな活動:歌手、俳優、タレント、小説家
加藤シゲアキさんの出生地は、広島県広島市です。
その後、
5歳から大阪府の豊中市、10歳から神奈川県横浜市で育っています。
5歳から10歳まで大阪府豊中市で過ごしていたことは、
ドラマ「六畳間のピアノマン」出演したときのインタビューで答えていました。
それは、
加藤シゲアキさんが関西弁の演技について質問を受けたときです。
加藤シゲアキの父親はフリーのコンサルタント?
「加藤シゲアキさんの父親はフリーのコンサルタント?」と、
ネット上では広まっています。
その情報元とされているのは、
『ビビット』にレギュラー出演していたときの加藤シゲアキさんのトーク。
SNS「X」には、次のような投稿がありました。
そのとき「ビビット」で扱っていたニュース(話題)は、
「定年後の旦那居ることの主婦ストレス」。
それで、
国分太一さんと加藤シゲさんが自分の家族の話をしていたようです。
情報を整理すると、
加藤シゲアキさんの父親は、
- 両親の介護等の事情から定年前に会社辞めた。
- その後、フリーコンサルタントの仕事を開始。
ということらしいです。
それ以前は夫婦で共働きだったことは、
加藤シゲアキさんの徹子の部屋での話で確認済みです。
フリーでコンサルタントを始める前の加藤シゲアキさんの父親については、
多くの人が次のように推測しています。
単身赴任ではなく、家族全員で引っ越した。
それは、転勤の多い職業。
たとえば、銀行員。
その理由としては、
子供時代の加藤シゲアキさんの住んでいる場所が、
5年おきに変わっていることから考えられたようです。
「青山学院」のアオガクプラス の記事でも加藤シゲアキさんは、
2度の転居を経験した子供時代についての質問を受けていました。
このインタビューの回答によると、
大阪府豊中市に住んでいた5歳~10歳のころの加藤シゲアキさんは、
ピアノや少林寺などを習っていたそうです。
これによって、
経済的に余裕がなかった家庭ではないということが推測されます。
夫婦で共働きであっても、
それなりに収入のあった仕事をしていたのは間違いないでしょう。
加藤シゲアキと両親のエピソード5選!
加藤シゲアキさんと両親のエピソードは5つ選びました。
両親のエピソード(1)父親の実家は岡山県
加藤シゲアキさんと両親のエピソード(1)は、父親の実家と祖父の話です。
父親の実家が岡山県にあることは、
加藤シゲアキさんが出版したエッセイ本の中に書かれています。
その書籍のタイトルは、『できることならスティードで』。
加藤シゲアキさんが祖父に、
最後に会いに行ったときは認知症の症状が進んでいて、
加藤シゲアキさんのことを「どちらさまですか?」と言う状態だったそうです。
芸能活動で多忙な加藤シゲアキさんは、祖父の葬儀には参列できませんでした。
その後、
父から祖父の話をしてもらったそうです。
両親のエピソード(2)母親の故郷は秋田県
加藤シゲアキさんと両親のエピソード(2)は、母親の故郷である秋田県の話です。
加藤シゲアキさんの母親の故郷は秋田県であると多くの人に広まったのは、
直木賞候補作品の『なれのはて』の影響が大きいでしょう。
こちらでは、
「この小説を書く宿命を感じました」とコメントが紹介されています。
別のインタビューでは、
「僕は生まれが広島で、原爆関連の仕事に関わることも多かったんです」
「描かれていない戦争について調べる中で、
母の出身である秋田であった日本最後ともいわれている土崎空襲を知った」
というエピソードが披露されていました。
両親のエピソード(3)ジャニーズ入りのきっかけ
加藤シゲアキさんと両親のエピソード(3)は、
「ジャニーズ入りのきっかけ」は母親という話です。
もともとSMAPや滝沢秀明さんのファンで、
芸能界に憧れがあった息子(加藤シゲアキさん)を見て、
母親が内緒でジャニーズ事務所に履歴書を送ったそうです。
横浜に引っ越してからの加藤シゲアキさんは、中学受験のために進学塾に入りました。
しかしジャニーズ事務所に入所したことで、
芸能活動と両立ができる中学に志望校を決める必要がありました。
それで、青山学院の中等部を受験することになったそうです。
両親のエピソード(4)母親のハンドメイド
加藤シゲアキさんと両親のエピソード(4)は、
母親のハンドメイドの話です。
「サイゾーウーマン」からは次のような記事が出ていました。
現場に差し入れた数は、なんと100個!
加藤シゲアキさんは次のようにエピソードを話しています。
「みんなポーチ使ってたでしょ?」
「あれ、うちのおかんが作ったの」
「ポーチとメガネ拭き」
「勝手に……」
「でも、みんな喜んでくれて……」
「玄関に帰ったらさ、なんかボーンって紙袋置いてあって・・・」
「何かな?と思ってみたらポーチが100個くらい」
「母ちゃん、そういうハンドメイドしてるから…」
両親のエピソード(5)父親の趣味
加藤シゲアキさんと両親のエピソード(5)は、
加藤シゲアキさんの父親はDIYがプロ級の腕前という話です。
- 「帽子教室の先生をしている妻のための帽子棚」
- 「ダイソンの掃除機置き」
- 「エアコンの室外機の目隠し」
などを作ったことが紹介されています。
ときどき、
加藤シゲアキさんも手伝うという話もありました。
まとめ
加藤シゲアキさんの両親は共働きでした。
父親は自分の親の介護にために定年前にフリーに転身。
母親は加藤シゲアキさんの後押しで手芸を始めました。
芸能生活ではいろいろありましたが、両親との関係は良好のようです。