原晋さんは、青山学院大学・陸上競技部の監督。
今では、
箱根駅伝の熱狂には欠かせない存在となりました。
今回の話題は、原晋監督の若い頃です。
このページでは、
- 「青山学院大学の原晋監督の若い頃がイケメン!」
- 「青山学院大学の原晋監督の学歴は?」
- 「青山学院大学の原晋監督の学生時代のエピソードは?」
などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
青山学院大学の原晋監督の若い頃がイケメン!
青山学院大学の原晋監督のプロフィール
はじめに、
原晋監督のプロフィールを確認していきます。
【原晋監督のプロフィール】
- 名前:原 晋(はら すすむ)
- 生年月日:1967年3月8日(2024年1月現在 – 56歳)
- 出身地:広島県三原市
原晋さんが青山学院大学陸上競技部の監督に就任したのは、2004年でした。
求められたのは、
長年低迷していた青山学院大学・陸上競技部を立て直すこと。
しかし原晋監督は、契約3年目での箱根駅伝出場を逃してしまいます。
監督辞任の話もありましたが、
営業の仕事で培ったプレゼンのスキルを発揮して、
もう一度チャンスをもらいます。
その後2009年に、
青山学院大学・陸上競技部の33年ぶりの箱根駅伝出場を果たしました。
青山学院大学陸上競技部が今のような強豪になったのは、
2015年に青学史上初となる箱根駅伝総合優勝に輝いてからです。
原晋監督も、
あらゆるメディアから引っ張りだこになりました。
【原晋監督の職業・肩書き】
- 青山学院大学陸上競技部・長距離ブロック監督
- 青山学院大学相模原キャンパス・地球社会共生学部・地球社会共生学科教授
- 埼玉医科大学・客員教授
- バディ企画研究所・社外取締役
- ジョリーグッド・社外取締役
【その他の肩書き】
- 関東学生陸上競技連盟・評議員
- スポーツ産業化推進議員連盟・アドバイザリーボード
- アディダス・キャンペーンアンバサダー
- プロ・フィッツ名誉監督
- HLBスポーツ・顧問
- アスリートキャリアセンター・代表理事
- 日本トライアスロン連合・理事
- 神奈川県相模原市・スポーツ宣伝大臣
- 熊本県球磨郡水上村・アドバイザー
青山学院大学の原晋監督の若い頃がイケメン!
「青山学院大学の原晋監督の若い頃がイケメン!」の顔画像は、
「サワコの朝(阿川佐和子さんの番組)」で公開されたものを選びました。
原晋さんは
1989年に中国電力(広島県広島市)に入社しています。
陸上競技部の創設に参加し、
原晋さんは第一期生となります。
顔はホッソリとシャープですね。
入社5年目の1995年に、
ケガや監督との意見が合わないことで選手生活を引退しています。
そのとき原晋さんは27歳で、美穂さんと結婚。
画像は、「もうひとつの箱根駅伝」で公開されたもの。
結婚式の画像は、「プロフェッショナル」。
2004年に中国電力を退職して原晋さんは、
青山学院大学・陸上競技部の監督に就任しました。
美穂さんは猛反対でしたが、夫婦で東京に移住。
今では青学陸上競技部の「寮母」として、
美穂さんも有名になっています。
青山学院大学の原晋監督の学歴は?
原晋監督自身の学歴を調べてみました。
原晋監督の出身大学と大学院
原晋監督の出身大学は中京大学です。
出身高校のOBが当時の陸上部の監督を務めていた縁があって、
中京大学への進学を決めたという話がありました。
陸上では目立った活躍はなく、
「3年時の日本インカレ5000メートル3位」という記録が残っています。
2017年には、
「早稲田大学大学院スポーツ科学研究科」に入学して、
「平田竹男研究室」で1年間学んでいました。
原晋監督の修士論文のタイトルは、
「青山学院大学駅伝チームの箱根駅伝強化の軌跡~予選会突破からシード権確保、
四連覇まで~」です。
ネットニュースでは、
学位授与式に出席したときの原晋監督が取り上げられていました。
画像は、美穂さんとツーショット。
原晋監督の出身高校
原晋監督の出身高校は、広島県立世羅高等学校です。
現在、
原晋監督は「TOP RUN 世羅 プロジェクト」に関わっています。
広島県立世羅高等学校からは、
アドバイザーとして招聘されたようです。
原晋監督の出身中学校と小学校
原晋監督の出身中学校と小学校は特定されていませんが、
おそらく地元の学校だと思われます。
原晋監督の故郷は、
「広島県三原市糸崎町松浜東」です。
Googleマップで見ると、このあたりになります。
小学校は「三原市立糸崎小学校」で、
「中学校は三原市立第一中学校」である可能性が高いです。
インタビューの中には、
実家近くの国道2号線が『中国駅伝』のコースになっていて、
宗兄弟など実業団の駅伝選手に憧れ、陸上を始めた…
という話があります。
青山学院大学の原晋監督の学生時代のエピソードは?
原晋監督の学生時代のエピソードは、
テレビ番組出演等で明かされている話をチェックしました。
エピソード(1)
2022年3月5日放送のTBS「人生最高レストラン」では、
原晋監督は高校時代の理不尽をぶちまけていました。
原晋監督が「今、振り返ってもよくわからない」と言ったのは、
あいさつのことです。
「寮でお風呂に入って、先に入ると、
後で先輩が入ってきたら立って『さきさん!』って…」
(あれは)お先に失礼しますの略なんですか?
そのように謎のルールの1つを明かしたあと、
原晋監督は笑っていました。
その寮の風呂場の話では、
次のようなことも言っていました。
6機のシャワーがあるんですよ?
先輩が髪の毛を洗っていたら、
後輩は桶に湯をくんで『先輩、頭の髪、流させていただきます』って。
シャワーあるんだから、自分で流せよ!って思う。
他のインタビューでも原晋監督は、
高校時代の上下関係の理不尽さを語っています。
寮生活は上下関係が厳しくて…。
また理不尽なことを要求する先輩たちが嫌で嫌でたまりませんでした。
競技で先輩を見返してやろうと思っていた…
自身が3年生になってキャプテンに就任すると、
「変なルールは全部改めました」とも明かしています。
エピソード(2)
2020年1月15日放送の「衝撃のアノ人に会ってみた! 」では、
高校3年生のときに出場した「全国高校駅伝」で、
原晋さんが「6人抜きをした」映像が公開されていました。
エピソード(3)
中大学時代の陸上競技生活で、
原晋さんは挫折しています。
こちらの「知るぽると」のインタビューで、
次のように明かしていました。
「大学時代、1、2年はパチンコと飲み会に明け暮れ、
3年で日本インカレ5千メートル3位という結果こそ残したものの、
希望した実業団からは門前払い」
「結局、大学でも実業団でも覚悟の度合いが足りなかったのだと思います」
「高校進学のときのように、覚悟を持って自ら選んだ進路ではなく、
他人に言われ、なんとなく決めた道ではいけなかったんです」
まとめ
原晋監督は、中京大学の出身です。
修士論文「青山学院大学駅伝チームの箱根駅伝強化の軌跡~予選会突破からシード権確保、四連覇まで~」で、
「早稲田大学大学院スポーツ科学研究科」の学位を授与しています。